遙かなる流れ
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翌日、私は叔父に
「昨日のお見合いですが、とりあえず、お付き合いしたいと思いますから、そのように伝えて下さい」
そう伝えました。叔父は大層喜んで話を進めると言い、先鋒に電話していた様です。私は青森に電話をして、
「当分帰れなくなるかも知れない」
と伝えました。当時は長距離電話は高かったですが。只同然で進駐軍から払い下げられたアメリカ製の冷蔵庫を見てくれだけ良くして、取り敢えず動くように修理をし、法外な値で売っていた叔父は随分景気が良かったのです。
私はその後は東京をあちこちと見物していました。でも。その間に私の結婚は決められてしまったのです。
「いきなりだなんて……」
そう叔父に言いましたが、後の祭りです。私は一回しか会った事の無い人の元へ嫁ぐ事になってしまったのです。
「婚約者なんだから、もっと逢っておいた方が良い」
そう言う叔父の提案で、哲夫さんと初めてのデートをすることになりました。その日、哲夫さんが叔父の家まで迎えに来てくれました。
今日は開襟シャツにズボンと言う出で立ちです。私は青森を出る時に着て来た、自作の薄い緑の半袖のワンピースです。
東武電車に乗って浅草まで出ます。途中の駅で哲夫さんは
「この駅はウチのお爺さんが東武と掛けあって作って貰った駅なんですよ。出来た時は荒川が無かったからもっと向こうにあったのですよ」
そう言って説明してくれました。なんでも哲夫さんの家は大層古く、遡ると源平の戦いの頃までになるそうです。
「ウチに伝わってる話では、私らの祖先は平家方の武士でして、その源平の戦いに負けて、仲間六人とこの地まで逃げて来たそうです。その頃はここは誰も住んで居なかったそうです。まあ年中水が出ますからね。それで住み着いたと言う訳で、だから江戸時代も名主をやっていたんですよ」
そう言う哲夫さんからは、気負いも驕りも全くありませんでした。
「それで、哲夫さんでどのくらいなんですか?」
そう私は軽い気持ちで聞きました。すると
「私で二十六代目です」
二十六代って徳川十五代より多いと思いましたが、その時哲夫さんが
「只、単に古いと言うだけです。あとは何にもありませんよ」
「でもあんに素敵なお庭がありますから……」
その私の言葉に哲夫さんは
「ここだけの話ですが、この前まで半分は人手に渡っていたんです。買い戻しましたが、借金が残りました」
さらっと、本当に何でも無く大事な事を彼は言ったのです。
「借金があるのですか?」
私もこんな事を訊くのはどうか?と思いましたが、何故か訊いて仕舞いました。
「お袋だって、先日はあんな落ちつていましたがね。普段は金策に走り廻っているんですよ」
「お父様は?」
「昭和二十五年に心筋梗塞で亡くなりました。五十五でした」
「私も今年父を亡くしました。納骨で東京に出て来て……」
「伺いました。大変だったそうですね。でもウチに来るともっと大変ですよ」
哲夫さんは、外見に似合わず、心の綺麗な方のようです。
「だから、和子さんの叔父さんはどんどん話を進めていますが、僕は本当の事を知って欲しかったんです。それに……」
「それに?」
「僕は戸籍の上では初婚ですが、実は二十七の時に一度嫁を貰っています。二ヶ月で破綻しましたがね。そう言う奴なんです」
私達は浅草から地下鉄に乗って上野へ出ました。
「動物園でもどうですか?」
哲夫さんの提案に私も賛成しました。
「動物園に行くと僕の様な顔の男でも多少はマシに見えると思いましてね」
そう言って笑っています。私が今迄にお見合いした相手とは違っていました。今迄の人は、いかに自分の家が凄いか、いかに自分は優れているか、そればかりを語っていました。今回の哲夫さんの様に自然体な方は初めてでした。
「動物園の動物は餌を貰えて、安心して暮らしていけるかも知れないけれど、草原を走る事はもう出来ないんですね。人間も同じです。どっちが良いか……」
そう言ったのが印象的でした。夕方になると、この頃は急に肌寒くなります。半袖の上に掛けるものが欲しくなります。
「肌寒くなりましたね」
私がそう言うと哲夫さんは
「寒い?」
そう言って私を抱きしめてくれ、キスをして来ました。私の初めてのキスでした。恥ずかしい話ですが二十六になるまで、男の人に興味が湧かなかったのです。
帰りには、私は何故、最初の結婚生活が破綻したのか訊いていました。
「相手は学校次代の親友の妹でした。恋愛です。学生時代から付き合っていました。それで、戦後になり生活も落ち着いて来たので式を上げたのですが、彼女は妊娠しない体だったのです。医者に見て貰ったら『簡単な手術で治り普通に妊娠する様になる』と言われました。でも彼女はそれを拒否したのです。のろけと思われるかも知れませんが、彼女は東宝のニューフェイスに合格したほどの美人でした。スタイルも良かったです。その体にメスを入れる事を拒否したのです」
哲夫さんはそう言って微かに笑いました。
「可笑しい話でしょう! 結婚したのに子供を作るのを拒否したなんて……子供のいない結婚生活は僕には考えられませんでした」
そして、別れ際に
「僕は、そう言う奴で、過去もあります。それも含めて良く考えて下さい。今なら未だ間に合います」
そう言ってくれました。でも私の心はもう決まっていました。
それからも叔父は話を進めています。そんな時に青森の秋谷さんの叔母夫婦から速達が届きました。
開けて見ると、興信所を使って、哲夫さんの家と自身を調べた内容でした。そこには、山の様な借金や、哲夫さんが事実上再婚である事等が書かれていて、叔父の言葉で、この縁談を断る様に、と書かれていました。
全て、あの日に哲夫さんが私に言ってくれた事でした。
私は、その速達を封筒に戻すとカバンの奥に仕舞い叔父に、話を進めてくれる様に言いました。手紙を見てきっと私が驚き、話を断るだろうと思っていた叔父は
「いいのかい?」
そう言って返って戸惑っていました。
私は、大変な家に嫁ぐ事を決めたのです。