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貧者のシナリオ

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 あるいは、世界が彼のことを必要としているのかもしれない。

 渋谷を歩いていると、僕は偶然に『脚本家』と出会った。季節は春で、少し肌寒い気温だった。彼はフロックコートを着て、眼鏡を掛けていた。一度しか会っていないが、僕は彼のことをよく覚えていたし、向こうも僕のことを記憶していた。僕たちは立ち話をするのもあれなので、カフェへ入った。と言っても、積もるような話があるわけではなかった。『脚本家』が僕と話したがったのだが、僕はそうでもなかった。
「それにしても、お久しぶりですね。川口さん」
「『脚本家』さんは、どうしているのですか? ガイアと関わることを止めてしまったみたいですが」
 彼は顎を引いて、目を閉じた。何か、思い出している。そして、一呼吸を置いて、目を開けた。
 ガイアには関わらないことに決めたのです、と彼は言った。本業の方は安定していて、僕は新しい物語を作っています。『貧者のシナリオ』の仕事は楽しかったのですが、僕はガイアと仲違いをしてしまった。彼の考えている思想に、ついていくことができなくなってしまいました。彼は、本当に救済をしているのでしょうか?
 僕には彼の疑問文をうまく飲み込むことができなかった。
「テクノホワイト株式会社はずいぶんと利益を上げていますね。そして、収益金の半分を福祉に使用するとマスコミに発表しました」
 彼は大きく息をついた。そして、ホットコーヒーを飲み、笑った。
「でも、本当に使っているのでしょうか? 彼がやっていることと言えば、孤児院へのわずかなお金の送付と、ホームレス関連の救済援助、この程度です。彼は世界を救うと言った。だから、私は無償でシナリオを書いた。でもね、大きな法螺だったわけです。まるでアドルフ・ヒトラーのごとく、誇大妄想を抱いているに過ぎなかった。三国同盟の意味が分かりますか? 最終目標は世界制覇ですよ。ばかげている、本当に」
「ガイアの夢は、テーマパークを開くというものです。そこで、貧しい人を招待し・・・・・・」
「欺瞞ですよ、貧しい人を本当に救うことなんてできない。人間は平等にできていません。不平等は宿命みたいなものです」
 僕は煙草を吸って、気分を落ち着けようとした。しかし、ざわついて落ち着かなかった。僕は『脚本家』の目を見た。彼は厳しい目つきで、テーブルの上のコーヒーカップを眺めていた。
「彼が、女の子を買っているのをご存じですか?」
 僕は恵が以前所属していた高級コールガール組織のことを思い出した。そこにガイアは客として出入りしていたし、あるいは今でも続けているのかもしれなかった。僕はそのことを話した。しかし、脚本家は空虚な目をし、そのことではないのです、と言った。
「幼女の売春組織に、彼は絡んでいるのです。彼は、自分でそれを作り上げ、自分のためだけに売春を行わせている。ほら、彼が養子に取った心美という女の子がいるでしょう? 彼女は十五歳ながら、彼と寝ています」
「どうしてそんなことを知っているのですか?」
「ガイアが口を滑らせたのですよ。先日、ばったり六本木のショットバーで会いましてね。彼はずいぶんと酔っていた。僕とは旧知の仲だったので、いろいろ話した。彼はふしだらな男です。これはもう淫行だ、立派な・・・・・・。言っていることとやっていることが、違いすぎる。だから、私はますます嫌になったのです。辞めて正解だったと想っています」
 彼は目を細めて僕を見た。
「とにかく、彼とは距離を取った方が良い、あなたも何かしらに巻き込まれてしまいますよ」
「僕は、ガイアにこのことを訊いてみます。彼の口から聞かないことには、納得することができません」
「彼の理念は、綻び、失われていくでしょうね。本当に、貧しい人を救おうとしているのか疑問です。それでは、私はこれで失礼致します」
 ホットコーヒーを少しだけ飲み、彼は去っていった。僕はぼんやりとしていた。ガイアの顔を思い浮かべていた。彼がいつか語った理想と目標を思い出していた。

 僕は翌日会社に行かなかった。ガイアと顔を合わすことが嫌だったからだ。具合が悪いということにして、一日休んでいた。恵は、僕のことを心配したが、心配しなくて良いと僕は笑った。乾いた笑いだった。
 午後に、ガイアから電話が掛かってきた。しかし、僕は取らなかった。昨日のことがショックだったし、話したくない雰囲気だった。食事を取るのも億劫だった。僕は彼に付いていったのは、間違っていたのだろうか。彼への疑念が膨らみ、次第に大きくなっていき、重みが増していった。まるで鉛が心に沈み込むような感じだった。
 ガイアが家へやって来たのは、夕方だった。僕は家に一人でいて、チャイムが鳴ったときに、いったい誰が来たのだろうかと思った。ガイアだったので、僕は家に上げて、お茶を用意した。
 彼は相変わらず、鋭い目をしていて、ある種の迫力があった。彼はソファに座り、僕は彼の隣に座った。そして、二人でマールボロの煙草を吸った。
「初めて会ったときのことを覚えているかい?」
「ああ」
 僕はしばらくのあいだ、回想していた。彼は優しい微笑みを浮かべていた。
「君は、心美と寝ている・・・・・・」僕は呟くようにして、言った。彼は、何も言わなかった。肯定も否定もしなかった。
「僕は彼女のことを愛している」しばらく時間が経って、こう言った。
「でも、彼女はまだ十五歳だ」
 分かっている、そう言ってちからなく笑った。でも、愛というのは掛け値のないものなんだ、仕方がなかった、僕の気持ちを抑えることができなかった。
「君は優しすぎるんだよ、きっとね」
「あるいは、そうかもしれない。そうじゃないかもしれない」
「公園まで散歩しないか?」
「具合が悪いというのは、嘘だったのだろう?」そう言って、彼は立ち上がった。
「まるっきり嘘というわけじゃなかったよ。実は、『脚本家』に、昨日偶然会ってね、いろいろ聞いた。君が、幼女の売春組織を作って、自分のために奉仕させているとかね」
「なるほどね、彼から聞いたか」
 僕たちは公園まで歩いた。春の陽気は、温かい世界を地表に作り出していた。太陽が西の方に傾いていたが、まだちから強さは健在だった。風はほとんどなく、時折吹くと、冷たかった。公園は歩いて五分程度のところにあった。僕たちはベンチに座った。自動販売機で冷たいコーヒーを買って、それを飲み、お互いにじっとしていた。僕は掛ける言葉を見失っていた。この隣にいる男は、本当にあのガイアなのだろうか・・・・・・。僕にはまったく別人のように、感じた。まるで、知らない男みたいだった。
「僕も有名になった」
 彼は確かに有名だった。事業家として、慈善家として、彼の名声は深まるばかりだった。僕はそのことを誇らしく思っていた。彼の手伝いができていることについて、誇りに思っていた。
「心美を初めて見たとき、彼女は十三歳だった。彼女は可憐で、美しかった。だけど、僕はそのとき二十一歳だった。僕は呪ったね、何故僕も十三歳ではなかったのだろう。どうして、二十一歳だったのだろう、とね」
 彼は一息をついて、僕の顔をまじまじと眺めた。
作品名:貧者のシナリオ 作家名:Murakami.Lia