紅装のドリームスイーパー
校舎と体育館のあいだにはさまれた中庭には、四角い花壇に沿って白い木製のベンチが数脚、等間隔に配されていた。梁川はいちばん右端のベンチを選んで腰かけ、おれに隣に座るよう、ベンチの座面をポンポンとたたく。おれはおとなしくそれに従う。高い位置から照りつける陽射しが少し暑い。目の前の花壇には名前のわからないピンク色の花が咲きほこっていた。周囲に人影はなく、ひっそりとしている。
梁川がお弁当のひとつをおれによこす。もらったお弁当を膝にのせ、包みを開いた。淡いオレンジ色の、角が丸いランチボックス。フタが透けて中身が見える。フタをとる。
絶句した。まさかのキャラ弁だった。
たぶん、日曜日の朝に放映している、女児向けのアニメのキャラ──魔法少女なんちゃら、というヤツだ。ツインテールの金髪を細切りのタマゴ焼きで巧みに表現している。海苔をくりぬいて作ったつぶらな眼がなんともかわいらしい。
「おい。なんだ、これ?」
「知らないのか。『魔法少女まじかる☆ツインズ』だ」
「違う。そんなことを訊いてるんじゃねえ。なんだ、この弁当は?」
「レシピを参考にして作ったんだが、どこかまちがってたかな?」
「そういう問題じゃねえだろ。なんでいい歳した男子高校生が『魔法少女まじかる☆ツインズ』とやらのキャラ弁を食べなくちゃならないんだ?」
「芽衣に似てると思わないかね? われながら会心のできだと自画自賛してるのだが」
「……もういいです。いただきます」
梁川のお弁当も、おれと同じ金髪ツインテール美少女のキャラ弁だった。
おそるおそる口にしてみると、塩味の味付けが絶妙で、案外おいしい。梁川はいいお嫁さんになれるな、と益体(やくたい)もないことを思う。これが普通の人間の女の子だったら、おれは歓喜の涙を流して喜んでいただろう。なまじ梁川の内側にひそむモノを知っているだけに、ちっともうれしく感じない。
「で、ハナシっていうのはなんだ?」
ミートボールを口に放りこみながら、おれは尋ねる。
「もちろん、夢魔のことだ」
と、細切りのタマゴ焼きを器用に箸でつまんで、梁川。
「きみも気がついたかな? 最近、悪夢を見る人間の数が急激に増えてる」
「……弟の駿平が悪夢を見たと言ってたな。あと、森も。まあ、森のは悪夢かどうかはなんともいえんが」
「口に出さないだけで、悪夢を見た人間はもっと多いはずだ。夢魔が力を増したせいだよ。夢魔が夢を喰らって悪夢に変えてる」
「このまま放っておくとゲシュタルトが破壊されて、人間は夢を見ることができなくなる……そういうことだったな」
「正確には私のゲシュタルトに属する人間に影響が出るだけだが、それでも人数は十万人をくだらないだろう。ゲシュタルトは地域と密接な関連性があるから、この街に住む人間のほとんどが夢を失うことになると思ってもいい」
「そうなるまえにおれと葵とで夢魔を斃(たお)して、花鈴を助けだす!」
「以前にも言ったはずだ。薬袋花鈴を助けだしたかったら、タイムリミットは四十八時間以内だ、と」
「ああ。忘れてない」
「つまり、夜までには夢魔と決着をつける必要がある」
おれは箸の動きを止める。マイペースで食べる梁川の横顔をじっとうかがい、
「……今夜じゃ遅いのか?」
「遅いな。夢魔を攻めあぐねてモタモタしてるうちにタイムリミットがきたらどうするつもりなんだ? それだと間に合わない」
「ってことは、学校にいるあいだになんとかしなくちゃならないんだな?」
「いまならマナも充分に回復してるはずだ。午後の授業は休みたまえ。学校にはそのための施設があるだろ?」
「施設? 保健室のことを言ってるのか?」
「そうだ。その保健室だ。私が付き添う。弁当を食べたらすぐ保健室へ行くんだ。あまり時間がない」
そのときのおれは、「あまり時間がない」という意味を、タイムリミットの刻限がせまっている、ぐらいにしか解釈しなかった。それだけではなかったことを、おれはあとで思い知った。
「わかった。突然の腹痛ということにしておこう。どうせ五時間目は数学だしな。あれはどうしようもなく退屈だ」
「フム。別に仮病を装う必要はないぞ。私がなんのために弁当をこしらえてきたと思ってるんだ?」
「……え?」
梁川は用意周到だった。しかも、目的を達成するためには手段を選ばない非情さも持ちあわせている。
二十分後。
おれは突然の腹痛で顔中に脂汗をにじませ、梁川に付き添われて保健室に駆けこんだ。
同じ弁当を食べたのに、梁川は平然としていた。やっぱりこいつは人間じゃない、とおれはいまいましく思った。
保健医の神崎先生はおれの顔を憶えていた。
先週の金曜日にお世話になったばかりだから当然だろう。ただ、神崎先生が憶えている内容はおれの記憶と異なっていた。
「今度は新城君なの? このあいだとは逆ね」
青ざめたおれの顔を見るなり、神崎先生は目を丸くした。先生のなかでは、先週の金曜日、保健室に来たのはおれと梁川で、梁川は貧血を起こしてしばらくベッドで休んでいたことになっているようだ。ここでも現実が都合よく改変されている。
神崎先生は付き添いで来ている梁川に視線を移して、
「梁川さんはなんともないのね?」
「私は心配ない。彼は腹痛だそうだ。しばらくベッドで寝かせてもらえないか?」
神崎先生に向かってタメ口かよ、などとツッこむ気力はない。胃がキリキリと痛む。いったいなにを食べさせられたのか──吐き気がないのはせめてもの救いだった。
神崎先生がいろいろと質問してくるが、梁川はにべもなくはねつけた。ベッドで休めばすぐに治る、の一点張りだ。たぶん、そのとおりなのだろう。まったく、とんでもない策士だ。
梁川の手を借りて、おれはベッドにもぐりこむ。胃が体内でのたうちまわっている。胃壁を内側から針でつつかれているような気分だった。
「クソ……こんな状態で眠れると思うのか?」
「問題ない。効果はちゃんと計算してるからな。しばらくすれば腹痛は治まる。ぐっすりと眠りたまえ。私はここにいよう」
梁川はベッドの横に丸椅子を持ってきて腰かけ、おれの手をギュッとにぎった。ピンクの縁のメガネの奥で、怜悧(れいり)な双眸がおれを凝然と見守っている。
「菜月……」
「彼女がどうかしたのか?」
「もしかしたら、菜月の生きてる姿を見るのはこれで見納めになるかもしれないのに……菜月とハナシができなかった」
「なにを話すつもりだったんだ? まさか、面と向かってさよならと言うわけにもいくまい?」
おれは右手で顔を覆う。肩をわななかせて苦笑いする。そのとおりだ。別れの言葉は口にできない。
それでも……。
菜月とはもっとハナシをしたかった。二年間のブランクを少しでも埋めたかった。
いや、そうじゃない──
自分が誓ったことを思いだせ。
おれは花鈴を助けだす。菜月も死者に戻したりはしない。菜月と会うのがこれで最後だと思っちゃいけない。そう誓ったじゃないか。
その誓いを、最後まで守りぬけ。
梁川の言葉のとおり、横になっていると胃の痛みがだんだんと沈静化してきた。えぐるような痛みが引くと、まるで潮が満ちるように眠気がそろそろと押し寄せてきた。
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他