紅装のドリームスイーパー
葵が微笑む。あたしは笑みを返す。迷いも不安もない。やるべきことをやるだけだ。
帆船はスピードを緩めず、まっすぐに黒い太陽へ突っこんでいった。
ファントムたちが興奮している。大声でわめき、手にした武器をさかんに振りまわす。
フーミンは冷静だ。タバコをくわえたまま、じっと前方に見入っていた。
ルウは無言。甲板に寝そべり、浮かれ騒ぐファントムたちを観察している。なにを考えているのかはよくわからない。
敵は、夢魔。
絶対に、夢魔を滅ぼす。
あたしと葵は帆船の船首に移動した。ルウが黙ってついてくる。舳先(へさき)に立つ。鼓動を打つ巨大な黒い球体がどんどん大きくなってくる。近づくにつれ、表面でうごめいているヒト型の黒い影が見分けられるようになった。
あたしはうめき声を洩らす。尖兵(せんぺい)だ。それも膨大な数の。数千体、数万体に及ぼうかという尖兵が、セミの死骸に群れるアリのようにひしめきあい、動きまわって、黒い波をかたちづくっている。
黒い太陽と細い腕でつながった夢の球体が、次々と内側から破裂して、あとかたもなく消滅していく。あのひとつひとつが人間の見ている夢だ。何百人、何千人もの人々が悪夢に呑まれている。あのなかには翔馬の知っているひとたち──翔馬の家族や学校のクラスメイトが含まれているかもしれない。翔馬の周囲のひとたちだけじゃない。葵の知人もいまこの瞬間、悪夢にうなされているかもしれないのだ。
隣に気配を感じて顔を向けると、フーミンが気難しげな顔をしてあたしの左に立っていた。黒い太陽をひたと見据え、せわしなくタバコをふかしている。あたしの存在が気になるのか、まえを向いたままボソリとつぶやいた。
「……うちにもいるんだよ」
「へ?」
フーミンの言葉の意味がわからなかった。フーミンは鷹揚(おうよう)にタバコの灰を落とし、深く一服する。
「決まってるだろ、家族だよ。うちはこれでも二児の母親なんだからね」
あたしは二の句が継げない。フーミンが母親だなんて、ちょっと想像できなかった。それが表情に出ていたのだろう、フーミンはあたしを横目でうかがい、鼻にシワを寄せた。
「信じられないってか? まあ、ムリもないけどさ。それに……母親らしいことはほとんどしなかったしね」
なんと言い返せばいいのか、まるで言葉が思いつかない。葵が真剣な面持ちでフーミンとあたしの会話に耳をそば立てている。
「ふたりめの子供を産んですぐに離婚したからね。親権は元ダンナがかっさらっていったよ。うちは子供に会わせてもらえなかった。元ダンナの再婚相手っていうのがイヤな女でさ……おっと、こんな辛気(しんき)くさいハナシをしてもしょうがないね」
フーミンは乾いた声で笑う。一瞬、その横顔に子供を案じる母親の面影を見たような気がした。葵が静かな声で言う。
「家族の夢を守るために夢魔と戦う──進藤さんもそう信じればいいんじゃないでしょうか。いるんですよね、家族が?」
「家族、ね。子供にはもう二十年以上も会ってないけどね。とうとう会えないまま、うちは死んじゃったよ。それでも、うちは……」
そのさきのセリフは続かなかった。フーミンは物思わしげにうつむき、タバコを床に落としてグリグリと踏みにじる。しばらく黙りこんでいたが、やおらおもてをあげ、キッと前方をにらんだ。
「……来たよ、ヤツらが」
あたしはフーミンの視線のさきを追う。慄然(りつぜん)とした。
数えきれないほどの数の黒い影──尖兵が黒い太陽の表面を離れ、虚空を泳ぎ渡ってこちらへと向かってきた。さながら畑を襲撃するイナゴの大群のようだった。秩序も隊列も指揮する者もなく、てんでんバラバラに突撃してくる。
「葵!」
「はい!」
あたしと葵は同時に武器を召喚する。
「装夢──夢砕銃(むさいじゅう)」
「装夢──破夢弓(はむゆみ)」
白い光が凝固して、手のなかに武器が出現した。あたしは夢砕銃をかまえ、スローモーションで落ちてくる尖兵に狙いをつける。
「雷弾(ライダン)!」
金色の光線が銃口からほとばしる。一気に十数体の尖兵を葬り去った。が、いかんせん数が多すぎる。夢砕銃の射線であいた穴をたちどころにほかの尖兵が埋めていく。
「破(ハ)!」
マストにとりついた尖兵を葵の光の矢が射抜く。立て続けに放たれた矢が命中して、尖兵が塵も残さず蒸発していく。
あたしと葵とで飛来してくる尖兵をかたっぱしから撃ち落としていったが、消えていく尖兵よりも新たに現れる尖兵のほうが何倍も多い。すぐに掃討が追いつかなくなってきた。
甲板に尖兵の集団が降り立つ。攻撃を仕掛けてきた。数体がかたまってフーミンに向かっていく。フーミンは舌打ちする。襲いかかってきた尖兵の腕をつかみ、プロレスの技みたいにグルグルと振りまわしてから投げ飛ばす。後ろにいた尖兵が巻き添えをくって転倒する。五、六体がダンゴ状態のまま、舷側の手すりを乗り越えて、虚無の奈落へとすべり落ちていった。
甲板のあちこちで尖兵とファントムたちとの戦いが始まっていた。
怒号、悲鳴、おたけび、高笑い──バリエーションの豊かな人間の叫び声が交錯する。拳銃の発砲音や剣戟の打撃音がそれに混じった。
あたしは武器を近接戦闘用のドリームブレイカーに持ちかえた。異形の剣だ。氷のように芯が白く濁った、半透明の刀身。反り身のない刃からうっすらと立ちのぼる蒸気。重量はほとんど感じない。剣というよりも棒を持っているような感覚だ。
葵も破夢弓から斬夢刀(ざんむとう)へと武器をチェンジする。刃紋の浮きでた青銀色の刀身が鈍く光を反射する。
あたしはドリームブレイカーを上段にかまえた。目の前にせまってきた尖兵に斬りつけようとしたとき──視野の右端から駆け寄ってきた白い巨体が尖兵を押しつぶし、両手で荒々しく引きちぎった。
白い肌の不気味な大男──金太郎。小さな目を凶暴な光で爛々(らんらん)と輝かせ、手当たりしだいに尖兵を素手で引き裂いている。ゲラゲラと愉快そうに笑った。
「楽しいねえ! ぼくはこういうの、大好きだよ!」
あたしに気づき、金太郎が獰猛な笑みを浮かべる。背筋がゾッとした。新たな敵が向かってくると、もうあたしには目をくれず、喜々として敵中に飛びこんでいく。
「いいよ、いいよ! もっと、もっとかかってこいよ!」
金太郎の狂気じみた笑い声だけが黒い壁の向こうから聞こえてきた。
ぼんやりとして一瞬、動きの止まったあたしに、三十体ほどの尖兵がドッと押し寄せてくる。あわてて尖兵を迎え撃つ。軍服姿の山崎が混戦のなかから颯爽(さっそう)と現れて、尖兵の背後からサーベルのような剣で斬りつけた。
「やあ、お嬢さん! 無事ですか!」
陽気に声をかけながら、山崎は目につく尖兵を手際よくほふっていく。剣をふるうたびに銀色の光がキラリとひらめいた。
「断(ダン)!」
尖兵の輪が崩れ、そこから葵が飛びだしてきた。右足を軸にして軽やかに舞う。白と朱色の旋風。密集していた尖兵がまとめて切り刻まれる。
あたしも負けてはいない。ドリームブレイカーの柄をにぎりしめ、尖兵の集団に斬りこんでいく。ドリームブレイカーで黒い壁をなぎ払った。
「切り裂け、ドリームブレイカー!」
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他