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紅装のドリームスイーパー

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Real Level.11 ──遭遇


 理由なんかなかった。
 それでもあえて理由をつけるとしたら、その場所でじっくり考えてみたかったのだと思う。
 花鈴か、菜月か、最悪の二者択一を。
 電車に乗って、ふたつさきの駅で降りる。駅の改札を出てからは昨日と同じ道をたどった。
 だいぶ陽が傾いてきた。ちぎれた雲の断片が空の高みで朱金色に輝いている。
 菜月のお墓がある霊園に向かって歩いていく。あるいは、こことは別の世界で菜月のお墓があった霊園、と表現するのがより正確かもしれない。
 道の途中にある、屋根のついた自販機のコーナーには誰もいなかった。誰かがここで一服したのか、踏みつぶされたタバコの吸い殻がいくつか足元に落ちていた。赤みがかった陽の光を横から浴びて静かにたたずむ自販機の群れは、まるで待ちくたびれた旅人みたいに思えた。おカネを入れて、炭酸飲料を買う。プルを引き、歩きながら飲んだ。酸味の効いた炭酸の刺激がわずかなりともおれに活力を与えてくれた。
 何度か来たことがあるので菜月のお墓の位置は憶えている。同じようなお墓が並ぶ広い霊園のなかでも迷ったりはしない。
 夕闇がせまる霊園にひとけはない。ときおり湿った風が吹きぬけて、潮騒(しおさい)のようなざわめきがおれを追いかけ、追い越していく。濃密な葉むらを空に向かって差し伸べる桜の樹が、ゆらゆらと風にしなってさかんにおれを手招きしていた。
 菜月のお墓のまえに立つ。昨日、墓前に供えてあったお花はなくなっていた。赤銅色にゆがんだ太陽が御影石の墓石を乾いた血の色に染めあげていた。墓石の背後に立てかけられた卒塔婆(そとうば)が風にあおられてカタカタと鳴った。
 墓石のまえに座りこむ。墓碑銘を目でなぞった。ない。菜月の名前はきれいさっぱり消えていた。
 おれはうめき声を洩らす。わかっていたけれど……こうして自分の目で確かめるとあらためて世界の変容を肌身に感じた。
 炭酸飲料をグッとあおる。カラになった。カンを捨てる場所を探して、霊園内を歩きまわる。やっとゴミ箱を見つけてカンを捨て、早見家のお墓のまえに戻ってくると、暮れなずむ情景を背に角張った体格の男のシルエットが黒々と浮かびあがっていた。
 男と目が合う。脱力した笑みが男の分厚い唇に浮かぶ。
 早見浩平。
 菜月の兄がつくねんと立ちつくし、おれを待ち受けていた。
「……浩平さん?」
 驚きのあまり、つい甲高い声が出てしまった。
 浩平は頭をかき、ひからびた声で、
「その……何回電話しても新城君が出ないから……もしかしたら、ここにいるのかもしれないと思ってね」
 無意識のうちにポケットをまさぐり、ケータイを家に置いてきたことを思いだす。かえって正解だったかもしれない。いま、いちばん会いたくない相手が、目の前にいる浩平だったから。
 おれの声は自然と冷たい響きを帯びた。
「おれになにか用ですか?」
「……きみもこの世界がおかしいって気づいてるんだろう?」
「へ?」
 浩平はつかの間ためらう素振りを見せてから、堰(せき)を切ったようにまくしたてた。
「妹が……菜月が生き返ったんだ! 信じられない! それなのに、みんな平然としていて……こんなの、ありえないよ! これってヤツの仕業なんだろ?」
「ヤツ?」
「夢魔だよ! ぼくたちの敵だ!」
 おれはぽかんと口を開いて浩平を見つめる。なにを口走っているのか、すぐには理解できなかった。一拍ほどの時間を置いて、浩平の言葉の意味が頭のなかに浸透してくると、背筋がうすら寒くなってきた。
「なんで……なんであんたが知ってるんだ?」
 浩平は一歩、まえに進みでた。たったそれだけの動作で、浩平の存在感が何十倍も増したように思えた。
「駿平君から聞いたよ。ぼくが直接、聞いたんじゃなくて、菜月が教えてくれたんだけどね。きみの様子がなんだかおかしかったって」
 駿平のヤツ、よけいなことを……。
 舌打ちしたくなるのをガマンする。
 カラスが鋭く鳴いた。それに別のカラスが応える。ひとしきり、カラスのかしましい輪唱がおれたちの頭上で飛び交った。
「菜月が生き返って、糸川君がきみと同じ学校にいたからびっくりしたんだろ? ぼくも同じだよ。朝、目が覚めたら世界が変わってたんだ!」
「まさか……あんたは……」
「ドリームスイーパーなんだよな、新城君も?」
 めまいがした。額を手で押さえて、息をあえがせる。浩平の鋭利な眼光が喰いこんできた。浩平はふと表情を崩し、間延びした苦笑を頬辺にひらめかせる。
「どうやら図星だったみたいだね」
 おれは浩平を真っ正面から正視した。燃えるような赤い光に包まれてそそり立つ浩平は、さながら世界の終末を告げる鋼鉄の巨人のようだった。
「あんたが葵なのか?」
 浩平は低い声で笑う。その笑い声が無性に気にさわった。
「そうだよ。ぼくが葵だ。いままでナイショにしてたけどね」
 そっけない口調で肯定されて、なんだか拍子抜けした。想像していた展開とまるで違う。もっと劇的な告白のシーンを期待していたのに……。
 なぜだろう……浩平が葵だったと知っても、彼に対する反感は消え去らなかった。あまりにもイメージがかけはなれすぎていたせいかもしれない。まあ、おれだって現実世界では男なんだから、夢の世界でのアバターと性別が違う、というのはありえるハナシだ。が、おっとりとした巫女装束の少女と、眼前に立つ長身のいかつい男とを結びつけるのはひじょうに困難だった。
 おれの頭が拒絶している。これはなにかのまちがいだと否定している。
 でも、浩平はおれがドリームスイーパーだということを見抜いた。のみならず、菜月が生き返ったことを知っている。それはつまり、人間の認識に干渉する夢魔の力が浩平に及ばなかった、ということだ。裏を返せば、彼もまた、おれと同じく夢見人(ゆめみびと)であることを意味している。それは、浩平もドリームスイーパーであることと同義だった。
 認めるのはとても不本意だったけれど……今度こそ、まちがいない。
 葵の正体は浩平だ。
「薬袋さんは残念だったね」
 浩平が長嘆息する。菜月の名前が刻んであったお墓へと視線を移し、
「ぼくなりに薬袋さんを助けようとしたんだけど……力が及ばなかったよ」
「じゃあ、あんなに薬袋と仲がよかったのは……」
「薬袋さんはずっと悪夢に悩まされてたようだからね。ぼくはドリームスイーパーだ。悪夢に苦しんでる彼女を助けてあげるのもぼくの使命だと思ったんだよ」
 おれは奥歯をかみしめた。浩平はちゃんと理由があって花鈴といっしょにいたんだ、と思うと、ひとりでヤキモキしていた自分がアホらしくなってきた。それだけおれはまだ大人になりきれていない、という証左なのだろう。悔しいけど、浩平とおれとの差は、年齢の差以上に埋めがたいものがあるように思えた。それはそのまま、葵と芽衣との差でもあるような気がしてならなかった。
 それにしても、いまひとつ腑に落ちないのは……。
「……現実世界での姿はお互い、秘密のままにしておこうって言ってたじゃないですか。どうして自分から名乗りでたりしたんですか?」