紅装のドリームスイーパー
「おまえは夢のなかでも梁川とラブラブだったな。あー、ムカつく。悪夢が現実になるとは思ってもいなかったよ、この裏切り者!」
「…………」
これも夢魔の仕業と考えていいのだろうか。どうにも微妙だ。森が見る悪夢の内容なんてタカが知れている。たとえ夢魔が悪さをしていたとしても、気分が悪くなるような悪夢を見ることはなさそうだ。
「森君も昨日は応援、ありがとねぇ。またあるから、よろしくぅ」
「青春だねえ。うん、青春はいいことだ」
森の発言はもはや意味不明だ。
おれは菜月の手からラノベを奪回し、森に返す。
「サンキュ。おもしろかったよ、それ」
「だろ? で、これが二巻」
森が文庫本を差しだす。一巻目に引き続き、深紅(クリムゾン)の鎧の美少女が描かれている。菜月に言わせれば、肌色多めで。心なしか、胸元の露出面積がさらに増えているような気がする。
「ヤだ! エッチだよぉ。肌色ばっかりじゃん。ホント、男子ってエッチィ!」
悶える菜月に、森がメガネのブリッジを右手の中指で押しあげ、ニヒルな苦笑を洩らす。
「フッ。BLが愛読書の早見に言われたくはないね。肌色の多さではBLも負けてないだろ?」
「あう。そうかもしれないぃ」
おれは眉間を親指の腹でもむ。どうしてこうなった?
「……いつもその調子で大樹と話してるのか、おまえ?」
「大樹? ヤだ! 大樹はBLなんかに興味ないよぉ。リアルのBLっていうのも、なんかアレだしぃ」
「想像するな。ってか、おれをそんな目つきで見るんじゃねえ!」
菜月は明るい笑い声をあげる。
おれもつられて笑いながら、実感する。
ああ、菜月は生きているんだなって……。
ゴシップというのは、あっという間に拡散する。
二時間目が終わるころには、おれと梁川の仲がクラスメイトのあいだで取り沙汰されるようになっていた。いわく、おれが梁川に告白(コク)った。いわく、おれが梁川のマンションに押しかけて、あんなことやこんなことをしでかした……。
そうしたゴシップのどれもが当たらずも遠からずで、無条件に全否定もできず、なんとも微妙だった。
梁川に告白した。ちょっと意味は違うが、それに近いことは確かにした。
梁川のマンションに押しかけて、うんぬんかんぬん。押しかけたのは事実だ。予測不能の事故ではあったが、そこで梁川の半裸を目撃したのも否定できない。
女子からはすさんだ白い目で見られる。ネタを提供する森がよけいな尾ひれをつけて触れまわる。
梁川のほうはちっとも気にならないようだ。まあ、当然だろう。中身が人間じゃないんだから。おれを白眼視する女子も、なぜか梁川には一目も二目も置いているらしい。梁川の陰口はひと言も聞こえてこない。
三時間目。英語。例のグラビアアイドルもかくやという女性教師が、ミニスカートからスラリと伸びた脚線美を見せびらかせつつ、やたらとRの発音がいい流暢な英語を間断なく連発する。今日は授業に集中できた。ただし、集中したのは英語じゃなく、女性教師の芸術的なボディラインのほうだった。
後ろの席の菜月が元気だ。まるで死んでいたあいだの時間を取り戻しているかのように、しゃべって、はしゃいで、コロコロとよく笑う。席が近いだけに菜月との会話の量は断然、森よりも多かった。
「よくしゃべるな」
菜月の尽きることのないバイタリティにおれは閉口した。菜月はキョトンとした面持ちで、
「これでも普段よりはおとなしくしてるんだよぉ?」
勘弁してください。
三時間目の休み時間に大樹が顔をのぞかせた。菜月の机の横にはりつき、よく響く声で話す。大樹と言葉を交わすときの菜月のテンションは、おれのときとそんなに差がないように思えた。同じようにしゃべって、はしゃいで、コロコロと無遠慮に笑う。違いがあるとすれば、大樹を見るときの菜月の目つきだ。明らかにおれとは違う。瞳がより一層明るく輝き、柔和な光をたたえている。大樹も心の底から楽しんでいるのが、はた目からもわかった。
おれの心の表層を陳腐な定型句がよぎっていく。いわく、恋はひとを盲目にする。けだし至言である。
「翔馬、おれとクラスをかわらないか?」
と、大樹。半分冗談、半分真剣な口調で。
「おれはかまわないけどな、別に。大樹もマネージャーがすぐそばにいてくれたほうがなにかと都合がいいだろ?」
大樹が顎を持ちあげて豪快に笑う。いつも一直線の男。その融通のきかない、愚直なまでの人柄が、菜月の琴線(きんせん)に触れたのかもしれない。
「ところで、大樹。おまえ、菜月からやらしいって思われてるぞ」
「な?」
大樹が目を白黒させる。頬が赤くなってきた。見ていておもしろい。
「だって、いっつもあたしの胸ばっかり見てるじゃん、大樹はぁ」
と、菜月。なんでもない口調で。本人はあまり気にしていないらしい。
「…………」
大樹、無言。この男はマジメな分、こういう変則的な攻撃にとことん弱いらしい。意外な弱点だ。
「まあ、なんだ。大樹も男だ、ということだな」
「……お、おう」
「泣くなよ、大樹」
「泣いてねえよ!」
思いのほかダメージが大きかったのか、大樹は早々に退散した。次の試合は完封する、と脈絡のない宣言を言い残して。
雰囲気がいいな、と思ってしまう。菜月がいて、大樹がいる。
壊したくない。このすべてを。
四時間目が終わった。昼休みになる。
菜月は自分のお弁当箱を抱えて席を移動した。女子数人で固まって、和気あいあいとお弁当を広げる。大樹は乱入してこない。さすがに昼休みは遠慮しているのかもしれない。
さっそく購買部での菓子パン争奪戦に参加しよう、と思っていたら、梁川が声をかけてきた。お弁当箱をふたつ持っている。
「きみの分もつくってきた。ジャマが入らないところで食べよう」
おれはあんぐりと口を開ける。ピンクの地に水色のストライプ柄の、かわいい風呂敷に包まれた、ふたつのお弁当。ショック状態から立ち直るのに、時計の秒針が半回転するぐらいの時間がかかった。
「……おまえがつくってきたのか、そのお弁当?」
「そうだ。私がつくった」
「ウソだろ。ありえねえ……」
「意味がわからないな。なぜ、そんなに動揺する?」
おれと梁川を横目でながめて、森がいまいましげに呪いの言葉をつぶやく。
「リア充爆発しろ」
「…………」
なにも言い返せない。こんな事態は想定していなかった。
「フム。中庭のベンチがいいだろう。あそこならふたりだけで話せる」
かわいい女の子とふたりきり。しかも彼女の手作りのお弁当で、ランチタイムを満喫。男子高校生にとっては理想的なシチュエーションだが、それを手放しで喜ぶ気にはとてもなれなかった。
「どうした? 食欲がないのかな?」
「いや、食べるよ。ぜひとも食べさせていただきます」
梁川と連れだって教室を出る。彼女と肩を並べて歩くおれを目撃して、クラスメイトがざわつく。ゴシップのネタはつきない。どんどん燃料を投下している。放課後にはどんな奇抜なラブストーリーができあがっているのか、あまり考えたくなかった。
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他