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貧者のシナリオ

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 ピザを食べ、ビールを飲み、談笑していると、心美が言った。「まるで私は生まれ変わったみたいです。今までの私は、いったい何だったのだろう。学校に行くことも少なかったのです。高校に進学することも、その先の未来についても考えることができなかった。未来は、暗かったです。どこかでひっそりと暮らすことばかり、考えていました。だけど、賢治さんが救ってくれた。私を暗い水のなかから、明るい地上へ導いて頂きました」
「僕は君のことが気に入っているんだ。未来を変えてあげたくて仕方がなかった。君一人で抱え込むことは、もうないんだよ」
「私は賢治さんのことが好きです、愛しています」
 唐突のこの台詞に、誰もが驚いた。僕は持っているピザを元の位置に戻した。『クイーン』は動きが一瞬、止まっていた。ガイアはこの上なく優しい微笑みを心美に向けた。心美はじっとしている、静かに呼吸を行っている。
「心美・・・・・・」
「私が成長したら、私と結婚してください。それまでに綺麗で、知性のある大人の女性になるべく、自分を磨いていきますから」
 ガイアは、ため息をついた。そして、にっこりと笑った。彼の答えはイエスでもなく、ノーでもなかった。
 誕生日会が終わり、ガイアと二人で話をする機会があった。九月の上旬の水曜日だった。六本木ヒルズのレストランで、僕たちは昼の食事を取っていた。彼はアボカドとのサンドウィッチを注文し、僕はエビフライとロースカツのセットを頼んでいた。
「僕は心美のことを愛している」と彼は言った。とても小さな声で。
「愛していると言っても、養子だろう? つまり、君とは兄妹になる」
「血は繋がっていない。彼女は確かに十五歳だが、僕は彼女が立派に成熟したら、付き合ってみようと思っている」
 僕はそのことに異論なかった。
 サンドイッチをつまみ、彼は優雅に食べた。ドリンクのアイスコーヒーをストローで飲み、じっと僕の目を見つめた。そこには、冷ややかなひかりが宿っていた。
「『貧者のシナリオ』の英語版は年末に完成する。今度は、世界中がターゲットになる。世界を舞台に、僕らは活躍する。素晴らしいとは思わないか?」
 素晴らしいことだ、と僕は言った。
「地獄とは他人のことである、と言う言葉は知っている?」
「フランスの哲学者サルトルの言葉だね、意味は分からないが」
「様々な角度から映された真実に対し意識をもって否定していく。そうすると、すべてはそれぞれに有効であり、やがては真実を見失うということだよ」
 僕は黙って聞いてきた。
「つまり、僕が真実を見失いそうになったら、咎めて欲しいと思っている。僕が本当に信頼しているのは、『クイーン』でも『ミュージシャン』でもガイアでもなく、君なんだ。君を信頼している、自分以上にね」
「ところで今のところ、孤児院への送金だけだが、具体的にはどういった福祉活動を行おうと思っているの?」
「赤十字に寄付をして、アフリカの子供たちを救う、障害のある子供たちに車椅子を購入する、アメリカの貧困街をどうにかして救ってあげるとかいろいろ考えてはいるが、僕には夢がある」
「夢?」
「テーマパークを作ることだよ、そこには子供たちの夢が詰まっている。一般の客からは金を取るが、貧しいホームレスや子供は招待をする。テーマパークでは、利益の追求は極力しないし、大きな雇用と活性化が生まれるだろう」
「素晴らしいアイデアだね」
「僕には神の声が届く。神が、僕を見守っている。このままでは世界が駄目になってしまうとね、だから僕は使命感をもっている。少しずつ救済は、前進している」
 僕は特別な人間なんだ、と彼は言った。あるいは、本当に特別な人間かもしれなかった。カリスマ性もあるし、現に会社は成功を収め、彼の救済活動は大きく舵を取り、進んでいた。
「大きな夢だ、本当に実現できるのだろうか」
「それは考えているところだよ。できなくたって他にもいろいろとアイデアがある。貧困から救い、世界に夢と希望を与えたい、と僕は思っている。君には、いろいろと協力して欲しい。ところで、恵は最近どうしている?」
「実は僕たち結婚することになってね」
「おめでとう、それは」
「ところがマリッジブルーにかかっている、少しナーバスになっている」
「なかなかすんなりとはいかないものだね」
「恵は鬱病だ。また症状が現れているのかもしれない」と僕は言った。
「彼女はまだ軽い方だよ」
 彼は紙ナプキンで口元を拭いた。そして、アイスコーヒーをすべて飲み干した。
「生きていくということは、時々面倒くさくなる。人々の為にということは、時々むなしくなってしまう。僕は立ち尽くしている、果たして歩いている道が正しいのかどうか。間違ってはいないか、って思ってしまう。時々、自信を失ってしまうんだ」
「君は間違っていない」
「ありがとう。親愛なる君から、その言葉を聞けて、僕は安心したよ」

 恵との結婚式は身内だけで行った。十月の日曜日だった。その日は良く晴れていて、天候に恵まれた。僕たちが出会ったパークハイアットで披露宴を行った。僕には貯蓄があったし、彼女にも貯蓄があった。
 一生に一度の結婚式。
 純白のドレスを着た恵は、とても美しかった。彼女はガイアに話したとおり、マリッジブルーにかかっていた。陰鬱な表情を浮かべることもあったら、ある日は清々しい顔になっていることもあった。僕はそんな彼女の感情の起伏に、思い悩んでいたが、あるいは仕方がないことだったのかもしれない。結婚というものは、重たくのしかかるものだ。だが、結婚式の当日には、彼女の表情は穏やかだった。満足そうな顔をしていて、目には明るいひかりが宿っていて、幸福の絶頂に彼女はいた。
 新居には、文京区を選んだ。僕たちは知り合いからマンションを安く借り受け、そこに住んだ。恵と暮らすということは、悪くはなかった。そこには愛があった。両手ですくって、溢れてしまうような愛情を僕は彼女に抱いていた。彼女の新しい仕事は順調だった。それでも、時々、彼女は仕事を休み、部屋でぼうっと過ごすこともあった。家事は半々で行っており、家賃は折半で払った。
 しばらく子供を作ることはしなかった。僕たちは二人の生活を楽しみたかったし、子供がすぐに欲しいというわけでもなかった。僕たちの生活は、なごみがあった。ささやかではあるが、確かな幸福。
 年が明けると、『貧者のシナリオ』の英語版がリリースされ、世界中で爆発的な人気を誇った。ガイアは社員を増強し、アメリカのニューヨークにも事務所を構えた。彼は、アメリカと日本を行ったり来たりしていた。忙しそうだった。春には、サウンドノベルが携帯のアプリとして発売され、話題性も高かったことから、かなりの売れ行きを誇った。会社は順風満帆だった。
 ガイアの表情は引き締まり、貫禄があった。社長としての貫禄、知性を秘めた目、すらりとしていてしなやかなからだ。僕は彼の会社のスタッフであることに誇りを持っていた。彼が成そうとしていることは、世の中の変革ではないが、弱者救済だった。彼はこの上なく、優しかった。世界を慈しみ、憂慮し、少しでも変えていこうという決意に溢れている。彼によって、救われていく人は、これから増えていくことになるだろう。
作品名:貧者のシナリオ 作家名:Murakami.Lia