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御手紙 葉
御手紙 葉
novelistID. 61622
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ふるさとカフェ

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 ウェイトレスはテーブルの上に配し終えると、こちらへとまっすぐ顔を向け、そして明るい声で言葉を続けた。
「この店にはレコードとCDのコレクションがたくさんあるのですが、何かリクエストはありますか? 常連のお客様が来るまでの間なのですが、店内に音楽をかけさせていただきます」
 私はそのとても嬉しい配慮に、思わず口元を緩ませ、うなずいた。「じゃあ、デヴィッド・ボウイのハンキー・ドリーのアルバムをお願いします」
 ウェイトレスは「かしこまりました」とうなずき、すぐに店内へと戻っていった。私は木製の椅子に深く身を沈ませ、大きく、大きく息を吐き出した。
 そして、自然に体を溶け込ませるように全身の力を抜いて、ただひたすらリラックスした心地でその景色を眺め続けた。丘から背の高い木々が続いており、それはちょうど柵の向こうに見下ろせる位置にあった。
 田園風景のずっと先に、小さく駅が見えて、そのさらに先にはどこまでもどこまでも山々がなだらかなラインを描いて続いていた。
 そうした景色を見つめていると、自分が故郷を離れていく時のことをどうしても思い出してしまった。ちょうど私はあの畦道をリュック一つで駆け抜けていって、駅へと飛び込んだのだ。そうして、振り返ることなく、そのまま列車に乗って都会を目指し、旅を続けたのだった。
 私がデザイナーを目指したいと思ったのは、たぶん中学生の時にとある雑誌を近くに住んでいた家族から譲ってもらったからだ。私はその都会的な内容の雑誌を見るうちに、初めてデザイナーという仕事を知った。そして、あっという間にそのお洒落な響きに心奪われたのだ。
 私、デザイナーになりたいんだ。
 そう両親に打ち明けた時、彼らは私が都会に出ることに猛反対した。家業である農業の仕事があったし、二人ともこの村の出身で都会に出たことがなかったので、それは最も敬遠すべき選択肢だったのだ。
 そうして私は両親と喧嘩を重ね、この村に対する自分の見方が次第に変わっていくのを感じた。この自然に囲まれた環境がただただ嫌で、私は何とかして都会に出て自分の夢を叶えたかった。
 そうしてとうとう高校三年の夏、私は両親と大喧嘩をして、家を出る決心を固めたのだ。
 私は父親と取っ組み合いの喧嘩をして、そして髪を乱れさせながら唾を吐き散らして叫び、最後に父親の大好きなイーグルスのコレクションへと手をかけた。そして、こう叫んだのだ。
 ――こんな家、潰れてしまえばいい!
 ――私だって、あんたの大事な物を奪ってやるよ!
 そうして私はその棚を思い切り床に叩きつけ、そのCDをめちゃくちゃにしたのだ。ケースの破片が散乱し、中のCDが飛び出して割れた。
 私はそれを見て、胸の奥で何か大切なものがひび割れてしまった気がした。だが、もう後戻りできないところまで来ていた私は、そのまま近くにあったリュックを手に取り、家を飛び出したのだ。
 最後に視界をよぎった父親の顔はただ歪んで青ざめていた。髪には白いものが全く混じっていなかったが、その髪は汗で額へとべったりと張り付き、唇をずっと噛み締めていた。口を開け閉めするが、頭が真っ白になって、声を出すこともままならなかったらしかった。
 それが最後となって私は都会へと出ていき、今の今まで故郷に一度も帰ったことがなかったのだ。都会での私の生活は本当にいつ死んでもおかしくないほどに過酷なものだったが、それでも私は夢に向かって奔走した。
 どんなに苦しくても、夢があったから生きてこれたのだ。ある意味、私のそうした人生は幸せなものだったのかもしれない。
 だが、取り残された両親はどうだったのだろう。たった一人の娘を失い、その人生はどんなに苦しくて歪なものだっただろう。
 去り際に、父親の大切なコレクションを壊したことは、明らかにやりすぎだったと反省している。なんであんなことをしてしまったのだろう、と今でも思い出す度に拳を握ってしまう。私がしたことが、どれほど父を傷つけたのだろうか、と。
 当時のことを長い間、私はじっと考え続けていた。だが、そんな回想は、突然彼女の言葉で遮られたのだ。
「コーヒー、熱いうちにお飲みくださいね」
 私はようやく我に返り、背後へと振り返った。すると、ウェイトレスの女性がその場から立ち去ることなく、ただ私を静かに見つめていた。
 私は彼女のそのどこか深い感情の篭った眼差しに、前にもどこかで感じたような懐かしさを覚えた。
 私が彼女をじっと見返して何か言葉を絞り出そうとしていると、ウェイトレスはにっこりと笑顔を浮かべて言った。
「あの、私のこと覚えていますか?」
 私はじっと彼女を見つめた。だが、その美しい細面の顔を見ても、記憶が呼び起こされることはなかった。
 私は彼女を知っているのだろうか、と心臓がドクンと鳴ったが、彼女は首を傾けて、ふ、と軽く息を吐き出して笑い声を零した。
「私、清水香織と言います。本当に覚えていませんか? あなたのこと、とてもよく知っていますよ」
 彼女の言葉を聞いた瞬間、ようやく記憶の扉が開き、そこから私の青春時代の思い出が呼び起こされた。彼女の顔を改めて見つめ、脳裏に浮かんだ学生の頃のその面影と重なったのだ。
 今の今まで全く気づかなかった。そう、友人のいない私にとって、唯一彼女だけが屈託なく話しかけてきてくれた知り合いだったのだ。
 だが、彼女とはあまり懇意ではなかったはずだ。彼女もたまに話しかけるだけで、私の事情など知らなかったのだと思うのだが。
 そこで、清水さんの目に唐突に涙が浮かんだ。それは瞬く間に溢れ出して、彼女の滑らかな頬を伝い、テラスの床へと染み込んでいった。
 私は思わず彼女の顔を食い入るように見つめ、彼女が何かを言い出すのを待った。
「私、あなたと会えて、本当に嬉しくて……突然泣いたりしてごめんなさいね」
 彼女の髪へと涙は吸い込まれていき、やがて彼女は顔を上げて目を細め、笑った。
「私、本当は千草さんともっともっと仲良くなりたかったんです。でも、思い切ってあなたと話したいと思っても、あなたがこの村を出たと聞いて……」
 おそらく私に何度か話しかけてくれたのも、彼女なりの気遣いだったのかもしれない。だが、当時私は夢を追うことに必死で、細かな配慮に返す言葉など出てこなかったのだ。
「それで、千草さんが去ってしまった後に、私はあなたのご両親と色々なことを話すようになって……仲良くなったんです。それで本当に、本当にたくさんの話を聞きました。それで私さっきは、あなたのことを『よく知っている』なんて言ったんです」
 私がこの村を捨て、一人都会に出て奔走している間に、そんなことがあったなんて全く想像もしなかった。私はいつも自分のことに精一杯で、誰かを思いやる余裕なんてなかったのかもしれない。
 それでも、私が両親にしたことは彼らを傷つけた最低の選択だったに違いない。私は強く自分のブラウスを握った。今頃になって罪の意識がふつふつと蘇ってきたのだ。
 私は清水さんが見守っている中で、少し冷めてしまったコーヒーを飲み、ショートケーキを食べた。マンデリンはコクがあって酸味が少なく、ケーキとの愛称が抜群だった。
作品名:ふるさとカフェ 作家名:御手紙 葉