Memories of You
1.
「これで良し……っと」
俺は畳にごろりと横になって、古ぼけてちょっと煤けたようになっている天井を見上げた。
今日から四年間、この四畳半が俺の住処になる。
昭和五十三年、俺は大学に合格して上京して来た。
今でこそ学生向けの部屋もワンルームアパートが主流だが、その当時はこうした下宿屋がまだまだ沢山あった、部屋は一間の押入付きの和室四畳半、トイレと炊事場は共同で、風呂は近くの銭湯を利用する、洗濯も銭湯に隣接したコインドリーを利用することになる、それが普通の時代だった。
引越しの荷物と言ってもたいした事はない。
机は備え付けられていたから、俺が運び込んだ荷物といえば、布団一そろいに、入学祝に親父が買ってくれた一張羅のスーツ、その他の衣類はジーンズやらTシャツ、ポロシャツ、セーターに薄手のジャンパー位のもの、あとは机に収まる程度の勉強用具一式と愛読書が数冊だけ、教科書類は後日買うことになる。
それっぽっちの荷物を片付けるにも、最近はすっかり見かけなくなったジッパーで開閉するビニール製の洋服入れとカラーボックスを買って来なければならず、なんだかんだ言って午後一杯かかってしまった。
夕方六時ごろ、食材の買い置きもないので外食しようと部屋を出ると、同じタイミングで隣の部屋のドアも開いた。
下宿屋の壁は薄いから、隣も今日引っ越してきたことは見当がついていた、顔を見ると、どうやら隣も新入生らしい、これから隣同士になる間柄だ、俺がひょいと頭を下げると、向こうもひょいと頭を下げる。
俺と同じトレーナーとジーンズだが、俺よりは少しこざっぱりとしている。
俺のトレーナーにはでかでかとadidasのロゴが入っているが、向こうはVANのワンポイント、ジーンズもくたびれた感じはしない、俺の髪は七三分けがそのまま伸びただけのようなものだが、向こうは同じような長さでもざっくりとセットしている感じ……要するに向こうの方が都会派な印象を受けるが、気後れするほどではない。
それに、愛想笑いこそ浮かべていないが人懐こそうな感じで、付き合いやすそうな印象を受ける。
「あ、今日引っ越してきた山田と言います」
「え? 俺も山田なんだけど」
「へえ、偶然だな」
まあ、ありふれた姓だから不思議でもないのだが、それでも隣同士で同じ姓とはなんとなく縁を感じる、向こうも同じだったのだろう、なんとなくうち解けた雰囲気が生まれた。
「これから夕飯に行こうと思うんだけど」
「俺も……一緒に行く?」
「ああ、一人じゃ寂しいもんな」
二人で駅前の中華料理屋に入り、小さなテーブルを挟んで向かい合った。
「俺、山田陽介、M大経済の新入生」
「俺は山田紀夫、俺もM大経済だよ」
「出身は? あ、俺は長野」
「俺は名古屋、やっと違う所があったな」
「ははは、本当だな」
第一印象から気が合いそうな奴だと感じたし、向こうも同じだったようだ。
翌日のオリエンテーションから俺達二人は一緒に行動した。
呼び合うにも『おい、山田』、『なんだ? 山田』では具合が悪い、自然と下の名前で呼び合うようになり、大学から戻るとどちらかの部屋で一緒に過ごした。
どちらかの部屋と言っても、造りは左右対称なだけで同じだし、家具調度と言うべき様なものはまだほとんどなかったのだが……。
もっとも、夏休みも終わる頃には違いが出てきた。
俺は中学、高校とブラスバンド部だったから、やはりステレオは欲しい、今なら安価なミニコンポがいくらもあるが、当時はまだ30センチLPレコードの時代だ、結構な大きさになるし、安いものではない。
紀夫は映画研究会だったそうで、やはりテレビは欲しかったらしい、小さいながらもカラーテレビを奮発した。
俺は高校時代から打ち上げと称して結構飲んでいたから、冷えたビールには目がない、それに外食ばかりでも良くないだろうと思い、小さいながらも冷蔵庫を買って運び込んだ。
そして紀夫は……悔しいことに高校時代から付き合っている娘がいるそうで、どうしても電話は欲しい、と部屋に電話を引いた、もちろん今のようにスマホや携帯電話などない時代のこと、今じゃとんと見かけない黒電話、しかも当時は加入権やら何やらで結構金がかかった、俺のステレオと大体同じ位か……。
二人とも夏休みのバイトに精を出して買い揃えたのだ。
しかし、学生の身で贅沢は言えないし、部屋は四畳半でスペースは限られる、紀夫はレコードを買ってくると俺の部屋のステレオを使い、俺は見たいTV番組が放送されるとあれば、紀夫の部屋に見に行く。
冷蔵庫も上の段は俺の、下の段は紀夫の食材や飲み物で埋まり、俺は家族や友達に紀夫の部屋の電話番号を教えた、今じゃ考えられない『呼び出し電話』だ。
俺達はそうやってお互いの部屋を活用し合いながら、大学の四年間を共に過ごした。
もちろん時にはケンカもしたが、何しろお互いの部屋を行き来しないことには生活できない、ビールやウイスキーを下げて行けば、それでも拒む理由はなかったし、第一印象から気が合うなと感じた者同士だ、お互いに生涯の友であることはわかりすぎるほどにわかっていた。
大学を卒業すると、紀夫は名古屋の会社に就職して郷里に戻って行った。
黒電話のおかげで、例の彼女と四年間切れずに済んだこともその理由のひとつなのだろう……と言うか、本人がそう白状した。
俺はと言えば、郷里で待っている女性はお袋と妹くらいのもの、名古屋なら大都市だが、長野では魅力的な就職先もなかったので東京に残ることにした。
その時に、紀夫のカラーテレビと電話は俺のものになった、物が増えて部屋は狭くなってしまったが、学生時代と違い、部屋には寝に帰るようなもの、引っ越すのも面倒だったし、会社への便も悪くなかったので、当分は下宿を移るつもりはなかった。
就職してしばらく後、研修のために三日ほど部屋を空けて帰った晩のことだった。
駅前で買って帰ったホカ弁をビールのアテにしながら食い、十一時からのちょっとエッチなバラエティで脳みそをほぐして、さあ、寝ようか、と布団にもぐりこんでうとうとし始めた時、黒電話がけたたましく鳴って叩き起こされた、当時の電話は実際にベルが内蔵されていて、それが鳴るものだから音量の調節など出来なかったのだ。
「もう……誰だよ、こんな時間に……」
俺はぶつくさ言いながら電話に出た。
「はい……山田ですけど……」
相当不機嫌な声に聞こえたに違いない……。
「ごめんね、こんな時間に……」
俺はいっぺんに目を覚ました、受話器から聞こえて来るのは若い女性の声だったのだ。
「あのね……康夫がね、事故で亡くなっちゃったの、昨日お通夜で、今日お葬式だったのよ」
何のことやらわからない……しかし、俺には声の主に心当たりがあった。
紀夫は、従姉が結婚して東京に住んでいると言っていた、何度かは会いにも行っている。
作品名:Memories of You 作家名:ST