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紅装のドリームスイーパー

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 あたしも笑顔で葵に声をかけようとして──彼女の背後のクレーターの縁に人影が立っているのに気づき、口をパクパクさせた。気配を察して、葵とルウが同時に振り向く。そのまま凍りついた。
 そこにいたのは少女だった。
 亜麻色の髪。丸みを帯びた顔の輪郭。紺色のブレザーの制服の裾が、あるかなしの微風にひるがえっている。
 薬袋花鈴。
 夢魔に憑依され、夢魔と同一化した少女。現実世界での「おれ」──翔馬の幼なじみ。
 ラピスラズリの色合いを封じこめた妖しい瞳が、冷然とあたしたちを見下ろしていた。薄紅色の唇がしなり、酷薄な微笑をかたちづくる。とぎれがちな含み笑いを洩らした。ひからびた風が少女を押し包み、亜麻色の長い髪を乱暴に散らす。
 そうやってどのぐらいのあいだ、身じろぎもせずに花鈴と対峙していただろう。数秒かもしれないし、数分かもしれない。夢の世界に時間の流れは無意味だ。それでも、空隙の時間を強く意識するぐらいのあいだ、あたしは花鈴の瞳──魔を宿した異彩の眼光を全身で受け止めていた。
 凍りついた空気を打ち砕いたのは花鈴のほうだった。風に乱れた髪を指ですくい、うっとうしげにかきあげると、妙に楽しそうな口調で花鈴は言った。
「こんなところでなにをしてるの?」
「……花鈴」
 あたしは息をあえがせる。
 花鈴がにっこりと微笑んだ。悪意もなく、嘲弄もこめられていない、純真で無垢な笑顔。
「ドリームスイーパーの芽衣……知ってるわよ。あなた、新城君なんでしょ?」
 葵が目を大きく見開いてあたしを見やる。あたしは奥歯を喰いしばった。葵に現実世界の「おれ」を知られたところでどうってことはない。
 そんなことよりも、問題は──
「夢魔は──浩平はどうなったの?」
「ああ、あのひと? いまはわたしと完全にひとつになってるわ。わたしは夢魔でもあり、薬袋花鈴という人間でもあるの。夢魔の記憶も、花鈴の記憶もちゃんと持ってるのよ。なんだか不思議よね」
 花鈴は自分の胸に手をあて、鼓動の音を聞きとろうとするかのように目をつぶる。悲しげな声色になって、
「ひどいよね。わたしに悪夢をけしかけるなんて。でもね、そのおかげで菜月を生き返らせることができたの。これでよかったとわたしは思ってるわ。新城君もそう思うでしょ?」
「そんなの、まちがってる!」
 あたしは叫んだ。花鈴がビクンと肩を震わせる。ラピスラズリの双眸がそっと開く。驚きと、怒りと、とまどいの色が暗い奔流となって瞳の奥に息づいていた。いくつもの感情がせめぎあっていたのはほんの短い時間だった。ややあって、憤怒の炎(ほむら)が勢いを増し、花鈴の頬を上気させ、目つきを鋭いものにした。
「なにがまちがってるっていうの? 菜月が生き返って、糸川君ももとに戻ったのよ。新城君も見たでしょ? ふたりは恋してるの。よかったじゃない、ハッピーエンドで」
「あなたは? あなた自身はこのままでいいの?」
「わたしのこと、気にかけてくれるんだ? あのときは約束を破ってわたしを置き去りにしたくせに」
 花鈴の痛烈な非難にあたしは返す言葉がなかった。あたかも鏡をのぞきこんだときに映る自分の顔のように、翔馬の記憶が言い知れぬ違和感をともなって脳裏にゆらゆらとたゆたっている。翔馬のものだった感情──グツグツと煮えたぎった感情が蒸留されて、胸の奥からほとばしってくるのに、それが舌の上で空回りしている。あたしの苦境を見かねて、葵がキッとおもてをあげる。微笑みの残滓を口許にちらつかせている花鈴をにらみ据え、葵は凛とした声で言い放った。
「薬袋さん、あなたはなんのために夢を壊すのですか? あなたの目的は──それがいいか悪いかは別にして──死んだ友達を生き返らせることだったはずです。目的を達成したからにはもう夢魔の力は必要ないでしょう。これ以上、なにを望むのですか?」
 あたしは「あれ?」と思う。花鈴のことはまだ葵に話していない。どうして彼女が知っているんだろう?
 ルウが思わしげに目配せする。それでわかった。どうやらルウが葵にしゃべったらしい。まったく、よけいなことをしてくれる。まあ、どのみち葵には話すつもりでいたけど。
 花鈴は鼻にシワを寄せて葵をにらみつけた。葵も負けじと等圧力の視線を返す。
「望みなんて……ないよ、そんなもん」
 花鈴は乾いた笑い声を洩らす。
「夢の世界をメチャクチャにしたいだけ。わかってる。きっと、これはわたしじゃなくて夢魔がやりたがってることだって。どっちだっていいわ。わたしは自分がやりたいようにやるから。誰にもジャマはさせない。新城君にも、ね」
「ゲシュタルトが破壊されたら何十万人もの人間が夢を奪われる」
 ルウは一歩まえへ進みでて、花鈴と正対した。金色の瞳とラピスラズリの瞳が交錯した。
「そんな事態になれば現実世界にも悪影響がでる。きみは多くの人々を危険にさらそうとしてるんだぞ」
「だからなに?」
 花鈴は鼻でせせら笑う。大仰に肩をすくめて、
「わたしが改心するとでも思ったの? 言ったでしょ、わたしはやりたいようにやるって」
「交渉の余地はないな。きみの好き勝手にはさせない。私と葵──芽衣がきみを止めてみせる」
 花鈴がルウから葵、最後にあたしへと視線を動かしていく。口許にイヤなかたちの笑みをはりつけた。
「新城君、わたしと戦うつもりなんだ?」
「あたしは……」
「いいよ、相手になってあげるわ。わたしを殺してみなさいよ」
 言い返せない。なにを口にしても、花鈴には届かない。それがひどく口惜しかった。
「薬袋さん、いまならまだ間に合います。夢魔の力を捨てて……」
「しつこいわね!」
 葵の説得の言葉を途中でさえぎって、花鈴が金切り声をあげる。うつむき、両方のこぶしをギュッとにぎりしめた。肩をわななかせる。泣いている……と思ったら、そうじゃなかった。笑っていた。発作を起こしたように、息を乱れさせて。
 葵が悲しげな顔をする。大きなため息をつき、唇をかみしめる。
 花鈴が顔をあげる。痛みをこらえるような、学校の教室でも目にした表情。ふと険がとれ、目許がなごむ。
「新城君、わたしを殺すつもりなら全力でぶつかってきてね」
 凝り固まったままのあたしの顔からいったいなにを読みとったのだろう……花鈴は穏やかに微笑んで「バイバイ」と手を振り、光に押しつぶされた影みたいにフッと姿を消した。
 しばらくのあいだ、花鈴が立っていた場所を呆然とながめていた。
 葵があたしの名前を呼ぶ。そちらに顔を向けると、葵は優しい笑みを浮かべて、
「薬袋さんを助けてあげましょう。大丈夫。きっとなんとかなります」
 根拠なんかない。それでも、葵の言葉をあたしは信じる気になった。
 大丈夫、なんとかなる──そう信じなければ、あたしは戦えない。
 葵が大きくうなずく。あたしはうなずき返す。ルウが小さな牙をのぞかせてニヤリとする。
 あたしは戦う。絶対に、負けない。

 崩壊しかけた夢──夢魔にむしばまれた誰かの悪夢から、遷移する
 ホテルのような一室。ベージュ色で統一された壁紙と調度品。壁ぎわに据えられたデスクの上にはピンク色の薄型テレビがモノクロの古い映画を映しだしていた。