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紅装のドリームスイーパー

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 室内には先客がいた。色黒い中年の男。たぶん、この夢を見ている人間だ。
 男は洗面台に向かい、ざらついたひげをカミソリでそっている。カミソリは黄色い紙でできていた。とてもそれでひげがそれるとは思えないが、いっこうに気にならないらしい。なまくらのカミソリの刃を頬と顎にあてがい、せっせと手を動かしている。
 と、男の姿が忽然と消え失せた。目が覚めたのだろう。
 あらためて室内を見回す。さっきまでテレビがあったところに、薄緑色の筐体(きょうたい)のパソコンが置かれていた。パソコンの画面のなかで棒グラフが狂ったように伸縮を繰り返している。目を凝らしてながめても、なにを表しているグラフなのか、さっぱり読みとれない。
 この部屋に誘導したのは葵だ。巫女装束のバトルコスチュームのままベッドに浅く腰かけ、隣に座るよう、あたしを手招きする。あたしもバトルコスチュームを装着したままでベッドに腰を下ろす。ベッドの足元にルウが丸くなった。
「だいたいのことはルウから聞きました」
 と、葵。彼女のしっとりとした笑みが伝播(でんぱ)して、あたしの口許を緩める。
「あなたが現実世界では新城さんだということは聞かされませんでしたけど……」
 ルウをチラッと見て、困ったように口をとがらせる。ルウはそっぽを向いて知らんぷりを決めこんでいる。
 あたしは苦笑する。
「いまさら秘密にしたってしょうがないよね。いいよ、全部話すから……」
 花鈴のこと、菜月のこと、大樹のこと……それに浩平が夢魔だったこともすべて葵に語って聞かせた。
 続けて、四十八時間以内に夢魔を斃(たお)さないと花鈴は現実世界から完全に消滅すること。
 けれども、花鈴を助けると、代わりに菜月が死者に戻ってしまうこと。
 それも話した。
 葵は黙ってあたしのハナシを聞いていた。あたしが語り終えると、葵はあたしの手をにぎり、優しくささやいた。
「助けたいんですね。薬袋さんと早見さん、ふたりとも」
「……ルウには虫がよすぎるって言われたけどね」
 ルウは耳をピクピクと動かした。批判をこめた目つきでジロリとあたしをにらむ。
「当然だろう。そんなに都合よく解決するはずがない。もう少し現実的になるべきだ」
「わたしたちは夢のなかにいるのに現実的になれって、なんだか矛盾していませんか、ルウ?」
 ルウは急に壁紙に興味を持ったらしく、熱心に観察している。その様子を見て、葵は小さく笑った。それから真顔になって、
「考えましょう、わたしたちで。あきらめるのはまだ早いですよ」
 あたしは首を縦に振る。もちろん、そんなにあっさりとあきらめるつもりはない。最後の最後まであがいてやるつもりだった。
 それでもどうにもならなかったら……そのときはそのときだ。
 ためらうかもしれない。迷うかもしれない。あたしはどうしようもない優柔不断だから。
 けれども、決断しなければならないときがきたら、あたしはもう迷わない。
「葵、あたしは現実世界では新城翔馬という男子高校生で……」
 葵はやんわりと手で制して、あたしの言葉を押しとどめる。
「もういいでしょう、そのハナシは。あなたは芽衣。わたしは葵。何度もそう言ったはずです」
「でも……」
「正直、あなたの現実世界での姿を知ってびっくりしましたけれど……それだけです。わたしはあなたを芽衣という名前の女の子だと思っています。わたしと同じ、このゲシュタルトを守るドリームスイーパー。それで充分じゃないですか」
 あたしが黙りこむと、葵は神妙な顔つきになった。
「……わたしのことを知りたいんですね?」
「ごめん。どうしても気になって。だって、現実世界では新城翔馬と顔見知りなんでしょ?」
「はい。あなたはわたしの名前を知ってるはずです」
 あたしは葵の顔をじっと見つめる。翔馬の知りあい──三村沙綾さんに似ていなくもないけど、別人だといわれたらそうかもしれない。わからない。けれども、沙綾さんは葵の名前に反応しなかった。もしかしたら、知らないふりをしていただけかもしれないけど……。
「そんなに気になるんですか? すぐにわかりますよ、わたしのこと」
「え?」
「いまは……話したくありません。ごめんなさい」
「ううん、いいの。その……無理強いするつもりはないから」
 あたしと葵とのあいだに気まずい空気が流れる。それを吹き飛ばしてくれたのは緊張感に欠けたルウの声だった。
「フム。私からもいいかな? なにか方法を模索するにしても、夢魔を滅ぼさなければ意味があるまい?」
 あたしと葵はそろって黒ネコに視線を移す。ルウは金色の眼を大きく見開いて、
「薬袋花鈴と一体化した夢魔は強大だ。さきほどの尖兵との戦いでも充分にわかっただろう。葵、いままでにきみが戦ってきた夢魔とは強さのレベルが違う」
「……そうですね。確かにあれだけの数の尖兵をいちどきに出現させる夢魔はまれですね」
「そうなの? そんなに強いの、花鈴は?」
「人間と融合することで絶大な力を得た夢魔だ。そこまで強力な夢魔はそうそういない」
「で、あたしたちに勝算は?」
 葵とルウが憮然と顔を見合わせる。あたしの問いかけに答えたのはルウだった。
「残念ながら勝算は高くない。いや、いまのままだとほとんど勝算はない、と断言してもいい。やみくもに突っこんでも返り討ちにあうだけだ」
「勝算はないって……ホントに?」
「窓の外を見てみたまえ」
「へ?」
「見れば私の言ってることが実感できるだろう」
 あたしはルウを、次に葵を見やる。葵は顔をしかめた。あたしはベッドから腰をあげ、手近な窓を探す。デスクの上にあったパソコンはいつの間にか、ずいぶんと古風な蓄音器に入れかわっていた。かすれたヴァイオリンの調べが蓄音器から洩れでてくる。デスクの右横に大きな窓が切られていた。窓に近寄り、外をのぞく。あたしの横に葵が並び、いっしょになって外をのぞいた。
 見慣れた灰色の空を見上げ──あたしは息を呑んだ。隣で葵が目を丸くしている。
 空には真っ黒な太陽が居座っていた。まるでそこだけ空が破けて、背景の宇宙空間が露出しているかのようだ。大きさも尋常じゃない。ホンモノの太陽にくらべると途方もなく大きい。空の半分近くを占める大きさにふくらんでいる。ときおり、黒い太陽の表面で複雑に枝分かれした真っ赤な稲妻がひらめいた。黒い太陽の表面の右上から左下に向かって、稲妻のジクザグの線がサッと走りぬける。鼓動だ──そう思った。あの黒い太陽は脈動している。真っ赤な稲妻は、さしずめ血管を流れる血潮だった。
「……なに、あれ?」
 声が震えた。黒い太陽の拍動がここまで聞こえてくるような気がした。
「夢魔が築きあげた要塞だ」
 と、淡々とした口調で、ルウ。
「あれが? もしかして、夢魔はあそこにいるの?」
「そのとおり。薬袋花鈴はあの中心核にいる」
 絶句する。想像していた以上の厳しい状況に。
 ルウがあまりにもいつもと変わらない調子でしゃべるものだから、たいしたことはないような印象を受けるが、それにしても……衝撃的な光景だった。
 葵が目を細める。黒い太陽を見据え、ひとりごとのようにつぶやく。
「あのときと同じですね。いえ、それ以上かも……」