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御手紙 葉
御手紙 葉
novelistID. 61622
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ふるさとカフェ

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 そうして心がとろけてしまいそうな、とても安らかな気分を味わいつつも、もう先程までのようなリラックスした気持ちはどこかへ去ってしまっていた。
 私はケーキを食べ終えて、そっと皿の上にスプーンを置くと、お絞りで口を拭いた。そして、改めて前方の景色を見つめた。
 視界を覆い尽くすその緑色のカーペットは先程と変わらずに同じ方向にゆっくりと流動していたが、その鮮やかなグラデーションが今の私の心には焼き付くように強い印象を残した。いつまでもこの景色を忘れまい、と私は強く思った。
 そっと椅子から腰を上げ、そして清水さんへと振り向いた。
「そろそろ行きます。コーヒーとケーキ、ごちそうさまでした」
 すると、清水さんの優しげな微笑みが少しだけ困った表情へと変わり、すぐに彼女は私に手を差し出して、その席に留まるように合図してきた。
「こんなことを言うのも恐縮なんですが、もう少しだけここにいたらいかがでしょうか。本当に久しぶりで、私も話したいのもありますし、それに……」
 彼女は何かを言いかけて、そしてすぐに拳をぎゅっと握った。私が所在なげに中腰のまま彼女を見つめると、清水さんは髪を左右に振って、そして穏やかな笑顔を浮かべて言った。
「あと数分だけ……ちょっとだけでいいですから、ここにいた方が、あなたも落ち着くと思うんです」
 私が彼女へと視線を向け、その言葉の意味を問おうとした時、突然店内に流れていたデヴィッド・ボウイの『フィル ユア ハート』が途切れた。
 すると、清水さんが髪の毛を跳ね上げるようにして背後へと振り向き、そして表情から戸惑いが抜けて、途端に立ち上がった。
 その瞬間、店内にその有名なギターの音色が響きだした。その音楽の響きに呼応するように私の心と全身が反応して心臓が大きく、本当に大きく震えた。
 その美しいイントロが始まると、私が生まれてから一度だって忘れたことがない、その記憶が殻を破って脳裏に広がった。
 あれだけ嫌っていた両親との思い出が、何故か次々と走馬灯のように駆け抜けた。私は目を見開き、そしてその音楽に耳を澄ませ、ただ凍りついていた。
 誰もが知っているそのカントリー・ロックの代名詞である名曲は、私の父親が大好きなイーグルスの代表曲だった。私があの時壊した棚の中に入っていたCDの冒頭の一曲だ。
 何故このタイミングで、父の好きな曲が店内に流れたのだろう、と思って振り向いたが、そこで私はどんな言葉も漏れてこなくなった。
 オーナーの男性がカウンターから出て、入り口に向かって礼をし、そしてドアベルが店内に響いて彼は叫んだ。
「いらっしゃいませ! 常連さんがご来店しました!」
 私が座っている席はちょうど入り口からまっすぐ伸びた場所にあり、ドアの前に立っているその二人の姿が見えたのだ。
 私がこの村にいた頃、何度も罵倒した相手だ。何度も取っ組み合いをして殴られ、それでも今故郷に帰ってきて話そうと思った相手だ。
 私は呆然と、父さん母さん、とつぶやいた。
 両親は私がテラスにいることに気づき、最初は赤の他人だと思ったらしかったが、すぐにその顔色が変わり、様々な表情が現れては消えていった。
 そして、二人の目に涙が浮かんだ。彼らは私の名前を呼ぶことも駆け寄ることもせず、その場にただ佇んでいた。
 この数十年で、本当にその姿も変わってしまった。髪には白いものが混じり、母についてはもう見紛うことのないような純粋な白だった。
 彼らはスーツを着て綺麗な身なりをしており、その物腰には柔らかさがあった。父の顔は相変わらず日焼けして浅黒かったが、その漲るような意志は今でも残っていた。
 そして、母のその笑顔は、いつもと変わらぬ優しいものだった。私は二人のその顔を見て、自然と目に何か熱いものが溢れ出すのを感じた。
 傍らにいた清水さんがそっと私の背中に手を置き、「ほら」と促してきた。私は小さく頷き、頬を伝う涙を拭うこともせずに、立ち上がった。
 そこでようやく父と母も体を縛っていた緊張が解けたように歩き出した。私達はお互いに見つめあい、そして何か言葉をつぶやこうとする。
 その田舎の片隅にある喫茶店には、自然に溶け込む優しい音楽が流れ続けていたのだった。

 時が経ってしまっても、変わらぬ想いがある。それは砂の中に埋もれていても、時が経ってやがて自然と浮き彫りになってくるのだ。
 私は二人との再会から、故郷という変わらぬ場所があることにただ涙を流して感謝していた。こんなにも、この故郷の景色が美しいと感じるなんて、何もかもが――本当に何もかもが輝いて見えたのだ。
作品名:ふるさとカフェ 作家名:御手紙 葉