紅装のドリームスイーパー
金太郎がつぶれた声を洩らす。今度はヤツが後方に吹っ飛んだ。二度バウンドして、背中を甲板にズルズルとこすりつける。リングの縁よりずっと手前で止まった。
葵が喜びの声をあげた。観客があっけにとられて黙りこむ。
金太郎が頭を振って起きあがろうとする。そうはさせない。あたしは走る。金太郎の足首をつかんだ。
腹の底から吠えた。大量のマナが体内で発火する。
熱い血潮の奔流。無限にわいてくる力。
全身の筋肉が貪欲にエネルギーをむさぼり喰う。
「おまえなんか……」
金太郎の巨体を持ちあげる。身体のあちこちで骨がきしんだ。しびれるような痛み。それでも手を放さない。大男を振りまわした。夢のなかでも遠心力はちゃんと働いた。金太郎の足が、腹が、首が、回転軸の外側にひっぱられて、壊れた人形のようにグンと伸びる。
金太郎が悲鳴をあげる。あたしに振りまわされて、金太郎の悲鳴がグルグルと渦を巻く。
「消え失せろ!」
あたしは手を放した。金太郎の巨躯が山なりの放物線を描く。顔面から甲板に激突した。勢いが止まらない。顔で羽目板を激しくこすりながら、リングの上をすべっていく。数メートルすべって、やっと止まった。
あたしは息をあえがせる。
金太郎の胸から上がリングの外に出ていた。
あたしの、勝ちだ!
観衆がどよめく。勝負の結果に憤慨して、いっせいに甲板を踏み鳴らした。
葵が駆け寄ってきた。倒れかかったあたしを、葵が手を伸ばして支えてくれた。
「芽衣、勝ちました!」
葵があたしを抱きしめる。うれしくて、うれしくて、しょうがないらしい。何回も「勝ちました!」と繰り返す。
「うん……ありがと。葵が信じてくれたおかげだよ」
「戦ったのは芽衣ですよ。あなたが自分の力を信じたからです」
あたしは乾いた声で笑う。魂が抜かれてしまったかのような虚脱感。身体に力が入らない。葵が支えてくれないと、いまにもくずおれてしまいそうだ。
ルウがしなるようなネコ独特の歩き方で近づいてきた。牙をのぞかせてニヤリとする。
「おめでとう、芽衣。ついにやりとげたな。きみにはいつも驚かされるよ」
「フフ……もっとほめてよ」
「あまりうれしそうじゃないな?」
「ちょっと疲れたかな」
「フム。マナを消費しすぎたようだな」
葵があたしを座らせてくれた。めまいがする。さっきから視野が揺れて、安定しない。
「……芽衣、大丈夫?」
「ごめん。大丈夫じゃないみたい」
葵の肩の向こうで、金太郎がむっくりと起きあがる。小さな目をしょぼつかせ、さかんに首をひねっている。どうして自分が負けたのか、いまだに理解できないようだ。あたしと目が合う。一瞬、困惑の表情が顔をよぎったが、長い舌で唇をなめずり、おずおずとぎこちない笑みを浮かべる。
フーミンがおもむろに立ちあがった。タバコを足で踏み消し、クマのぬいぐるみみたいに、足を開いて座っている金太郎に近寄っていく。フーミンの背中に仲間の怒声が突き刺さる。フーミンが肩越しに振り向いてひとにらみしたとたん、威勢のよかった声はピタリとやんだ。
フーミンが金太郎を冷たい眼差しで見下ろす。金太郎の顔がひきつる。白い頬を緑色の汗が筋を引いて転がり落ちていく。金太郎は尻をつけたまま、ジリジリとあとずさった。
フーミンがサッと足を伸ばして、金太郎の頭のてっぺんを踏みつけた。金太郎がヘンな声を出す。大男がつぶれた。足を開いたまま、ストレッチ体操のような前屈の体勢になる。フーミンは容赦なく金太郎の頭を踏みにじった。金太郎が情けない声を洩らす。だんだんと頭が下がっていって、甲板におでこがくっつく。それでもフーミンは踏みつけるのをやめない。
「クズが。もう二度とよけいなマネをするんじゃないよ。わかったかい?」
聞きとりにくいくぐもった声が、金太郎の口からこぼれてきた。謝罪しているらしい。フーミンは舌打ちする。かかとを金太郎の後頭部に落とした。なにかがつぶれるような音がして、金太郎の頭部が甲板にめりこむ。金太郎はそれっきり動かなくなった。
敗者の処罰を終えると、フーミンはあたしに顔を向けた。猛烈に怒っている。ぎらついた光を放つ眼が、彼女の胸のうちを雄弁に物語っていた。
「……よくこいつに勝ったね。たいしたもんだよ、あんたは」
と、フーミン。渋々といった口調で。
あたしには微笑むだけの力も残っていなかった。唇の端をわずかに持ちあげて、
「約束、守ってもらうからね。夢魔との戦いに協力して」
「約束は守るさ。メチャクチャ気分悪いけどね」
フーミンは大仰に肩をすくめた。背後に陣取る五十人の仲間を、肩越しに親指で指し示した。
「こいつらも手伝わせる。まあ、ヒマを持てあましてたから、ちょうどいい運動になるだろうさ。やってやろうじゃないの」
「ありがとう」
「ケッ! あんたから礼を言われる筋合いはないね」
動かなくなった金太郎の脇腹を蹴飛ばす。金太郎はピョンとはね起き、四つん這いでそそくさとその場から逃げだした。ファントムたちのあいだからまばらな失笑が洩れる。
フーミンはあたしをまっすぐににらみつけた。
「ドリームスイーパーの芽衣、これだけは言っておくよ。うちに命令するな。うちはうちの好きなようにやる。あんたの指図を受けるつもりは毛頭ないからね」
「それでいいよ。夢魔と戦ってくれれば……」
フーミンは盛大に鼻を鳴らした。
あたしは頭をあげているのも困難になってきた。力が抜けて、うなだれる。夢のなかなのにめまいがひどい。世界がグラグラと不安定に揺れ動いていた。
「……芽衣?」
葵が心配げにあたしの顔をのぞきこむ。
「苦しいの?」
それに答える気力もない。
「夢魔に殺されて復活したばかりだからな。まだ完全にアバターが回復していない。もう限界だよ。これ以上の活動はムリだ」
あたしの様子をうかがって、ルウが断言する。
「夢魔との決戦は明日にしよう」
「あたしはまだ……」
「そんな状態で夢魔と戦えるはずがない。今夜はゆっくりと休みたまえ」
フーミンのほうを向いて、
「ご覧のとおりだ。夢魔との戦いは明日になる。それでいいかな?」
「うちはかまわないよ」
「フム。決まりだな」
あたしは嘆息する。わかっている。ルウの言うとおりだ。こんなボロボロの状態で夢魔と戦えるわけがない。
それでも──いますぐ夢魔と戦いたかった。
一刻も早く、花鈴を助けだしたかった。
だって、あたしは……。
葵が、あたしの名前を呼んでいる。
その声が、どんどん遠くなっていく……。
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他