笑門来福! 新作落語の間
3. 『続・鰻の幇間』
え~、落語にはあまり利口な奴は出てまいりませんようで。
もっとも、利口な奴が良い目を見るなんて噺は余りお聴きになりたくはないでしょうから当たり前っちゃぁ、当たり前ですな。
旧家の出で一生安楽に暮せる金を持ってる、それを確かなところにちょいちょい貸し付けてて気が付いたら倍になってた、これはあぶく銭だからってんでその儲けを製薬会社の株につぎ込んだら、その会社が画期的な新薬を開発して株価が10倍になった……そんな噺は面白くもなんともありませんな、落語のネタになるにはその全財産を博打につぎ込んで一文無しにならないといけません……。
とどのつまり、人の不幸ほど面白いものはない、金持ちが幸せになるなんざこの俺が許さねぇ、皆様そう言うお考えで落語を聴いてくださる、噺家は人の不幸を吹き込んでおまんまを頂戴している、とそういうわけで……。
まあ、たまには利口な奴が出て来る噺もないわけじゃありませんが、そん時は必ず煙に巻かれる間抜けが要り用なんですな。
この間抜けの方ですが、馬鹿の与太郎でもまあ宜しいんでしょうが、自分じゃ抜け目がないと思ってる、そう言う手合いが見事に煙に巻かれますとお笑いも多いようで……。
「う~寒いね、どうも、どうして師走ってのはこうも寒いかね、おまけにだれもかれも忙しがっちまってて、こうやって海釣りに出たところで魚が餌に見向きもしませんよ、ンとにもう……せめてもうすこし懐があったかけりゃなぁ、銭と銭の間に隙間風が吹き抜けてますよ、これじゃ芯から冷え切っちまってもう……真冬の海に漕ぎ出す漁師の気持ちが良くわかりますよ、板子一枚下は地獄ってねぇ、明日をも知れねぇ命、風前の灯ってやつですよ、心細いったらありませんよ……。
おや?……向こうから来る旦那、どこかで会った覚えがありますよ、どこで会ったんだっけな……思い出せないってぇと仕事がしにくくていけませんよ……え~とどこで……あっ……そうだ……あいつだ……あたしを鰻屋でえらい目に会わせやがったあいつですよ……また今日は良いなりをしてるねぇ、見違えちまいましたよ……おや、あの下駄はあたしのですよ、おろしたての糸柾、のめりの下駄てぇやつだ、あん時ゃもう、あいつが履いて帰っちまったもんだから羽織がけに汚ねぇ草履履くはめになっちまって、あんなに間抜けなことって無かったよ全く……おっと、近づいて来ましたよ、何事も最初が肝心てぇやつだ、がつんと言ってやって舐められないようにしないといけませんよ……待てよ待てよ、もっと近づいてからですよ……よぉ、大将、しばらくだったな」
「何だ?お前ぇは、見たところ野だいこみてぇだが、そんなぞんざいな口を利く幇間(たいこもち)ってのがあるけぇ」
「何を言ってやがんだか……ありゃ客と思えばこその口の利きようってもんだ、手前ぇになんざこれで充分だ」
「なにをぉ?」
「客だとは思わねぇとそう言ってんだよ、人を散々カモにしやがって」
「へっ、カモにしちゃネギをしょってねぇな、気が利かねぇカモだ」
「図々しいねぇ、どうも……ああ、確かにあん時の俺はネギをしょったカモに見えただろうけどよ」
「お前ぇと? 俺が?……どこで会った?」
「夏の時分の話だよ、鰻屋の二階で……」
「夏……鰻屋……ははぁ……思い出したよ、あの時の間抜けな野だいこだな?」
「けっ……いいよ、何とでも言いやがれ、確かに間抜けだったよ、完膚なきまでに叩きのめされたってぇやつだ、いっそ清々しいくらいだったよ」
「ははは、悪かったな、あん時は俺もちぃっとばかり懐が寂しくてよ」
「悪かったなじゃねぇや、全く……もういっぺんお前ぇさんに会いてぇと思ってたよ、会って色々と教えてもらいてぇもんだとね、でもこうしてばったり会ってみりゃ腹立たしいったらねぇや……だけどなんだな、あの時は浴衣がけだったが今日はまた随分とめかしこんでるじゃねぇか」
「別にめかしこんでるわけじゃねぇや、この寒空だよ、『体中 顔と思えば 寒くなし』なんてことを言うが、あんなのは痩せ我慢、貧乏人の見栄ってやつだ」
「だけどそのなりってのは寒いからどうこうとか言う話じゃないねどうも、結城の着物に献上の帯たぁ気が利いてらぁ、羽織の裏も洒落てるしよ……見たところ、随分と景気が良いみてぇじゃねぇか」
「ああ、品川でちょいと一仕事したばかりなんでな……おう、どうせ暇なんだろう?」
「大きなお世話だ、忙しいよ、大忙しだこっちゃぁ……なにせ朝から海に漕ぎ出したってぇのに、昼時分になっても、まだ一匹も魚がかからねぇんだからな……」
「ははは、情けねえじゃねぇか……一杯奢るよ、つきあわねぇか?」
「御免こうむりやしょう、狐と知ってて付き合うやつがあるもんけぇ、二度も化かされちゃたまらねぇや」
「さっきは俺にもう一度会いたかったと言ってたじゃねぇか」
「まあ確かにそう言ったかも知れねぇがよ……だけどそりゃ言葉のあやってぇやつだ……あんまり綺麗にやられちまったもんだからよ……」
「おう、この紙入れを見ねぇな……人に紙入れの中身を見せるなんざ法にねぇがよ……ちゃんとおあしがへぇってるだろう?」
「……また随分と懐に入れていやがんなぁ……葉っぱじゃねぇだろうな?」
「よせやい、つきあうかい? どうせ腹も減ってんだろう? 罪滅ぼしさせてくんねぇな」
「まあ……そこまで言うなら……付き合わねぇでもねぇけどよ……」
「おう、馴染みの店(うち)があるんだ、ついて来ねぇな」
「なんだか聞いたことがあるような台詞だねどうも、煮しめてある店だの首を傾げてる店なんてのは御免だよ」
「あれっ、この野郎、随分と用心深くなっちめぇやがって……でぇじょうぶだよ、来るのかい? 来ないのかい? 俺ぁ、煮え切らねぇのは嫌いだよ……来るのか来ねぇのか、おい! はっきりしてもらおうじゃねぇか」
「……行くよ……行きますよ……」
何かこう、『あ、拙いな、これは相手のペースだな』とわかっていながらついつい乗せられちまうってことはあるもんです。
まあそれだけこの男の腕が良いってことなんでしょうな。
着いたのはちょいとしゃれた料理屋、煮しめてもなければ、こう……こう店が首をかしげてもいません、こざっぱりとした暖簾をくぐるなり女将から『いつもご贔屓にどうも』なんて挨拶されるところを見るとまんざら知らない店でもなさそうで……。
「まあ、ひとつ行こうじゃねぇか、ちょいと飲ませる酒だよ」
「狐の小便じゃなえだろうな……」
「大丈夫だよ」
「じゃ、狸」
「狸の小便でもねぇから!」
「徳利を見せろい、狐と狸がじゃんけんなんぞしてねぇだろうな」
「よせやい、見ねぇ、信楽だ、猪口もそろいだよ」
「信楽?……まんざら狸と縁がねぇわけでもねぇな」
「疑り深ぇね、どうも、じゃ、ほら俺から飲むよ……ふぅ、五臓六腑に染み渡るね」
「……そうかい?(猪口を見つめる)……見た目は確かに酒だな……」
「だから酒だって言ってるじゃねぇか」
「(一口つけて)……なるほど……こいつは安くねぇ酒だね……」
「こうこもやってみねぇ」
「ああ、頂きますよ……べったらだな? べったらはこう厚く切らなくちゃ……(噛む)……いけねぇや……うん、こいつを食うと年の瀬も近ぇって気になるね」
作品名:笑門来福! 新作落語の間 作家名:ST