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ヒトサシユビの森 2.コユビ

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カーテンの隙間から、ライトアップされた東京タワーが見える。
かざねが住まうアパートの窓ごしに。
いくつもの高層ビル群を飛び越えて、東京タワーはネオンサインの海の上に浮かんでいる。

かざねは鏡台に向かってアイラインを引いた。
鏡ごしに視線を背後に外すと、リビングを兼ねた寝室が映る。
ローチェストの上に置かれた20インチの液晶テレビに食い入るいぶきの姿が見えた。
「いぶき、もっとテレビから離れて見なさいって、ママいつも言ってるでしょ」
円谷プロ製作の特撮ヒーローものにどっぷりはまっているいぶきは微動だにしない。
「終わったら支度しなさい」
石束を離れたかざねは、東京都内の下町の安い賃貸住宅に移り住んだ。
東京に頼る人物の当てはなかった。
求人情報誌で昼間の仕事を探したが採用してもらえず、結局夜間の接客業だけが食い扶持の候補として残った。
東京に移り住んだ当初、かざねは携帯電話を手から放したことがなかった。
いつ石束の母からさちやが発見されたという電話がかかってくるか、そればかりが気になった。
さちやがどこにいようとも無事でいてくれたらと願う気持ちと、もし生きていなかったら、と想像する不安と恐怖。
様々な思いが交錯して、眠れない夜が続いた。
接客業で働くようになっても、いつも心の中にさちやがいた。
職場では努めて明るく振る舞っているつもりだった。
それでも時折、店のマネージャーから陰鬱な顔を注意され、同僚からは”うしろ暗いことがあるに違いない”と陰口を囁かれた。
携帯電話を見ていると「誰からの電話を待ってるの?」と同僚に尋ねられたが、本当のことは言えず、言葉を濁すしかなかった。
その母からの電話もなく、悶々とした日々を送っていた頃、かざねはひとりの若い男性と知り合った。
常連客に混じって客として店に来た男は、近在の美術大学に通う大学生だった。
学内で行われた美術作品コンテストで入賞したお祝いという名目で連れて来られたという。
その美大生は、かざねの顔を見るなり、「僕の彫刻のモデルになってください」と頭を下げた。
真に受けるかざねではなかったが、美大生はその後、ひとりで何度もかざねに会いに店を訪れた。
やがて店外で食事をするようになり、心を動かされたかざねは、ある日美大生のアトリエを訪ねた。
そのアトリエに行くと、一番目立つ場所にかざねにそっくりなトルソーが飾られていた。
「まだ、未完成なんです」と美大生は恥ずかしそうに笑った。
かざねはその夜を美大生と過ごした。
後悔するとわかっていた。そしてその夜、かざねは身ごもった。

かざねはカヴァリのハーフコートを羽織り、再度ベランダの施錠を確かめた。
カーテンの隙間を閉じなおしたとき、鏡台に置いていた携帯電話が振動し電子音を鳴らし始めた。すぐにかけてきた相手の電話番号がディスプレイに表示された。
市外局番は石束町を含む地域の番号だった。
石束からかざねの携帯電話に電話してくるのは母雪乃だけしかいなかった。
だがそれは雪乃の電話番号ではなかった。
かざねは呼び出しの電子音をそのまま放置してしばらくやり過ごした。
母以外は石束の誰であろうと電話に出たくなかった。
しかし電子音は止まず、かざねは意を決して通話ボタンを押した。
「はい、溝端です」

携帯電話を耳にあてたまま、かざねはいぶきの手を引いて、アパートの階段を足早に駆けおりた。
「石束総合病院? 私がいた頃はそんなのなかった」
「昨年、駅の西側に開設されました。地域医療指定病院です」
「それで、母の容体は?」
階段を降りきったところは横に広い平面駐車場になっていた。
かざねは中古のミニローバーの助手席にいぶきを乗せると、ヴィトンのバッグとハーフコートを後部座席に投げ入れた。