赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 11話から15話
庶民にとって縁遠いと思われがちな芸者の世界。
しかし。私たちの生活の中に、芸者の世界から生まれた慣習が数多くある。
「独立する」という意味で使われる「一本立ち」という言葉。
「一本」とは、時計が無かった時代。
お座敷で、時間を計るのに使っていた線香を指している。
1本が燃え尽きるまでの時間が、芸者が務めるひと座敷。
そこまでのお金が取れるようになれば一人前という意味から、一本立ちという
言葉が生まれてきた。
「乙な趣味をお持ちですね、」などと使われる「おつ」。
粋や、美しい、という意味で使われるこの言葉は、芸者がお座敷で弾く、
三味線の音色から生まれたもの。
三味線の高い音色を甲、低い音色を乙、と呼ぶ。
心に響く渋いもの、という意味で『おつ』と言われるようになった。
さて。春奴姐さんが深川から湯西川温泉にやってきたのは、
今から30年前のこと。
世話好きで、面倒見の良い春奴姐さんは、戦後の復興が落ちついてきた
昭和25年から35年までの10年のあいだに、相次いで
6人の芸妓を育て上げた。
一番弟子にあたる豆奴は、深川から勝手に春奴に着いてきた。
辰巳芸者時代、姉妹の契を交わした妹芸妓にあたる。
粋な口上と気風が売り物のこの豆奴を筆頭に、鳴り物
(三味線を除く楽器、笛と打楽器の総称)では、右に出るものが
いないと称される2番弟子の小春など、一芸に秀でた芸妓たちが揃っている。
特にひとりだけ湯西川温泉に残った、最年少の弟子の豊奴は、
春奴の再来と言われる、お座敷舞の名手。
立て続けに弟子が育ったのには、時代の背景がある。
「東京のバスガール」は昭和30年代の東京の観光ブームを唄ったもの。
度経済成長が始まった昭和30年代。
終戦直後の焼け野原から近代都市へ生まれ変わっていく東京に、
空前の観光ブームが起こった。
今も東京観光の代名詞として有名な「はとバス」は、この時代に
急成長を遂げた。
観光ブームはさらに地方へ飛び火する。
首都から2時間足らずの温泉地・鬼怒川は、特急「きぬ」の開通で一躍、
注目を集める。
この頃。鬼怒川温泉の奥座敷と言われる湯西川温泉に、東京で評判を集めた
舞の名手がやってきた。それが春奴だ。
噂を聞きつけて春奴のもとへ、連日、芸妓希望者が押しかけてくる。
高度成長の道をひた走る日本が、大量生産と大量消費の時代を生み出した。
さらに『飽食の時代』なるものが台頭してくる。
この頃から、金に任せた夜の遊びがいちだんと熱を帯びてくる。
日本各地に、国民を上げての旅行と観光地ブームが巻き起こる。
花柳界でも人材育成のブームが巻き起こる。
それを裏付ける数字が残っている。
全盛期と言われた昭和30年~40年にかけて、花柳界の数は少なくみても、
東京都心部に28ヶ所。
東京の近郊に、54ヶ所が存在した。
都内の赤坂界隈だけでも、300名を超える芸者がいた。
(15)へ、つづく
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 11話から15話 作家名:落合順平