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紅装のドリームスイーパー

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 葵に暴露されて、山崎は小さく悪態をついた。面映(おもは)ゆいのか、葵と目を合わせようとせず、床に視点を落としている。怒らせていた肩はすっかり丸くなっていた。ルウが「フム」と嘆声を洩らす。あたしはハラハラしながらふたりのやりとりを見守っていた。
 しばらくして、山崎が力のない声で笑う。大仰にため息をつき、肩をすくめた。
「吾輩も普通の男だった、ということですよ。そうです、あなたの言うとおりです。裏切られても、あの女を忘れることはできませんでした。それに娘のことも……。娘は母親についていっただけですから」
「奥さんと娘さんを許してやってください。そして、今度はおふたりを守ってあげてください」
「だから、夢魔と戦えと?」
「夢魔は強力な要塞を築いています。わたしたちだけでは近づけません。山崎さんたちには援護を頼みたいのです」
「わたしたち、ねえ……」
 意味ありげな視線をあたしに送って、山崎は顔をしかめる。
「わたしたち、というのは、そこのお嬢さんもドリームスイーパーになった、という意味かな?」
「そうです」
 あたしの代わりに葵が答える。
「わたしと芽衣、ドリームスイーパーはふたりです」
「たったふたりで夢魔に勝てるとでも?」
「絶対に、勝つ」
 今度はあたしが宣言する。山崎が目を細める。あたしは不敵な笑みを浮かべて、
「だけど、あなたたちの援護がないと勝てないかもしれない」
「ハッ! 吾輩が何者か、知ってるんでしょうな?」
「ファントム──幽霊でしょ? 現実世界では死んでる人間」
「ご名答です、お嬢さん」
「どうせ消えていなくなるんだったら……」
 あたしは語気を強める。
「なにか仕事をしてから消えれば?」
「……なんだと?」
 山崎が歯をむく。血走った両目であたしをにらむ。葵が声は出さずに口だけ動かして「ちょっと……」とあたしを牽制している。あたしは負けじと山崎をにらみ返した。ルウは棚の上に寝そべり、あたしたちの攻防を呑気にながめていた。
 さきに目をそらしたのは山崎のほうだった。ふてくされた表情で、言いにくそうに口のなかでつぶやく。
「言いたいことをズケズケと口にするお嬢さんですな。まったく、吾輩の娘とそっくりですよ」
 湿ったため息をついた。ぶっきらぼうな口調で、
「ボスがなんというかな。そいつは保証できませんよ。気まぐれですからね」
「山崎さん、それじゃあ……」
「わかりましたよ。吾輩たちの船までお嬢さんがたを案内しましょう。ボスとの交渉はお任せしましたよ。吾輩は案内するだけです」
「はい! ありがとうございます!」
 葵が喜色満面で山崎の両手をとり、ブンブンと上下に振る。山崎はまんざらでもなさそうに顔をほころばせている。ルウは感心したようにゴロゴロと喉を鳴らした。
「山崎さんのボスはフーミンさんですよね? そのかたに会わせてください」
「ああ、いいですとも。ただし、条件があります」
 顔のまえに右手の人差し指を立てて、山崎はいかめしい顔つきになる。葵は口をとがらせた。
「条件、ですか?」
「なあに、とっても簡単なことですよ」
 山崎はケラケラと笑って、
「本人のまえでフーミンというあだ名を口にしないことです。彼女、自分のあだ名が気に入らないんですよ。あなたたちもフーミンを怒らせたくはないでしょ? 交渉が一発でパアですよ……」

 山崎が「つかまってください」と両腕を差しだす。
 あたしは山崎の右腕、葵は左腕にしがみついた。両腕に美少女ふたりをぶらさげて、山崎が年がいもなく頬を緩める。ルウは葵の肩に乗った。両腕に花、の状態で、いっかな動こうとしない山崎の耳元に「早くしたまえ!」とルウが強く促す。
「せっかちなひとですな、あなたは」
 山崎がおもしろくなさそうにぼやく。
「きみの趣味につきあうつもりはないぞ。いまは悠長にかまえてられないんでね。さあ、きみのボスに会いに行こうではないか」
 山崎はブツブツと口のなかでこぼした。
「行きますよ」
 遷移する。
 夢と夢がせめぎあう虚無の空間──その間隙に出現した。
 あたしは何度もまばたきする。足元を見た。羽目板をはめこんだ硬い床があった。目線を転じると、大きくふくらんだ白い帆と太いマストが真っ暗な空を背景にぼうっと浮かびあがっている。羽目板の床の向こう端には船尾楼らしき構造物があった。
 どうやら──なんとも時代錯誤な光景だけど──帆船の甲板にいるらしい。
 葵が目を丸くしている。山崎になにか言おうとした瞬間、あたしたちの周囲にいくつもの人影が音もなく現れた。
 あたしは四囲に視線を配る。人数は三十人ほど。服装も年齢もまちまちだった。山崎と同様のサラリーマン風の男がいる。一見すると、買い物に出かけた主婦のような女性も何人か混じっていた。警察官の制服に身を包んだ男、薄緑色の作業着を着た男、テニスウェアの女性、ザックを背負った登山スタイルの女性。
 統一感も連帯感もない、雑多な老若男女の集団。
 ただ、ひとつだけ彼らには共通点があった。じっと陰気な眼差しであたしたちを注視している。明らかにあたしたちは歓迎されていなかった。
 あたしたちを囲む人垣のなかから、黄色のTシャツにジーンズというラフな格好をした女性が進みでてきた。外見は三十代のなかばごろ。肩まで伸びたボサボサの髪。きつい印象を与える、つりあがった目。なかなかの美人だ。口にくわえたタバコをせわしげにふかしている。
 紹介されなくてもすぐにわかった。この女性がフーミン──ファントム集団のボスだと。
 フーミンはうろんな目つきであたしたちをジロジロと観察した。あたしと葵のふたりをまといつかせたままの山崎をにらみつけ、タバコの煙を盛大に吐きだす。
「……山崎、その女の子たちは誰?」
 と、フーミン。ハスキーなしゃがれ声で。
 山崎が軽く肩をすくめる。葵に向かって顎をしゃくった。あとは自分たちでなんとかしろ、と言いたいらしい。
 山崎の腕を離して、葵がフーミンと向きあう。フーミンの不機嫌そうな視線を浴びてもいっこうにひるむ様子はない。昂然(こうぜん)とおもてをあげ、唇を真一文字に引き結ぶ。あたしは葵の隣に並んだ。葵と同じような表情を取りつくろうが、どこまで効果があるのかはわからない。葵の肩から降りたルウは甲板に尻をつけて座りこんだ。いっさいの感情を宿さない透徹した金色の瞳で、フーミンと彼女の仲間の面々を品定めしている。
「あなたが進藤芙美子さんですか?」
 葵が平坦な声色で呼びかける。フーミンは片方の眉を持ちあげた。目だけを動かして、無言の問いかけを山崎に送る。山崎はニヤリと笑ってごまかす。フーミンはフンと鼻を鳴らした。タバコを深く一服。わざと強く煙を吐きだして、葵の顔に吹きかける。葵は顔をしかめた。が、煙を払いのけようとはしない。
「ファントムじゃないね、あんたら」
 と、フーミン。不愉快そうな顔で。
「そのとおり。彼女たちはドリームスイーパーだ」
 威厳を感じさせる深みのある声で、ルウが答える。黒ネコがしゃべってもフーミンは驚かなかった。軽く舌打ちしてタバコを床に投げ捨て、足で踏みにじる。