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神社寄譚 3 捨て人形

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伊福部昭 Sinfonia Tapkaara 2 Adagio
http://www.youtube.com/watch?v=nUlev8LAXJ8&feature=relmfu

私はひょんなことから神社の役員になった。
海外勤務の長かった私は、不思議なもので海外に出て初めてまるで我が身を振り返るように、日本という国を省みるようになった。
いやそんな大袈裟なものではない。海外で人々や文化に接する度に、西欧化した日本人の立ち居振る舞いになにか情けなさを感じたのだ。守るべきものはなかったのか、と。和風なものを好みだしたのは間違いなく海外赴任中の頃だ。そして海外勤務から離れ、地元に戻ると結局地元との繋
がりのなにも無いのに気づきそんな無味な人生を嘲り笑いながら斜に構えていた頃に出会ったのが街の神輿連だった。
普段は街で会おうと軽く会釈するほどの関係・・いやそれすらなかった私にとっては近くの祭りに係わることで同じ街の住人としての関係性を強め
ある種の一体感・・それが絆といわれるとこそばゆいが・・を共有する彼らの存在が羨ましく思えた。ある夏の日、近隣の神社に散歩に向かったところ神輿を出して飾り付けを行なっている場面に出くわし、老いも若きも一緒になって真剣に取り組む男たちの姿を観て多少の勇気を振り絞り声をかけたところ、意外にも彼らは人なつっこく微笑んだ。
それが神輿連の「世話人総取締役」という肩書きを持つタカさんだ。
それから10年近く経つがタカさんの肩書きは変わらない。
神輿は神社の相殿に祭られている八坂神社の御幸祭(みゆきさい)ということでご祭神である建速須佐之男命(タテハヤスサノオノミコト)の霊力を町中に振り撒き五穀豊穣と疫神祓をするため神輿に御遷り戴き町中を練り歩く。と云われてきたものであるから、とにかく威勢がいいことが信条。揃いのハッピにふんどし姿で、朝から大声張り上げて力の限り練り歩く。神酒所で休憩ともなればお天道様の高いうちから酒に溺れる。
そんななかで街の住人どおしの触れ合いが生まれる。
「おぃ、威勢がいいじゃねぇか!」
「だいぶん、へばってきたなぁ・・」などと声を掛け合いながらやがて祭りは最高潮を向かえ、そして倉庫に仕舞う時には得も知れぬ哀感と
「来年また張り切るからな、よろしくな」と笑う潔さが、男の生き様を象徴しているように思えた。だから神輿連に入って以後は必死に担いで回った。
だが始めたのが遅すぎたのでなかなか担ぐのが億劫になり・・そんなころ
いろいろな役回りを押しつけられるうちにタカさんに呼ばれて
「神社の役員が足りなくなってさ。あんたぁ、真面目にやってるしさ。
ここいらで神輿連辞めてもらってさ、神社のお役につきなよ。」と。
そんなことで横滑り状態で、神社側の役員になった。まぁ街のメンツは変わらないので人事異動の一環のようなものであったが神社側の役員となると祭りだけではなく、正月や七五三など年がら年中忙しくなってしまった。しかし不思議なもので神社でご奉仕するうちには、それまで自分では考えても見なかったような信仰心が芽生えてきたりするもので自分でも驚いている。
寧ろ其れまで「無神論者」を気取ってきた自分を恐ろしく愚かしく思えてきた。
近隣のこの神社は、街の氏子会が運営する規約になっていて月に一度の月例祭(つきなみさい)が行なわれ、宮司をはじめ役員が一同に会すことになっている。宮司は常々いるわけではなく、普段は管理人が神社横の家に
住んでおり要請を受けると宮司ら神職が来る形をとっている。そんなお役をある程度やっていると、後期高齢者の宮司の仕事を手伝うようになる。
勿論、私は神職の資格もないし、そのまえに一介のサラリーマンであるので休日に限って、ということであるが、祭事の支度とか送り迎えなどなかなか後期高齢者の仕事としてはたいへんだ。
しかし不思議なもので祭事に係わることで自分の気持ちも落ち着くことが出来るようになった。昔はそれでも小高い山の上にあった閑静な神社であったが、今となっては住宅街の真ん中にひっそりと佇む形となり、参拝者は混み合うというほどではないが年々増加してきている。
すると受付としていろいろなお話をうかがうことになるのだが大凡よく訊かれることというのは大体決まってくるもので。
ひとつは「古くなったお札は何処に納めればいいですか?」
これは境内の納札所に納めてくださいな、正月過ぎのどんどやきで焼きますから、とか。
「神棚はどのようにお祭りしたらいいですか?」
いろいろご家庭によりお考えもありますが、ついたち十五日は御神酒を上げてお榊を新しいものに替えてお祭りください、とか。
一問一答のような答えが徐々に出来上がってくるもので。
そのなかで多いのが「お人形は処分していただけますか?」というもの。
他の大きな神社さんでは知らないが、この住宅に囲まれた小さな神社では
不燃物であったり燃やすと有害なガスを発生させるような、人形、ぬいぐるみの類は「処分しない」こととなっている。
ダイオキシンとか環境ホルモンとか難しい話はわからないが昔と今では状況があまりに違いすぎるのである。
「人形供養」?いや供養というのは仏教の言葉なんでね。
と断る役員もいる。
ひとつには一件其れを許せば、心無い人々がトラックで
訪れて山のように人形や、ぬいぐるみを不法投棄していった実例もあり町内会、自治会協議のうえ氏子会としても「処分をしない」こととなった。
ただし。宮司の話があり、目鼻があるもので、自分で買おうが、
親しい人に買ってもらおうがそういうものには「ひとの想い」というのも
のが降り積もるもの。
今は新たな生活の為にやむなく手放すこととなったとしても、其れには
贈った人、贈られたひとの情念に似たものが備わるもの。
そんなこともあってなかなか捨てるに捨てられない。
後ろ髪を惹かれる想いというのか、後ろめたいというのか。
だから「神上がり」の御祓いをするというのであれば、それは行ないましょ。
罪穢れを祓い、悲喜こもごもの思いも祓った上で。
御霊を丁寧にお遷りいただいて、只単なる「もの」にしてから「ごみ」として行政の方のサービスで捨ててください。と仰られるので「神上がりの祈祷」をウチの神社ではお奨めすることにしている。
しかし中には悪い奴もいたもので納札所に人形を捨てる輩がおりWebカメラで監視するようになったし、実際悪質なものは不法投棄として
警察に被害届を出すこともあった。
役員が定期不定期に散歩して見守る回数を増やしたこともあって最近では「捨て」人形は少なくなった。

作品名:神社寄譚 3 捨て人形 作家名:平岩隆