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紅装のドリームスイーパー

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 あたしは横目で葵をうかがう。「あのとき」の意味がわからなかった。それを問いただそうとしたとき、突然、ベッドのサイドテーブルに置かれた電話が鳴りだした。びっくりして、あたしは飛びあがる。ルウがジャンプしてサイドテーブルの上にのっかる。肉球の手を器用に動かして、電話の通話ボタンを押した。女の声がスピーカーから流れてくる。
「どう、調子は? 新城君、聞いてる?」
 花鈴の声だった。クスクスと笑う。どうやってこの部屋の電話に回線をつないだのだろう? 夢のなかだから、なんでも思いどおりにできるのかもしれない。
 あたしが答えないでいると、花鈴の声に不機嫌な響きが入り混じった。
「そこから見えるでしょ、わたしの城が? わたしはあそこで待ってるからね。来るなら来て。歓迎してあげるわ」
 電話がプツンと切れた。ルウが「やれやれ」と首を横に振る。人間くさい挙措(きょそ)がどうにも場違いだ。
 葵と目が合う。葵はいつになく真剣な面持ちだった。
「もっと近くまで行ってみましょう」
 葵が提案する。あたしが返事をしようと口を開きかけたら、今度はルウの鋭い声にさえぎられた。
「尖兵が来るぞ。ここも悪夢に呑みこまれる」
 あたしは急いで窓辺に寄る。黒い太陽からひと筋の真っ黒な奔流が地上に向かって伸びていた。それは尖兵の群れだった。まるで巣から飛び立つハチのように、押しあいへしあいしながら、灰色に塗りこめられた空を泳いで渡ってくる。
 葵があたしの左の手首をにぎる。有無を言わせない強い語調で、
「行きましょう、芽衣」
 ルウに目顔で尋ねると、黒ネコは同意のしるしにコクリとうなずいた。
「わかったよ、葵」
 その言葉が終わらないうちに遷移した。
 あたしはまばたきを繰り返す。
 宇宙空間。それにそっくりの、夢の世界の空隙。
 数え切れないほどの星──夢の球体が光を放って輝いていた。夢が密集している。さながら白い色をしたブドウの房のように、大きさも色もまちまちな夢と夢が寄り集まり、フラフラと虚空をただよっている。
 夢の集団の中心に巨大な漆黒の球体が浮かんでいた。どの夢よりもサイズが大きい。球体の表面を赤い稲妻が駆けめぐる。竜巻みたいに細く伸びた無数の黒い腕が、近くに浮いている夢の球体に先端を喰いこませていた。黒い腕にからみつかれた夢の球体が、たちまちどす黒く染まっていく。
 夢が悪夢に浸食されている。その現場にあたしたちは居合わせていた。
 あたしは首を仰向ける。とてつもなく大きい。夢魔が築いた悪夢の結晶体──脈動する黒い要塞は、光さえも逃さないブラックホールを彷彿とさせた。
 葵がうめき声を洩らす。目を大きく見張り、異形の暗黒星を凝視する。
 あたしはあっけにとられて声もない。ただ、なにもない虚空のなかで立ちすくみ、闇の色をした太陽の、めまいがするような大きさに圧倒されていた。
「このままだと確実に私が管理するゲシュタルトは破壊されるな」
 次々に悪夢へと塗りかえられていく夢の球体を目で追いながら、ルウは平板な声で、
「葵だけでは戦力不足だと思ってたが……ふたりでも戦力が足りなさそうだ」
 じゃあ、ドリームスイーパーが何人いたらいいのよ、とわざわざ問い返す気力も起きなかった。
「……もっと近づけないの? いっそのこと、要塞の内部に遷移するとか」
「いや、それはムリだ。夢魔の要塞の周囲には一種の結界が張られてる。その結界の内側には遷移できない。要塞の防御を強行突破してたどりつくしか方法はない」
 花鈴を助ける──その目的を達成する以前に、夢魔を滅ぼすのはとんでもなく困難だ。なにも考えずに突っこんでいったら返り討ちにあう、というルウの言葉は正しかった。
 あたしの視野の端で影が動いた。そちらに顔を向けると、リバーシの駒みたいに白から黒へとひっくり返っていく夢の球体を背景に、たくさんの人影がうごめいていた。光に照らされて、顔の陰影がくっきりと浮かびあがる。あたしの知っている顔だった。
 保健医の神崎先生。白衣のポケットに両手を押しこみ、悲しそうな顔をして、あたしたちを見つめている。
 声をかけることはできなかった。神崎先生がサッと右手をあげる。翔馬のクラスメイトたちが闇のなかから立ち現れた。みんな無表情だ。ガラス玉のように生気のない眼をしている。花鈴と仲のいい女子生徒が数名、足場のない空間を踏みしめてまえへ出る。
「新城君、卑怯だよね」
「花鈴のこと、どうして守ってあげないの?」
「花鈴、泣いてたよ」
「暗い山道に花鈴を置き去りにしたんでしょ? ひどいことするよね」
「また約束を破るつもり?」
 女子生徒が口々に非難する。壊れかけた機械みたいにクツクツと笑った。
 彼女たちがそう思って口にしているわけじゃない。これは花鈴の声──花鈴の叫び声だ。
 耳をふさぐわけにはいかない。あたしは歯を喰いしばって非難の言葉の鋭い切れ味に身をさらす。
 四十人近い男女がいっせいに動きだした。両手を大きく広げて襲いかかってくる。なにもしゃべらない。無言のまま向かってくるのがかえってこわかった。
 あたしは夢砕銃(むさいじゅう)を召喚しようして──葵に腕を引っ張られた。
「ここは逃げましょう」
 と、葵。硬い声で。
 イヤとは言えなかった。葵と議論している時間もない。
 ルウが真っ先に遷移する。黒ネコの姿がかき消える。
 葵があたしの手をにぎる。その手に力をこめて──あたしたちは遷移した。

 図書館。並んだ書架の列。
 金色の柔らかい陽射しが高い位置にある窓から降り注いでくる。カウンターにいる中年女性の司書は、真新しい本にせっせとラベルを貼りつけていた。子供たちがあいもかわらず、書架のあいだを元気に走りまわっている。メガネをかけた青年が机につき、背を丸めて熱心に本を読んでいる。
 ここには以前にも来たことがあった。市立図書館。現実世界にもある場所。
 雑誌のコーナーに置かれた四角い椅子にあたしたちは腰かけていた。巫女装束の葵が膝に手を置き、背筋をピンと伸ばして、正面──書架が並ぶあたりを漫然とながめている。ルウがヒョイとジャンプして、椅子に飛び移る。館内を見回し、満足げに金色の眼をすがめた。
 あたしは自分を見下ろす。深紅(クリムゾン)のバトルコスチュームを装着したままだった。
「解夢──バトルコスチューム」
 バトルコスチュームを解除する。いつものグレイの制服姿になる。目をあげると、葵もセーラー服に戻っていた。
「ここは……葵の夢のなか?」
 あたしがドリームスイーパーの宣誓をした場所だ。
 葵が小さくうなずく。柔和な笑みを浮かべて、
「この場所が好きですから……」
「さて、どうしたものかな」
 と、ルウ。緊迫感のない、他人事のような口調で。
 葵は視線を書架の列から黒ネコへと移し、かたちのよい眉をつりあげた。
「戦力が不足してるというのなら、それを補う手立てを考えなくてはいけませんね。なにか提案はありますか?」
「いや。いますぐにドリームスイーパーを増員することは不可能だ。きみたちふたりでどうにかするしかないな」
 ルウの語調はいつもどおり淡々としている。冷静沈着というよりも、ただ単に無関心という印象を受けた。あたしはムッとする。