紅装のドリームスイーパー
Dream Level.6 ──壊夢
あたし。
それを、最初に認識する。
あたしはそこにいた。
帆船の甲板。黒く汚れた星がひしめく暗い空。白い帆が風もないのに大きくふくらんでいた。
あたしはまばたきする。足元には黒ネコが尻をつけて座りこんでいた。ほかには誰もいない。帆がはためき、マストがきしむ。あたしの頭上で闇の色をした星が破裂して、音もなく消滅した。
「……来たな。いよいよ夢魔との決戦だ」
と、ルウ。緊迫感がまるで感じられない、平板な口調で。
あたしはとまどう。口を開こうとすると、甲板にいくつもの人影が揺らめいた。人影が輪郭と色彩を得て、さまざまな格好をした老若男女の姿となる。
腕を組んで渋い表情を浮かべているフーミンがあたしの面前に立っていた。その隣にはきっちりとビジネススーツを着こんだ山崎が控えている。
「待ってたよ、ドリームスイーパーの芽衣」
フーミンはどこからかタバコを取りだし、ライターで火をつける。煙をくゆらせ、目を細めた。
「もうひとりのドリームスイーパーはどうしたんだい?」
言われて、気づいた。葵の姿がない。いつもは夢の世界に飛びこむと葵がさきにあたしを待っていた。ルウに目で問う。
「じきに来るだろう。もう少し待ってくれ」
フーミンはいらただしげに舌打ちすると、居並ぶ仲間にサッと手を振った。ブツブツとこぼしながらファントムたちが三々五々散らばる。フーミンと山崎だけが残った。山崎が心持ち顎をあげ、わざとらしくチェック柄のネクタイを直す。長々とため息をついた。
「……まったく、とんでもないことに巻きこんでくれましたな。吾輩(わがはい)はこう見えても平和主義者なんですよ」
「ほう。それは寡聞(かぶん)にして知らなかったな。確か、きみは元軍人だったと聞いていたが?」
「自衛官ですよ。軍人じゃありません」
「たいして違いはないだろう」
「いや、吾輩に言わせてもらえば、自衛官というのは……」
「うるさいよ! あんたの身の上話なんて、うちは興味ないからね」
フーミンが一喝する。山崎は肩をすくめて、口をつぐんだ。ルウのほうは怒鳴られたぐらいで遠慮しない。
「きみの悪いクセだな。誰にでも昔話をふっかける、というのは。その性格は死んでも治らないようだ」
「死んでるのはあなただって同じでしょう」
と、ムッとして、山崎。
「私は死んでなんかいない。そもそも、生きてさえいないんだから、生死を問うのは無意味だよ」
「……ルウが死んでるって?」
あたしが口をはさむと、山崎は苦笑いを浮かべる。
「ああ、黒ネコのルウというのは昔、葵さんが飼ってたネコなんですよ。とてもかわいがってたそうですな。死んだときはひどく悲しい思いをしたとか……」
「私は黒ネコの姿を借りてるだけだ。黒ネコの生まれ変わりじゃない」
「やかましいね! 少しは黙ったらどうだい!」
フーミンが怒鳴ると、今度はルウも口を閉じた。あたしも口を開くのがためらわれて、黙りこむ。気まずい沈黙。フーミンが二本目のタバコに火をつける。それが合図になったかのように、甲板の上に青白い陽炎(かげろう)が揺らめいた。陽炎のなかから少女が現れる。
葵。セーラー服を着ている。どこか茫洋(ぼうよう)とした顔つき。自分の置かれた状況がのみこめないのか、肩を落としてつくねんと立ちつくしている。
「葵!」
あたしの呼び声に反応してハッと周囲を見回し、あたしたちに気づく。ややあって、おっとりとした微笑を浮かべた。
「こんにちは、芽衣」
「こんにちは、葵!」
「こんにちは、進藤さん。みなさんもおそろいのようですね」
「約束どおり、あんたらに協力してやるよ。せっかくの暴れまわるチャンスだ。うちらはやりたいようにやるからね」
「はい、ありがとうございます、進藤さん」
「葵さん、ごきげんよう。今日もお美しいですな」
「山崎さんもご協力、お願いしますね」
「承知しました。吾輩も微力をつくしましょう」
「用意はいいかい。始めるよ!」
フーミンがパンパンと手をたたく。たちまち、五十人近いファントムが甲板上に出現した。そのなかには昨日、決闘で戦った金太郎の巨躯もあった。金太郎と目が合う。金太郎は小さな目をすがめてニンマリとした。
「みんな、よく聞きな!」
フーミンが声を張りあげ、帆船の船首方向の空を指さした。あたしはそちらに目を向ける。ギョッとした。
空いっぱいに広がった黒い太陽が脈動していた。表面を走る赤い稲妻。まるでホンモノの太陽の紅炎(プロミネンス)みたいに、黒い炎の柱が表面から立ちあがり、周囲に浮かぶ夢を根こそぎ喰らいつくしていく。白い夢の球体はほとんどなかった。この空に浮かんでいるのはどれも汚れた夢の球体──悪夢だ。
夢魔──花鈴は、黒い太陽の中心にいる。あたしたちを待ち受けている。
あたしはグッとこぶしをにぎる。
「いまからまっすぐあそこへ突っこむよ! あんなかにはウジムシみたいな連中がワンサカといる。夢魔の手先ってヤツだ。遠慮はいらないから、手当たりしだいに始末するんだ! あんたらも悪夢に苦しめられた経験があるだろ。あれはみんなヤツらが元凶だ。たっぷりと仕返ししてやんな! わかったかい!」
ファントムのあいだからいっせいに喚声があがる。甲板をガンガンと踏み鳴らして、物騒なセリフを叫ぶ。武器を手にしている者がたくさんいた。たいていはゲームに出てくるような諸刃の重そうな剣だが、なかには日本刀や拳銃で武装している者もいる。武器だけではなく、迷彩柄の軍服を着た男や、ニンジャやサムライの格好をしている男もいた。山崎もいつの間にか白い軍服姿──たぶん、現役の自衛官だったときの再現なのだろう──になっていた。みんな意気軒高(いきけんこう)だ。経緯はどうあれ、無制限に暴れられるのが楽しくてしょうがないらしい。
帆船が加速する。いったいどうやって操船しているのか、皆目見当もつかないが、虚空に白い光の粒子の波を蹴立ててグングンとスピードを増し、前方の黒い太陽に向かって突進していく。なんだか遊園地のアトラクションにでも乗っているような気分だった。
「……やれやれ、困った連中だな」
騒ぎたてるファントムたちをながめて、ルウがこぼす。
葵はクスリと笑う。接近しつつある夢魔の要塞を見上げ、あたしに向かって大きくうなずく。
「芽衣、行きましょう」
「うん。行こう!」
あたしと葵は同時にバトルコスチュームを身にまとった。
「「装夢──バトルコスチューム」」
光の乱舞。
白い光の霧があたしたちの周りで渦巻く。ときおり赤や青の強い光をパッと明滅させて、まるで飢えたホタルの群れのように高速で飛び交い、あたしたちの身体に吸いこまれていく。
あたしと葵は、右手をうえに伸ばす。
次の瞬間──
宇宙に新しい星が生まれたかのような、まばゆい金色の光が膨張した。ファントムたちの輪郭が一瞬、光に呑みこまれた。フーミンの悪態。ファントムたちの畏怖の声。
光の爆発が収まると、あたしたちの変身は完了していた。
あたしは深紅(クリムゾン)の軽鎧(ライトアーマー)。
葵は巫女装束。
あたしは葵に向かって右手をかざす。葵がハイタッチ。気持ちのいいパンという音。
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他