紅装のドリームスイーパー
死ななかったことになった死者。花鈴の存在を上書きして蘇生した──あえていうならば、生きているゾンビ。ゾンビ、か。菜月をそんなふうに考えることはできない。菜月は、生きている。おれと同じように。
「ヤだ、なによぉ? もしかして、あたしの美貌に見とれてるぅ?」
「……あ、いや、なんでもねえよ。昨日はお疲れさん」
「うん、お疲れさん。翔馬の応援に感謝、感謝」
「勝ってよかったな、試合。あの調子なら甲子園に行けるさ」
菜月はエヘラと笑う。違う、と感じた。花鈴の笑い方と違う。唇の曲げ方が、目許が、花鈴と似ているようで違う。無意識のうちに花鈴と比べている自分がイヤになってくる。
「地区予選が始まるまでにあともう一試合あるのぉ。また応援に来てねぇ」
「ああ、そうするよ」
おれは微笑んで、ふと思いついたことを口にする。
「菜月、おまえ、兄弟がいたっけ?」
「へ?」
菜月は目をパチクリさせる。
「兄弟? 妹ならいるけどぉ?」
そうだった。確かに、菜月には妹がいた。でも、兄は……。
「お兄さんは?」
「はあ? あたし、上の兄弟なんていないよぉ?」
菜月の声が裏返る。
やっぱり。浩平の存在は消えてなくなっている。予想どおりだった。花鈴の記憶は失われているのに、おれひとりだけが花鈴を憶えている。それと同じように、浩平の存在は消えても、おれだけが憶えている。なんともややこしい状況だ。
「ごめん、ごめん。おれの勘違いだな」
「ヤだ、突然、なにを言いだすのぉ? 駿平君も言ってたけど、翔馬、昨日からなんだかヘンだよぉ? 熱でもあるのぉ?」
菜月の手がスッと伸びて、おれのおでこに触れる。
ドキリとした。心配そうにおれを見つめる菜月の瞳に。額に触れた彼女の指先の柔らかい感触に。
菜月が小首をかしげる。
「大丈夫?」
「……熱はないと思うぞ」
「ヘンなモン、食べたんじゃないのぉ?」
「んなわけねえだろ」
「あ、昨日はナポリタンしか食べれなくて泣いちゃったとかぁ?」
「幼稚園のガキか、おれは」
「うーん、もしかして、勉強のしすぎぃ?」
おれは天井を仰ぐ。菜月のペースにはどうもついていけない。直情径行(ちょくじょうけいこう)な性癖のある大樹とどうして波長が合うのか、おれにはいまもってナゾだ。
菜月が机にグッと身を乗りだし、おれの顔を間近からのぞきこむ。たわわな胸のふたつのふくらみがはっきりとわかった。
「なにか悩みごとでもあったりする?」
菜月は真剣なハナシをするとき、間延びした口調じゃなくなる。つまり、いまはマジメなハナシをしている、ということだ。
いつもそうだった。他人の心配ばかりしている。他人を気遣ってばかりいる。それが菜月の長所だと思ったこともあるし、わずらわしいと感じたこともある。
「……悩みはねえよ」
「ホントに?」
あっても、菜月に話せるようなことじゃない。なんといっても、最悪の場合、菜月はこの世界からいなくなって、死者に逆戻りする可能性が高いんだから。そんなことを本人に面と向かって告げられないし、告白したところで信じてはくれないだろう。またもや、おでこに手を押し当てて、熱がないかどうか確かめられるのがオチだ。
菜月の顔から目をそらす。といっても、目のやり場がない。自然と視点が下にすべって、ふくよかな胸に固定される。おれがなにを見つめているのか、やっと気づいたらしい。菜月がプッと頬をふくらませる。
「ヤだ! なに見てんのぉ? 翔馬、やらしいよぉ」
「す、すまん……」
菜月は椅子に腰を落とし、わざとらしく腕で胸を隠した。
「やらしい、翔馬、やらしいよぉ。セクハラだよぉ」
「だから、そんな大声で……」
おれがあわてふためくと、菜月はあっけらかんとした声で笑う。笑って、許してくれた。
「大樹もやらしいけどねぇ。男の子ってみんなスケベェ」
「……その話題、いいかげんにやめにしないか」
「エッチな小説、読んでるでしょ?」
「エッチ?」
少し考えて、思い当たった。スクールバックからラノベの文庫本を取りだして、表紙を菜月に見せる。
「これのこと?」
「ヤだ! うわあ、エッチィ」
「エッチって……おまえなあ、これが普通なの!」
「妄想するんでしょ? こんな女の子がいたらいいなあってぇ」
妄想どころか、夢の世界では彼女になりきっているだなんて、口が裂けても言えない。
「中二病、満載だねぇ」
おれの手からラノベをひったくり、パラパラとページをめくって菜月が身も蓋もない感想を述べる。巻頭のカラーイラストをつくづくながめて、ひと言。
「肌色がやたらと多いよねぇ、こういうのってぇ」
「……そういうおまえは普段、なに読んでるんだよ?」
「あたし? うーん、好きなのはBLだけどぉ。BLって知ってるぅ?」
「いい。解説してくれなくても。知ってるから」
おれはドン引きする。菜月にそんな趣味があるとはついぞ知らなかった。それを気おくれすることもなく、堂々とカミングアウトする菜月のメンタルはどうにも普通じゃない。
菜月は笑顔を崩さない。さっきから台風の目の笑窪がへこみっぱなしだ。
わかっている。おれのような鈍い男だって感づく。これも菜月なりの気配りだってこと。
おおざっぱな性格に見えて、ホントは繊細なところがあるんだ、菜月には。
「……なにやら楽しそうだな」
別の方角から柔和な少女の声が降りかかってきた。左を向くと、梁川が腕を組んで菜月の机の横に立ち、おれたちを冷ややかな眼差しで見下ろしている。腕を組んでもあまり起伏が目立たない、とても残念な胸。ついつい、菜月のたっぷりとしたボリュームと比較してしまう。
「なにぃ、梁川さん? あたしになんか用でもあるのぉ?」
「きみじゃない。用事があるのはそちらだ」
梁川はおれに向かってぞんざいに顎をしゃくり、
「新城翔馬。あとでハナシがある」
凛と響く声。菜月だけじゃなく、周囲の席のクラスメイトがにわかに注目する。
「え? それって告白ぅ?」
空気を読めないのか、それともこれも演技なのか、菜月が見当外れなことを口走る。
「わかったよ。あとで、な」
と、おれ。なるべくそっけなく聞こえるように。
梁川が眉をひそめる。険のある口調で、
「きみが私のマンションに寄ってくれればよかったのだ。道すがら話す時間ぐらい、あったはずだぞ」
こいつも菜月と同じぐらい、周りの空気が読めない。菜月の隣の席の女子が興味しんしんという顔をしている。
「悪かったよ。そこまでは思いつかなかった」
言われて、なにも考えていなかった自分のあさはかさを内心でののしった。
「ヤだ! ふたりいっしょに登校ってことぉ? いつの間にそんなに仲良くなったのぉ?」
「おまえは少し黙ってろ」
「ふえーん。翔馬に怒られたよぉ」
「昼休みになったら、私から声をかける。そのまま席にいてくれたまえ」
「了解」
太い三つ編みの髪の房を左右に揺らして、梁川が立ち去る。それと入れかわりに、今度は気色の悪い笑みをはりつけた森がやってきた。
「ずいぶんと楽しそうじゃないか。リア充め、とっとと爆発しろ」
「……森、おまえもか」
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他