貧者のシナリオ
「雑誌やインターネットに広告を打つし、ゲームの出来自体は悪くないよ。僕は長らくソーシャルネットワーキングゲームをやっているから、ユーザーが喜ぶツボを分かっているつもりだ。きっと、成功する。失敗しても、修正すればきっと良くなる。とてもシンプルなゲームだったから、外注している開発会社への維持費はそんなにかからないし、うまくいけば収益を相当上げることができる。『貧者のシナリオ』が成功したら、また第二、第三のゲームを作っていく。未来は多様性を持っている」
「君はやはりガイアだね。魔法使いみたいだ」と言って、僕は笑った。彼も笑った。
「ところで、君と恵を僕の実家に招待したいのだが、構わないだろうか? 僕の実家には二人ともまだ来ていなかったからね。ささやかながら、料理と酒を振る舞いたい」
突然の申し出に、僕は驚いた。
「お祝いだよ、君と付き合っていくのが恵にとってベストだと思っている。僕は彼女のことをずっと案じていたからね。これ以上にめでたいことはなかった。僕より君の方が恵に合っていると思う」
ありがとう、と僕は礼を言った。「ところで、君の実家は横浜のどこにあるの?」
「山手だよ」
そして、マールボロを取り出して、吸った。「恵にもよろしく言っておいて欲しい、彼女には僕の会社の社員になって欲しいぐらいだからね」
「でも、別れてしまった」
「その通り」と彼は短い言葉で切って、白い歯を見せた。
山手の街は、海の香りが微かにした。港の方から、風が吹き付けてくる。彼の実家は豪邸だった。鉄門扉が雄大にあり、庭には桜の木々が植えられてあった。池があり、錦鯉がたくさん泳いでいて、良く手入れされた松の盆栽が並んでいた。
恵は、その光景を見たとき驚いていた。本当のお金持ちだったのね、と小さな声で言った。父親と母親は不在のようだった。彼の家にはコックとお手伝いさんがいて、彼らが夕食を作るようだった。
広々としたリビングルームに通された。空間が目立つリビングだった。小学校の教室ぐらいの大きさはあった。テーブルの中央には、百合と黄色の花が生けられていて、花弁の甘い匂いが鼻についた。お祝いならどこかレストランでやっても良かったのに、どうして実家に呼んだのだろうかと僕は不思議に思った。何か特別な意味があるのかもしれない。
僕と恵は椅子に座って、じっとしていた。恵は心持ち緊張しているようだったし、僕の方も喉が渇いて仕方がなかった。何しろ、こんな大きな屋敷には入ったことがなかったし、流れている空気もまるで違っていたのだ。
テーブルは六人掛けのもので、他にも誰か来るようだった。時刻は夜の七時を少し回っていた。ガイアはどこかに出かけてしまって、リビングにはいなかった。玄関のチャイムがなった、誰かがやって来たのだ、リビングに姿を現したのは、『クイーン』こと立花香織だった。
「こんばんは、お久しぶりです。川口さん、恵さん」
彼女はぺこりと頭を下げて、リビングの椅子に座った。彼女はまだ二十二歳なので、相応の格好だった。オリーブ・グリーンの薄いカーディガンに、タイトな黒のスカート、ストッキング、シルバーのネックレスに、エナメルの鞄。
「『脚本家』も来るのですか?」
「彼は急用ができたとかで、来ないですね。『ミュージシャン』は福岡でライブを行っているので同じく」
『貧者のシナリオ』関係の人々はすべて呼ばれていたのだ。僕は不可解に思った。恵と僕とのお祝いのはずだったからだ。テーブルには既に赤ワインが注がれていた、芳醇な香りのする赤ワインだった。
じっと待っていると、ガイアが降りてきた。「お待たせしたね、料理も着々とできあがっているようだし、そろそろ乾杯をしようか?」
彼はにっこりと笑った。
『クイーン』は大手のデザイン事務所から内定を貰っていたが、そのことを気にも留めず、ガイアの会社に入社した。彼の考え方であるとか、生き方に感情を共有したらしかった。『貧者のシナリオ』の計画を聞いたとき、素直に賛同した。彼女自身は中流の家庭で育ったので、貧しさとは無縁だった。にも、関わらず、『貧しい』ということに敏感だった。
彼女には付き合っている男性がいる。名前は、山岸彰、年齢は三十五歳。ミュージシャンをする一方で、詩を書いたり、小説を書いたりしている。当然、それらでは食べていけず、派遣社員で働いている。彼女たちが出会ったのは、偶然だった。
彼が渋谷で弾き語りをしているときに、何度か話をする機会があって、仲が良くなった。しかし、恋人になるとは思っていなかったし、深く関わり合いになることを予想していなかった。
彼は自分が書いた小説を彼女に渡した。自費出版しているもので、きちんと冊子になっていた。だが、たいして売れてはいなかった。小説の才能は乏しかった。ミュージシャンとしての彼は非凡だったが、三十五歳ではデビューするのには、いささか年を取り過ぎていた。製造業の派遣社員を行っているが、いつも貧しく、生活を安定させることができなかった。彼の周りでは、貧乏な人間が多かった。
彼女は彼のことを好きになっていく一方で、嫌悪感も増していった。彼はうまく年を重ねることができない、永遠の青春人間のように感じた。
生き方が間違っているとまでは思わなかったが、世間的に不遇の男を恋人にするというのはある意味では、辛いことだった。
『クイーン』は食事をしながら、自身と彼のことをとうとうと語った。「でも、彼が悪いとは思わないのです、時代が悪い。派遣社員も必要悪です。組織の役に立っていますから。ただ、彼らの未来は狭まっていくばかりです。私は、『貧困』が憎い、世の中から貧しさをすべて取り払ってしまいたい、搾取する側とされる側なんてあってはいけないと思っています。だから、ガイアに賛同したのです」
立派だった。恵は、彼女の考えと決意に気圧されているような顔をしていた。恵だって、ガイアの会社に誘われているが、そこまで深くは考えていなかったのだろう。
料理をすべて食べ終わってしまい、デザートの時間になった。ワインは美味しく、料理は素晴らしかった。ガイアはパナソニック・レッツノートを机の上に置いて、画面を開いた。そこに映し出されているのは、ソーシャルネットワーキングゲーム、『貧者のシナリオ』だった。
シンプルなデザインのログイン画面、陽気な音楽、ゲームスタートの文字。
「川口にやって貰いたくてね、少しで良い。もっともこれはベータ版だがね。完成版もあるが、さほど変更点はないよ」と言って、彼は笑った。
僕はマウスをクリックし、ゲームをスタートさせた。画面がブルーになり、ロードが終わると、ゲームが始まった。
結論から述べると、シンプルながら良くできたゲームだった。すごろく形式で、人生を進めていく。そこでは様々なものを手にし、あるいは手放していく。多人数で対戦することもできるので、面白みが出るということだった。
最終的に、資産と金銭を合算したものが多いものが勝ちだった。単純ながらも、ゲーム性は高く、好印象だった。
「面白かったよ、とても」と僕は言った。彼はまた笑った。にやりという顔をした。
作品名:貧者のシナリオ 作家名:Murakami.Lia