Memories of You
おそらくはその従姉……名前は純子さん、紀夫が美人だからお前もいっぺん会ってみろよと言っていたくらいだ、もっとも結婚している女性が、紀夫の言うとおりの美人かどうか確かめにノコノコ出かけて行くほど俺は非常識じゃない、と断ったのだが……美人だと聞いているだけに名前も覚えていた。
康夫と言う名前には心当たりはないが、おそらくは旦那さんの名前なのだろう。
「紀夫、出かけてたの? 電話が通じなくて……」
「泊りがけの研修だったから……」
俺は反射的にそう答えてしまってから、しまったと思った。
つまり、純子さんは紀夫に電話しているつもりなのだ。
俺と紀夫の声は結構似ているらしく、当時の音の悪い電話ではちょくちょく間違えられると紀夫がこぼしていた、『はい、山田です』と出ると、相手は俺が出たものだと思い込んでぺらぺら喋り出すことが多かったらしい。
その逆のことが今起きているのだ。
研修がどうのこうの言う前に、紀夫ではないことを、紀夫のものだった電話に俺が出た理由をちゃんと説明すべきだったのだ。
しかし……。
「遅くにごめんね、でも……私……誰かと話していないといたたまれなくって……」
相当に悲痛な様子、それもそうだろう、旦那さんが事故で急に亡くなってしまったのだ、しかも今日葬式を終えたばかりだと言う……以前にばあちゃんが亡くなった時、葬式を終えるまではバタバタと忙しくて、終わったとたんに『ああ、ばあちゃんはもうこの世にいないんだなぁ』と実感が湧いて来たことを思い出していた、喪失感はその比じゃないだろう……従弟が近くにいるなら、夜中だろうと何だろうと電話したくなる気持ちはわかる。
俺は、すっかり切り出すきっかけを失ってしまって、一時間ほども『ああ』だの『うん』だの相槌を打ってその電話に付き合っていた。
「ああ……胸に溜まってたこと、全部吐き出したら少し気が楽になったわ……泣き言ばっかり聞かされて疲れたでしょう? でも、聞いてくれてありがとうね、紀夫」
「あのぅ……実は俺、紀夫じゃないんです」
今度は純子さんが絶句する番だった……。
「そうだったの、ごめんなさい、私、てっきり紀夫だと思い込んで……」
俺がいきさつを説明すると、純子さんは申し訳なさそうに小さい声でそう言った。
「いやぁ、声が似てるって言われますから、電話じゃ気付かなくても不思議じゃないですよ」
「でも、すっかりご迷惑をおかけして……恥ずかしいわ」
「いえ、少しでも気持ちが楽になったのなら、お安い御用です」
「うふふ……紀夫がいつも言ってた通り……」
「は?」
「凄く気の良い奴なんだ、って何度も」
「はあ……もし、俺なんかでも良ければ、いつでも電話して下さい」
「そんな……ご迷惑でしょ?」
「どうせ、俺のところに電話かけてくる女性はお袋と妹くらいですから、女性からの電話と言うだけで大歓迎ですよ……」
「もしもし、山田です」
「あの……陽介さん? 純子です……」
思いもかけなかった……もしあったら良いなぁとは夢想していたが……純子さんからの二度目の電話だ。
「あ、はい、そうです」
「この間はすっかりご迷惑をおかけして……」
「いえ、とんでもない」
「あのあと、思い出すと恥ずかしくて……でも、なんだか可笑しくもあって、随分と気持ちが楽になったのも本当……もしよろしければお食事などはいかが?」
「いやぁ、そんな大層なことをしたわけでもないですし」
「だめですか?」
「だめだなんてとんでもないです、でも、本当にたいした事でもなかったですし……それにご主人を亡くされたばかりの女性と二人で食事というのもなんだか……」
「じゃ、こうしましょう、ファミレスでならいかがかしら? 軽い感じで」
「はぁ……それくらいなら……」
ムーディなレストランではなく、ピカピカと明るいファミレスでの食事。
それでも、初めて会う女性と二人きりで食事するのだと思うと、結構緊張して出かけて行ったのを覚えている。
実際に会った純子さんは……紀夫はかなり控えめに言っていたようだ、想像していた以上の美人だった。
ストレートの長い黒髪、ほっそりとした輪郭に切れ長の、しかし柔和な感じの目……俺の好みにバッチリだし、大人の女性のしっとりとした雰囲気にも魅せられてしまう。
それもそのはずで、俺より八つ年上の三十歳だと言う、彼女いない歴二十二年の俺には大人すぎるくらいだった。
俺はすっかり固くなってしまって、ついどもってしまったり、長野のイントネーションが出ないか気になってしまったりで会話が弾まなかったことも覚えている。
そんなぎこちない雰囲気を、食後のコーヒーを飲みながらの彼女の一言が救ってくれた。
「ご趣味は?……あら、なんだかお見合いみたい」
「ははは、中学、高校とブラバンだったもんで」
「あら、私もよ、私は中学の時までだったけど……楽器は何を?」
「テナーサックスです」
「私はクラリネット、今でも吹いてるの?」
「いやぁ、こっちに来てからは住宅事情もありますし、全然……聴くだけになっちゃいました」
「どんなのがお好き?」
「友達からは古いって笑われるんですけど、やっぱりビッグバンドジャズが好きですね、ウディー・ハーマン・オーケストラの『フォー・ブラザーズ』は高校の時にアドリブまでバッチリコピーしたりして」
「私はクラリネットだったから、やっぱりベニー・グッドマンだったなぁ」
「『メモリーズ・オブ・ユー』ですね……あ……」
ベニー・グッドマン・オーケストラの代表曲のひとつだが、その曲名を口にしてしまってから、無神経だったと後悔した……『あなたの想い出』……大事な人を亡くしたばかりの女性には酷な曲名だ。
だが、彼女は柔らかな微笑を浮かべてくれた。
「大丈夫よ、彼はロック派だったの、TOTOとかボストンとかの、だから音楽絡みの思い出ってほとんどないから……そう言えばコンサートって随分と長いこと行ってないなぁ」
「何か良いコンサートとかあったらお誘いしますよ」
とっさに口をついて出た、この機を逃したら一生後悔する、そんな思いが脳みその右から左へ電流の様に突き抜けたのだ……彼女いない歴二十二年の俺にしては上出来だった。
ロックやポップスのコンサートならばいくらでもある、しかし、ビッグバンドジャズとなるとコンサートを探すのも容易ではなかった。
しかも今のようにネットで検索すればいくらでも情報を得られる時代ではない、おれは『ぴあ』と『スイングジャーナル』誌を隅から隅までチェックして、彼女の興味を引きそうなコンサートを探した。
幸い、まだTVの歌番組が健在な時代、国内のビッグバンドは健在だった……その頃から歌番組にもバンドが出演するようになっていたから、そろそろ解散するビッグバンドも出始めてはいたが……。
そして、その年のクリスマス、日本を代表するベテランクラリネット奏者が出演するコンサートに二人で出かけた。
それまで、『メモリーズ・オブ・ユー』は封印しておきたかったのだ、彼女に亡くなった旦那さんのことを思い出して欲しくない……そんなさもしい考えからだったが……。
作品名:Memories of You 作家名:ST