遙かなる流れ
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姑の葬儀は、派手好きだった人なので、当時の我が家としては随分と派手に行いました。結果、大勢の方がお焼香にやって来て下さいました。きっと姑も納得して喜んでくれたと思います。
でも、お陰で蓄えも底をついて仕舞いました。そんな時でした。我が家に色々な問題が持ち上がったのです。
第一は、かってのわたし達のあった公園内での営業の事ですが、建物等はわたし達が使っていた設備を改修せずにそのまま使っていた為、随分と老朽化して仕舞いました。
そこで、設備を見直し、立て直し公園が都から区に移管される事と同時に建て替えて近代的な
設備にすると言うものでした。
心配だったのは「新たに業者を入札で決める」と言う事でした。噂では大手の業者が狙っている、と言う噂がありました。
果たして、どうなってしまうのでしょうか?
私の所はすでに会社化してあり、夫が代表取締役についていました。でも、この際に、夫の友人でもあり、かっての遊び友達だった地元の有名な料理屋さんの社長さん達にも名前だけの役員になって貰いました。これは入札対策です。
第二は、この地域も来ればせながら、下水道が完備されたので、トイレの改修工事の事でした。見積もりを出して貰ったら二百万程掛かると言われました。そのお金の事も心配の種でした。
話は意外な事から廻り出しました。毎月、月掛け預金をしている銀行の人が、我が家に来ていました。この人は、暇があると年中我が家に寄って、お茶を飲んで休憩して行ってたのです。
その人が「おばさん(こう呼ばれていました)下水工事はどうするんですか?」
と訊いてきたのです。わたしは
「そうねえ、直さなくてはならないけど、お金がねえ〜貴方の所で貸してくれる?」
そうわたしは訊き直しました。すると彼は
「ウチはいいですよ。でもこの家もそうとう来ていますから、下水だけじゃ済まないかも知れませんね」
そういいました。私はそれに
「いっそ全部建て直したいけどねえ」
そう冗談交じりに言った処
「三階建にして、上はアパートにして、その上がりから返済と言う事なら、僕がここに居る間なら支店長を口説いて貸付ますよ」
そう言ったのです。私はその時、ひらめきました「建て替えるなら今しか無い!」すぐさま、私はそのように頼むのでした。
銀行の貸出はすぐに決まりました。当時は未だ景気が良かったので金利は高かったものの、返済に関しても楽観的な空気がありました。これで、家は建て替える事が決まったのです。
もうひとつの方ですが、やがて、区役所で入札が行われました。参加した業者は、ウチの他に二社でした。
そのうちの一つは大手の業者で名前を言えば誰でも知ってる業者でした。やがてプレゼンが始まりました。
夫はハイヤーの会社で労組の委員長をやっていますので、こう言う事には慣れていました。でも大手に比べて、目を見張る様な写真やパネルがある訳ではありません。手作りの資料があるだけです。それでも夫は今迄の実績と地域に密着した会社である事を訴えて終わりました。
大手や、その他の業者さんのプレゼンはそれは見事でした。いかに効率的な経営をするか?とか、他の経営する店との連携でお客のニーズに応えるとか、素晴らしいものでした。
家に帰り、(この頃は既に引っ越して仮住まいでした)夫と
「もしかしたら負けちゃうね」
そう言っていました。夫が
「負けちゃったら、あの世で御先祖さまに会わせる顔がないな」
そう言うので、私は
「そうなったら仕方無いですよ。やるだけやったんだし、それで負けたら……」
そう言って夫を慰めます。わたし達は地域の政治家の方とかにも頼んでいましたが、それはいわゆるロビー活動と言うものでした。
暫くして、発表がありました。契約課の廊下の壁に貼りだされたのです。それと同時に電話も掛かって来ました。
結果は……わたし達の会社が受注を取りました!プレゼンに勝ったのです!
後から判った事ですが、地元密着、と言う事が明暗を分けた様です。公園自体は六月が植わっている花の開花時期なので、この前後は大変混み合いますが、他の時期は閑古鳥が鳴いている事もあります。私達は個人的な付き合いもありますので、地元の町会や会社等が積極的に使ってくれるのです。
だから、違う会社が経営する事になると、それが全て無くなってしまうと考えたそうなのです。夫とは「負けたら別な店でもやろうか?」と話していました。
年が開けて、夫は定年になり(当時55歳です)お店に集中する事になりました。そして、外に修行に出ていた息子も帰って来て手伝ってくれる事になったのです。まさに家族で切り盛りする状態になりました。
家も三階建が完成し。二階三階はアパートになっていて、その借り手も決まりました。我が家に新しい時代が訪れたのを私は感ぜずにはおれませんでした。