紅装のドリームスイーパー
「きみにすべてを理解してもらう必要はないのだよ、芽衣。夢魔が夢を喰いつぶす理由もいまは知らなくていい。そのうちにわかることだ。ただ、私の使命はゲシュタルトを──つまり、夢を守ることだとわかってもらえればそれで充分さ。敵は、夢魔だ」
「どうしてあたしにそんなことを話すの? あたしが夢見人とかいうやつだから?」
「きみには夢魔と戦ってもらいたいのだ」
「へ?」
「私が管理してるゲシュタルトは強力な夢魔の攻撃を受けてる。いまは葵がなんとか敵の攻撃をしのいでるが、彼女ひとりだけでは戦力が圧倒的に不足してる。きみも夢魔と戦う戦士──ドリームスイーパーになってほしいのだ」
「あたしが?」
「タダで働いてくれ、とは言わない。報酬は出そう。私のできる範囲で、きみの希望をかなえてやろうじゃないか」
そんなのムリ、と返事をするまえに──
予告もなく、風景が遷移する。
どこかの街のなかだった。
あたしは四車線の道路の真ん中に立っていた。頭上には、治りかけのかさぶたみたいな赤黒い錆びで、まだら模様になった歩道橋。道路の両側には背の低い雑居ビルが肩を寄せあっている。たくさんの人間が道路にひしめいていた。押しあいへしあいしながら、あたしに向かって突進してくる。
このままだと、ひとの波に呑みこまれる!
パニックになりかけたが、あたしに触れる直前に人間が次々と消えていく。一瞬のうちに、音もなく。
あたしは目を丸くする。ルウとあたしを中心とした半径二メートルほどの円のなかには誰も足を踏み入れることができなかった。目に見えないバリアのようなものがあって、それに触れると人間があっという間に蒸発する。
「……な?」
「私が障壁を張った。きみには指一本、触れることはできないよ」
「そんな……なんてことを!」
「心配しなくてもいい。彼らは夢の造形物──いわばエキストラのようなものだ。ホンモノの人間じゃない。そこらへんに落ちている路傍の小石とまったくかわらない。小石がたまたま人間のかたちをして歩いてるようなものだ」
「でも……」
「彼らをよく見たまえ、芽衣。顔がないのがわかるはずだ」
「え?」
言われてみて、押し寄せてくる人間の波頭に目を移すと、その意味がたちどころにわかった。
性別や老若の違いはあっても、周囲の人間の顔の造作はどれも同じだった。目鼻や口といったパーツに微妙な濃淡の差はあれど、みんなそっくり同じ顔をしている。まるで大量に生産したマネキンの群れを見ているようだった。
頭上を横切る影があった。仰向く。鮮やかな緋袴(ひばかま)が眼底に焼きついた。
葵。巫女装束の少女。
葵が歩道橋の欄干にふわりと降り立つ。弓を持っていた。以前にも目にしたことがある。破夢弓(はむゆみ)──その武器の名前を思いだす。
葵はあたしたちに気づかない。こちらを見ようともしなかった。いや、もしかしたら気づいているけれど、顔を向ける余裕すらないのかもしれない。
怒涛(どとう)のごとく流れてくる人間の壁の向こうから、真っ黒な異形の影がはみだしてきた。
ひとのかたちをした黒い影──尖兵(せんぺい)だ。夢魔の配下の、動く人形。
それが百体近く、秩序のない集団となって、群衆の後ろから押し寄せてくる。
尖兵は、ただの黒い影ではなかった。多少なりとも人間らしい姿に進化──それを進化と呼んでもいいものなら──している。丸い棒でしかなかった手足は筋肉がつき、表面が凸凹している。胴体も胸がふくらみ、横に張りだした腰へとつながっている。顔もだいぶ人間のそれに似てきた。顔の真ん中で鼻が隆起し、ふたつの眼窩(がんか)が深く落ちくぼんでいる。口許は硬く引きしまり、永遠のしかめ面をかたちづくっていた。
以前と同じなのは体色が真っ黒であることだ。油膜にも似た多彩な色が体表に揺らめいている。
それが、いっせいに殺到してきた。夢の住人を引き倒し、踏みにじって。
「破(ハ)!」
葵の弓に白く光る矢がつがえられる。引きしぼり、放った。三つに分かれた矢が先頭の尖兵をつらぬく。続けざまに矢を放つ。尖兵が煙のように蒸散していく。が、黒い影たちの行進は少しもスピードを落とさない。着実に距離をつめていく。
二十メートルほどまで近づくと、尖兵は一気に加速した。手足をぎこちなく動かして、壊れかけたロボットみたいに走る。
いつの間にか、顔のない群衆はあとかたもなく消えていた。四車線だった道路の幅がせばまり、二車線になった。道の両側に木造の古びた民家が立ち並ぶ。錆びた鉄骨がむきだしになった、学校とおぼしき低い建物が歩道橋のすぐ近くに出現する。
葵が歩道橋の欄干から飛び降りる。白衣がひらりと舞う。あたしたちのまえに着地した。チラリと肩越しに振り向き、顔をほころばせる。
「またお会いしましたね」
と、呑気な調子で、葵。間近に敵がせまっているというのに、まるで気にしている様子がない。
「葵、やはりきみには味方が必要だ。ここにいる芽衣がきみといっしょに戦ってくれる」
承諾なんかしていないのに、すでに確定した既成事実のような口振りでルウがのたまう。
「芽衣。あなたの名前は芽衣というのですか?」
「うん。まあ……」
「すてきなお名前ですね。申し遅れました。わたしは葵と申します。以後、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします……って、まえ! まえを向いてよ!」
葵が微笑む。余裕の表情だ。まえに向き直り、小さく唱える。
「装夢──斬夢刀(ざんむとう)」
葵の手のなかの弓が剣へと変じる。銀青色の刃紋が鮮やかな日本刀だ。
「斬(ザン)!」
葵が気合をこめて、剣を横になぐ。白い刃風が巻き起こり、先頭にいた尖兵が五体ほど胴体を寸断される。触れてもいないのに斬り倒した。威力がすさまじい──などと感心している場合じゃない。
いかんせん、多勢に無勢。葵が尖兵を次から次へと斬り捨てていくが、仲間がやられても彼らはまったく意に介することなく、ひたすら突撃してくる。葵ひとりではとても防ぎきれない。それなのにルウはなにもせず、地面に尻をつけて高みの見物を決めこんでいた。イラッとしたあたしは、きつい口調で黒ネコを問いつめた。
「ルウ、あなたは戦わないの?」
「フム。残念ながら私は戦いに参加できない。私の仕事はあくまでも夢の世界の管理だ。直接、夢魔と戦うのは私の領分じゃないんだよ」
なんだかどこぞの役人みたいな言い分だ。ドリームマスターとか名乗っているから、ある意味、役人と同じ立場なのかもしれないけど。
尖兵が一段と攻勢を強めてくる。マズい状況だ。このままでは敵に囲まれてしまう。
それを察知したのだろう、葵が振り返り、あたしに左手を差し伸ばす。
「つかまってください。ここから脱出します」
反射的に葵の手をつかむ。尖兵が襲いかかってくる。たくさんの黒い腕がニュッと伸びてきた。それをかわして、葵が飛ぶ。あたしの手をしっかりとにぎったまま。
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他