小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

遙かなる流れ

INDEX|15ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 

14



私の体はすっかり治った訳ではありませんが、かなり良くなりました。宮田先生も
「良くこれほどまで回復したね」
 と言ってくれました。そうなると、家の用事が待っています。
 朝早く起きて市場に仕入れに行き、帰ってきて皆の朝ご飯の支度をして、片付け、洗濯、掃除とやるともう十一時近くになります。
 お昼の用意をして、店の方に行き、夜のお客さんの仕込みをします。終わるのはもう三時過ぎになります。
 家に帰って洗濯物をたたみ、夕飯の支度をして店に帰ります。五時ごろからお客さんの料理をこしらえ始め、お姉さん方に運んで貰います。
 そして、全て出し終わるのが七時頃でしょうか、それから自分達の夕飯を食べます。ありあわせのもので済ますのです。
 お客さまが帰って片付けが終わるのが九時半〜十時頃です。それから家に帰って息子の顔を見ます。やっと、ほっとする時間です。
 お風呂に入り、終い湯で湯船を洗って、十一時には床につきます。これが、その頃の私の一日でした。余裕はありません。
当然、働いた報酬もありません。姑いわく、
「家の仕事に報酬なんか払えないし、第一嫁に払う金なんか無い」
 そうハッキリと言われました。二言目には「嫌なら出て行け!」これが口癖でした。

 その内に、夫の兄弟は独立して家庭を持ち始めました。結婚して世帯を別にしたのです。姑は家の傍を希望していた様ですが皆、一時間以上掛かる千葉に引っ越して行きました。
 残った娘、も恋人を作り結婚すると言い出しました。この娘は末の子だけに我侭一杯に育てられたので、言い出したら聞きませんでした。お腹が大きくなり、姑はショックで寝付いて仕舞いました。
「あんな、田舎出の男じゃ無く、良い家に嫁がせたのに」
 そう言っていましたが、本人はもう夢中でした。そんな姑に私は
「お義母さん、良い家だったら、こちらは一切口出し出来ないけれど、あの人なら、お義母さんの意見が通るでしょう!」
 それを聴いて姑は考えを改めた様で、渋々でも結婚を認めました。
 でも、それからは、店の売上のかなりをこの娘夫婦につぎ込み始めたのです。やがてはそれが自分にのしかかって来る事になるのですが……

 ある日、こんな事がありました。姑の幼なじみの人が、息子や娘から小遣いを貰ってると言う事を聴いた姑は自分も欲しいと言い出しました。挙句
「なんでお前らは私に小遣いをよこさないんだい」
 と文句を付けました。夫を始め、殆んどの兄弟は黙っていましたが、男の子で一番末のデパートに勤務している子が
「店の売上や実権をみんな、義姉さんに渡せば、使い切れないぐらいやるよ。何もかもみんな握っていて、小遣いよこせとは呆れるよ」
 そうはっきりと言ったのです。この子は親の援助を一切無しに、自力で現金で家を立てた程しっかりとしていた子でした。
 十代の頃は不良だったのですが十八になったら真面目になる。と言ってて、事実十八の誕生日には、髪の毛も切って不良を止めた様な子だったのです。流石に姑も言葉が出ませんでした。
 そして、夫とその弟の後押しもあり、私は雀の涙程ですが、日当を貰える様になりました。それは、私が嫁いでから十五年も経っていました。

 家の方の借金ですが、登記上はウチの名義なのに良く判らない土地が見つかり、その土地は公園と隣接していたので、都が買い上げる事になり、その売却益で返済が出来ました。これにもやはり十五年かかって仕舞いました。昔は土地の事等はいい加減な事が多かったそうですが、これもその一つです。
 息子は私たちの事を見て育ちましたから、
「親と同じ料理の世界には行かない」
 と言っていました。でも大学受験を控えたある日
「俺、受験に失敗したら調理師学校に行くから」
 そう言ってわたし達を喜ばせました。
 そうです。お分かりと思いますが息子は実力以上の大学ばかり受験し、尽く落ちて仕舞いました。そして調理師学校に入ったのです。
 そんなある冬の日でした。姑が脳梗塞で倒れたのです。私は、容態が落ち着くと、近くの病院に入院させました。
 ここは介護の人が必要で、入院費と合わせると一日七千円かかりました。
「高額医療費」で半分は返って来ますが、三ヶ月先のことです。その間のお金のやりくりが大変でした。
 中々回復が見込め無いので、私は知人が言っていた、箱根仙石原の温泉病院に入院させる事にしました。この時まで、倒れてから半年経っていますが、あの下の弟が何回か来ただけで、娘は一度、上の二人はちらっと顔を見せただけでした。
 姑は利けない口を動かして「あんなにしてやったのに……」と口ずさんでは泣いていました。でも正直、全ては遅かったのです。
 借金が返済して、土地の抵当が外れ、名義を変更しなくてはならなかったのですが、私と夫は、夫の名義にしてくれる様に頼みました。そうすれば後々楽だと思ったからです。
でも姑は兄弟の共同名義。建物は真ん中の弟の名義にしてしまったのです。この為、私と夫は後々まで借金をして名義変更をする事になるのです。
 そう全ては遅かったのです気が付くのが……
 それからは「お前、あれ、名義、早く、変え」と何回も言いますが、そんなお金等一切ありあません。第一姑は忙しかった月の売上の殆んどを娘に持って行ってしまっていたのです。
入院の保証金さえありませんでした。
それからは「すまなかった。すまなかった」と何遍も言ってくれましたが、正直後の祭りでした。只、あのまま亡くなってしまうよりは良かったです。
 温泉病院には一年半いましたが、病院から
「我侭でリハビリもちゃんとやらないので退院して欲しい。順番を待っている人が沢山いるので」
 と言われ、帰ってきました。最初の病院に入院させましたが、我侭なので、今度は家族が交代で下の世話等を見る事にしました。この点では息子に髄分世話をして貰いました。
 息子は学校の合間に病院に寝泊まりして世話をしてくれたのです。そんな、姑でしたが、それから半年後、腎臓がひどくなり、段々衰弱して行きました。もう臨終が近いと言われ夫の兄弟が呼ばれましたが姑は
「もういいよ。あんなの来なくても」
 そう言って永眠したのです。思えば可哀想な人だったのかも知れません。息子だ、娘だと湯水の如くお金を注ぎ込んだ子供には見向きもされず。亡くなる時に枕元にいたのは、私と夫と末の弟の三人でした。
 私の息子は店で料理を担当していて来れませんでした。二十年以上に渡った、私と姑の戦いもこの日で終わったのです。

作品名:遙かなる流れ 作家名:まんぼう