紅装のドリームスイーパー
「そうだな、夢魔は自然発生のロボットのようなものだ。自分が置かれた状況を把握して、次の行動を判断する能力が備わっていても、それはアルゴリズムの出力の結果であって、自己認識を投射したものじゃない。ロボットに魂はないだろう? それと同じことだ」
「うーん、なんとなくわかるような気がするけど……」
「自己認識がない彼らにとって、自分を含めたすべての存在が他者なんだよ。小説でたとえるならば、一人称視点がなく、三人称視点でしかものごとを見れない、ということさ。ここに鏡があるとしよう。人間であれば鏡に映った自分を自分だと識別できる。それは自己認識の能力があるからだ。もしも夢魔が鏡をのぞきこんだとしたら、そこに映ってるのが自分だとはわからないだろう。彼らには自分と他者の区別がないからな」
「そういうあんたはどうなんだよ?」
「私はもともと、無数の人間の無意識で構成されたゲシュタルト──そのドリームマスターだ。夢魔とは成り立ちが根本的に異なる。人間の人格(パーソナリティ)が自己認識と結びついてるのと同じく、私は自己認識の能力を持ちあわせてる。私は、私だ。そこにいっさいの齟齬(そご)はない」
おれは頭をかきむしる。梁川の説明を全部消化できたわけじゃない。この議論には多分に哲学的な成分が含まれていて、おれの決して高くない知的レベルではついていけなかった。
それでも、これだけはなんとかわかった。
早見菜月としておれのまえに現れた彼女は、もとは薬袋花鈴だった、ということ。
花鈴は消えていなくなったのではなく、菜月に置きかわった──梁川の言葉を借りるのなら、上書きされたのだ。
おれの物思いをよそに、梁川は、下手くそな役者の棒読みみたいな口調で語を継いだ。
「夢魔は自分を認識することができない。だから、夢を喰らい、ゲシュタルトを荒廃させて、少しでも自分という存在を認識しようと暴れまわる。いわば帰納的なアプローチだな。夢が壊れ、ゲシュタルトが消滅するならば、それをなした者が必ずいるはず──それが自分だ。そういう推論をするんだよ、夢魔は。その他力本願的な識別が、ともすればバラバラになりそうな夢魔の核をひとつにまとめあげてる」
「夢魔は自分を認識するために夢の世界を破壊してるというのか?」
「夢魔とはそういう存在だ。どれほど厄介な敵なのか、きみにもわかるだろう?」
おれは腰をあげた。梁川が上目遣いでおれを見上げる。おれは唇をまくりあげ、歯をむきだして笑う。
「まだよくわかんないな。その夢魔と花鈴はどういう関係にあるんだよ?」
「彼らは一種の共生関係にある。取引だよ。夢魔には自己認識の能力がない。それを補完するのが薬袋花鈴だ。彼女と融合することで、夢魔は自分を認識できるようになる。一方、彼女のほうは夢魔の力を借りて、死んでしまった友達を生き返らせることができる。夢魔と薬袋花鈴はお互いにないものを交換(バーター)したのだ」
夢の世界で遭遇した夢魔の形相を思いだした。夢魔は、花鈴の姿をしていた。花鈴の声で語りかけ、おれ──芽衣を殺した。夢魔が花鈴を取りこんだのか、それとも花鈴が夢魔を取りこんだのか、おれには判別がつかない。それとも、その両者のあいだには厳密な区分などないのかもしれない。ちょうど、水素分子と酸素分子が結びついて水となるように……。
「……おれはどうすればいいんだ?」
「ドリームスイーパーとしての責務を果たしたまえ」
間髪いれずに切り口上の返答が返ってくる。顔をしかめるおれに、梁川は優しい声音で語りかけた。
「きみは私と契約してドリームスイーパーとなった。ドリームスイーパーの仕事はひとつだけだ。夢魔と戦うこと──それが、きみに課せられた責務だよ。迷うことなんてなにもない」
おれは腕を組み、天井を仰ぎ見ながら、フローリングの床をペタペタと踏んで室内を歩きまわる。梁川の無色透明な視線が追ってきた。たまたま目にとまった冷蔵庫のドアを開ける。なかには麦茶の容器しか入っていなかった。力任せにドアをしめ、こぼれ落ちてきた冷気に肌をさらす。
「夢魔を斃せばいいんだろ?」
「私としてはきみの希望を受け入れてあげてもいいと思ってる」
おれは足を止める。梁川は床に右手をついて体重を預け、そろそろと横座りの体勢をとった。ワンピースの裾がめくれて、肉の薄いふくらはぎがのぞいた。黒ネコなのか、謎の生物なのか、はたまた頭のいい女の子なのか──おれは一瞬、混乱して、何度も首を振る。
「その言い方……まるでほかの選択肢があるように聞こえるな」
「選択肢はない。夢魔を滅ぼすのがきみの使命だ。そのためにきみはドリームスイーパーになったんだからな。ただ……」
「ただ?」
「きみが望むのなら、この世界を存続させられる。早見菜月は生き続け、糸川大樹はきみの親友であり続ける」
「その場合、花鈴はどうなる?」
「完全に消滅する。復元はできない。復元が可能なのは、およそ四十八時間以内──そのあいだに夢魔を斃せば上書きは解除され、世界はもとの姿を取り戻すだろう。薬袋花鈴はきみのクラスメイトに戻り、早見菜月は……」
「……死者に戻るのか」
おれはうめき声を洩らす。自分の墓に歩いていく菜月のイメージが頭に浮かんで、二の腕に鳥肌が立った。
「現実世界にはもとの姿を維持しようと働く復元力がもともと備わってる。その効果が持続するのがだいたい四十八時間──そのタイムリミットを過ぎると、夢魔を滅ぼしても上書きされた現実はもとに戻らない。薬袋花鈴を取り戻したいのなら、すぐにでも行動に移るべきだな」
淡い微笑を口許に浮かべ、梁川は出来の悪い生徒に教える教師のような口振りで、
「もっとも、夢魔に殺されたばかりだから、きみのアバターはまだ壊れたままだ。アバターが修復され、活動を再開できるのは早くても今夜──それまでは打つ手なし、だな。いま眠っても、普通の夢しか見ることはできない。そのあいだによく考えておくことだ。きみはどうしたいのか? この世界をどのように変えたいのか?」
「……おれに……おれにそれを選べっていうのか!」
おれは目を見開き、こぶしをギュッとにぎる。掌(てのひら)の肉に喰いこむ爪の痛みを熱く感じた。
「誰を生かして誰を死なせるのかを……おれが決めなくちゃならないのかよ?」
「きみはドリームスイーパーとなって夢魔と戦うことを誓約した。その誓約をまっとうしろ。きみに課せられた責務を最優先で果たすのだ」
梁川はそっけない語調を変えず、コップに残った麦茶をひと息にあおって、
「私はどちらでもかまわない。きみが夢魔と戦うのであれば、な」
おれは痛烈な罵倒をぶちまけてやりたい気持ちをグッとこらえ、深呼吸を何回も繰り返す。それでも、いったん沸騰した感情はなかなか冷めなかった。
四十八時間のタイムリミット。昨晩、浩平のところへ電話をかけたときは、まだ花鈴が現実世界にいたはずだから、そこから計算すると明日の月曜日の夜がタイムリミットということになる。残り時間はあと三十数時間ぐらいか。そのあいだにおれは決断しなくちゃならない。
花鈴を選ぶか、菜月を選ぶか、を──
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他