貧者のシナリオ
「詳しくは分かりませんし、教えてくれないのです。ただ、スケールが他の誰よりも大きいということです。彼は組織を作っています。そこには、『クイーン』や『脚本家』といった名前の人々が在籍しています。彼の名前はガイア、つまり地球です。彼がどの世界を救おうとしているのかは分かりませんが、こころざしの高い人です」
僕は彼女が何を言っているのか分からなかったし、ガイアの抱いているものは理想だと思った。どの世界を救おうとしているのか? 僕には初耳だった。
「そろそろ行きましょう、パークハイアットのレストランを予約しているのです。美味しいワインと料理があります」
「と言うことは、今日、泊まるところもパークハイアットなのですか?」
彼女は笑みを浮かべた。そして、頷いた。「ガイアから聞いております。ホテルへ泊まっていくのは気が引けるということですね。ホテルの方は、どちらでも構いません。泊まっても、何もしないということでも良いですし、お任せします。パークハイアットから眺める夜景は、素晴らしいものがあります。一望する価値はあると思いますよ」
レストランの食事が終わり、僕たちは最上階のバーへ行った。僕はマンハッタンを注文し、彼女はマリブミルクを飲んでいた。彼女はたいして酒には強くなかった。眼下では、東京の夜景がきらびやかに輝き、黄色や白が無数の星々のように、ひかりを放っていた。バーには、外国人の客が二名、カップルが一組いるだけだった。
「私は、娼婦をしていた時期があります、短いあいだですが・・・・・・。今年の一月から、夏頃までです。会社とのダブルワークです。お金に困っていたわけではありませんが、娼婦という仕事に興味があったのです。六本木に拠点を置いている高級コールガール組織に所属していました。厳正な審査を突破し、それからコネがないと、会員となることができない組織で、給料は非常に良かったです。そこで、私はガイアと出会いました」
ガイアが娼婦を利用しているとは意外だった。彼は、まるで女性には興味がなさそうだったし、付き合っている女性しか性行為はしないと思っていた。
ガイアは恵とベッドルームで会って、最初に服を脱ぎ捨てるように命じた。彼女は言われたとおりに、カーディガンを脱ぎ、シャツを脱ぎ、スカートを脱いだ。そして、下着を取ろうとしたときに、ガイアはストップを掛けた。良く、眺めてみたい、と彼は笑った。そして、二十分程度じっと眺めていた。彼女のからだは豊満だったし、ボディーラインはくっきりとしていた。変わった客だと、彼女は思った。
結局、彼は眺め終わると、「服を着なよ」と言って、雑談を始めた。彼が住んでいるところや、彼のポリシーについて語った。恵は不思議に思った。そして、まるで磁石のような吸引力が、心に宿っていることをすぐに理解した。
彼女は彼と連絡先を交換し、個人的にデートをするようになった。いつの間にか、彼のことで頭がいっぱいになっていた。出会って三ヶ月後には、同棲を始めていた。彼女のアパートに、ガイアが住み始めた。愛は着実に培っているように見えたが、恋愛関係は長く続かなかった。
僕は二杯目に、ジンフィズを飲み、それからカナディアンクラブのオンザロックを注文した。彼女のマリブミルクはいつまで経っても、減らなかった。
「セックスをするというのは、相手を理解するつもりがないと、面白くありません。私は、いろいろな相手を理解しようと務めました。おなかの子供のことは、ショックでした。避妊には十分に気をつけていたつもりだからです」
「でも、できてしまった」
「誰の責任でもないです、あるいは、天から授かった神の子供だったのかもしれません」
臆面もなく、彼女は言った。僕は黙ってオンザロックを飲み、煙草を吸った。店内には、クラシックミュージックが流れている。透明な夜の、情感を誘う。
そうだとすれば、私は神の子供を殺してしまった罪深い女なのですよね、口元が寂しげだった。
「ガイアの子供、ということはなかったの?」
彼女は僕の目を真っ直ぐに見た。少し、酔っているふうだった。そして、否定するわけでも肯定するわけでもなかった。
「いつか、また会って頂けますか?」
「良いですよ」
時計は夜の十時を回っていた。「ホテルへは泊まっていかないし、今日はそろそろ帰るつもりです」
にっこりと笑った彼女は、夜の光景と混ざり合い、妖艶で美しかった。
「楽しい夜をありがとうござました」彼女は深々と頭を下げた。
僕はガイアからの報酬を受け取らなかった。仮にお金を受け取ったとすると、まるで彼女との関係を愚弄するような感覚に陥るからだ。ガイアはそれについては不満そうだったが、デートの成功と彼女からは満足だったという声を受けて、喜んでいた。
ガイアと飲みに行くときは、たいていは六本木の外国人バーだった。彼は英語が堪能で、アメリカ人やイギリス人と世間話をしたりもする。ここでは、大麻の甘い香りがする。屈強な黒人たちが、店で大麻を吸っているのだ。
僕とガイアは週に一回会っていた。彼とは気が合ったし、彼は僕が知らない様々なことを知っていた。博識だった。慶応大学の文学部を卒業している。知的なエリートだ。しかし、定職についていなかった。僕にはそのことが不思議だった。彼のマンションは港区の麻布にあり、高級マンションだ。何度か行ったことがあった。白い外観の建物、広いリビングに、寝室、高級感が漂っている豪華な雰囲気。
僕は彼が世界を救おうとしているということについて、質問してみた。『脚本家』や『クイーン』についても訊いた。とにかく、彼らと会ってみないか? と彼は言った。今度、パーティーがあるんだ。青山のパーティールームを借りてね、そこには彼らが来るし、君をちょうど紹介したいと思っていたところなんだよ。
「恵も来る。彼女もこのパーティーには興味があったからね」
パーティーというのは、ガイアがDJを勤める音楽イベントだった。ウィーザーやオアシス、プライマルスクリームといった曲を流し、客は飲食を楽しむ。フリーイベントで、入場料は無料だった。会場は青山学院大学の近くだった。ミラーボールが緩やかに回転し、音楽がその空間にしみこむように、流れていた。
そのパーティーがあったのは、十二月の末だった。世間はクリスマスムード一色で、街を歩いていると、色とりどりのネオンがあり、小さなツリーがいくつも立っていた。
流れている音楽の音量はそれほど大きくなく、僕は恵と歓談していた。彼女とは何度か会っていた。付き合っているというわけではないが、お互いに良い友人だった。椅子はなく、立食のパーティー。音楽はオアシスの『ワンダーウォール』がかかっていた。
彼女は堕胎から立ち直りつつあった。表情には明るいものが混ざり、陽気な一面も見せた。だが、心の底では柔らかな泥があり、ぬかるみがあり、寂しいの、と言っていた。両親からお見合いを勧められているそうで、彼女はそれについて悩んでいた。僕はその悩みを少しでも解きほぐしたかった。
「あなたと何回かデートしているじゃないですか?」
作品名:貧者のシナリオ 作家名:Murakami.Lia