赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 11話から15話
京都・八坂神社近くの東山地区に、神社や仏閣にお参りする人たちに、
お茶やお菓子を振舞う水茶屋(みずぢゃや)がある。
料理を運んでいた娘たちが、当時流行り始めていた歌舞伎を真似て、
三味線や踊りを披露するようになる。
この風習は、まもなく江戸にも伝わる。彼女たちは「踊り子」と呼ばれた。
京都の踊子は、のちの時代に舞妓の文化を生み出す。
江戸の踊子は遊郭の中に、芸だけで生きる「芸者」という職業を作りあげる。
それを成し遂げたのは、ひとりの人気踊り子。
江戸・吉原の遊郭、『扇屋』で活躍した、歌扇(かせん)という女性。
彼女は踊りと歌、そして三味線を得意とし、巧みな話術で座を盛り上げた。
歌扇は、あっという間にお座敷の人気者になる。
歌扇の影響が、またたくまにひろがっていく。
吉原をはじめあちこちの花街で、芸に優れた女性を置くようになる。
これが今日の芸者システムへ発展する。
芸者は、唄と踊り、楽器などの芸で宴の席に興を添える。
座を盛り上げることを仕事とする、女性たちの総称。
関東では、一人前に仕事をこなす女性のことを芸者と呼ぶ。
修行中の身で、半人前の女性のことは半玉と呼び、明確に区別している。
京都では、関東でいう芸者のことを芸妓と呼び、半玉は舞妓と呼んでいる。
芸者は「置屋」もしくは「屋形」と呼ばれる店に籍を置く。
そこから「茶屋」や「料亭」のお座敷に派遣されていく仕組みになっている。
置屋は、現代における芸能プロダクションのようなもの。
芸者が自ら仕事をとることは有りえない。
ほとんどの場合、置屋のおかみを通して、仕事が回って来る。
京都では全ての舞妓と芸妓の一部が、置屋で共同生活を送る。
たくさんの置屋と、茶屋が集まって形成された街が、いわゆる「花街」。
花柳界と呼ばれている。
京都には祇園や先斗町をはじめとする、花街が5つある。
東京には浅草や神楽坂、赤坂など、6つの花街が存在している。
芸者という職業は、遊郭の中から誕生した。
ゆえに混同されがちな面が有る。
誕生した当初から芸者と、体を売るのが目的の「娼妓」(しょうぎ)」は、
はっきり明確に区別されていた。
着物の裾の持ち方に、違いを見ることができる。
娼妓たちは、右手でお引きずりの裾をもって歩く。
これに対し芸者は常に、左手で裾をさばく。
左手で裾をもつと、あわせと逆になる。
着物の中に、手が入らなくなる。
足の美しさを強調するため、娼妓は足袋を履かない。
舞を披露する芸者は、足袋は必携品になる。
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 11話から15話 作家名:落合順平