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囁き

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囁き



https://www.youtube.com/watch?v=QCbHkBGInXk
Arabesque Claude Debussy, Harp Angela Madjarova
 

 我が家は元々代々竹細工を生業としてきたこともあって崖に面した裏庭に仕事場として建てられた掘っ建て小屋がある。小屋の中には昔々から置いてある小さな古ぼけた埃まみれの茶箪笥が道具入れ代わりに置かれているほかは作業台が二つあるだけの粗末な小屋だった。祖父はそこで竹細工職人で竹串やら竹を使った工芸品やらといったものを作っていたが、やがて手先の器用さを買われて指物師のようなことも頼まれていた。幼少の私が小屋を除きに行くと真剣な眼差しの祖父が無心に何かの木箱を作っていたのを思い出す。いったい何の箱だったのかは知る由もないが、当時、田舎者の少年の目にはとても難しそうな仕事に思えた。家庭向けテレビが普及してゆく時代だった。真空管テレビは木目調の箱が好まれた。特に当時のハイエンドモデルともなればブラウン管の前に観音開きの扉がついていたものだ。今思い返せば、そのようなものを手掛けていたのではなかったか。とにかく朝飯をかき込むと小屋に入ったまま昼飯まで出てこなかった。昼飯をかき込むと夕方まで出てこなかった。時計もないこの小屋で、なぜ正確に時間が分かったのかは解らなかったが、昼の時間には母屋に昼食を取りに来た。晩年になると手伝いに入った父に「どうせやるなら箱の中身の仕事の方が割がいいんだぞ」と漏らしたという。年甲斐もなくいつも山口百恵の新曲を口ずさんでいるのを憶えている。
 やがて祖父が亡くなり機械設計を生業としていた父がこの仕事場を使うようになった。雨漏りを防ぐため屋根にはトタンを貼り、内装は綺麗に合板に貼り換え綺麗にしたが、古ぼけた茶箪笥は残された。ふたつあった作業台はひとつは荷物置き場となりひとつは屋根裏に乗せられ、部屋の中心はライトテーブルに置き換えられた。大手メーカーが面倒くさがるような小さな仕事の設計図面などをこの小屋に籠ってこなしてきた。自営で行なってきた仕事でもあって定年もなく高齢になっても仕事を続けていた。時代の移り変わりもあって小屋の中にはコンピューターやらプリンターやらルーターやらといった道具が増えていた。インターネットの無い時代であったから。また新聞も碌に読まなかった父がやたらと世の中の動きに詳しかったのは不思議だった。「消費税が3から5%になったら商売あがったりだ・・。」晩年になると手伝いに入った私に「どうせやるならでかいものの絵を描いた方が割がいいんだぞ」と漏らした。なぜか父も年甲斐もなく若いアイドルグループの歌を鼻歌で歌っていた。
 父を看取り、小屋を手直しして設計事務所とした私は、朝食をとるとこの小屋に籠り、昼食をとるとまたこの小屋に籠るようになった。時に納期が無い仕事の為にはこの部屋に泊まり込むこともあった。納期が迫った仕事を片付けるべく泊まり込んだときのことだった。ドラフターを止め、データを保存しメールを送り、電源を落とした。既に真夜中を過ぎた時間だったが仕事を終えた興奮もありとても寝つける気分ではなかった。窓の外は夜の帳がおりている。ここは里山の残る田舎だから虫と蛙の鳴き声しか聴こえはしない。そのとき気づいたのだ。どこかで何か音がする。外ではない。小屋の中だ。その音源を探して広くはない小屋の中を見渡すと、古ぼけた茶箪笥の上に目が止まりその奥まった茶箪笥の上には大きなラジオがあった。余りに古びていて茶箪笥の一部と思い込んでいたのだ。埃をかぶったその古いラジオから音が漏れていたのだ。恐らくは祖父の代、いやそれ以前の代物ではないのか。ずっと数十年間、電源が入ったまま微音を垂れ流してきたのだ。私は面白くなってヴォリュームをあげてみた。古臭いノイズ音とチューニング音が混ざってはいたが放送・・恐らくは民放局の番組が聞こえた。隣のつまみを弄るとチューニング音が高まり、明瞭な放送が聴こえてきた。私は面白くなって椅子に腰を降ろし、ラジオに耳を傾けた。
 そういえば・・。私は突然甦った記憶に驚いた。以前、この小屋に父を呼びに来たとき。あれは夜中だった。ラジオを聴いていた父が話しかけた。ラジオからは意味不明な数字を連呼する放送が流れていた。「これ・・わかるか?」。当時の私は首を振った。「これはな北の国のスパイの為の放送なんだ。やつらはコレを聞いて本国の指令を聞くんだ。」私は父のその言葉になにかとても興奮した。「やつらは日本の国の中に紛れ込んで次の戦争を画策しているに違いない。」実際、北の国のスパイたちは暗躍し多くの日本人を拉致していった。その作戦にこのラジオ放送が使われたかどうかは知る由もないが、ラジオというものがとても恐ろしいものに思えた。その時のラジオがこの古びたラジオだったことを思い出した。 しかしこのラジオが流れていたことで、この掘っ建て小屋に入りっぱなしだった我が家の男たちが情報に長け、流行歌を歌えたのかはなんとなくわかった。いや恐らくは知らず知らずのうちに耳に入り込んでいたのだ。
 それから暫くは学生時代以来、ラジオを意識して聴くようになった。ラジオというものは不思議なもので同じ局をかけっぱなしにするようで、テレビのようにザッピングはしない。それは手を動かしているからで、ながら聞きをしているためである。次第に仕事場の「時計」となり「タイムキーパー」となった。耳馴染みとなったキャスターの天気予報が始まれば何時何分何秒まで時間が認識できるほどだ。私も代々のこの小屋の主のように電源を切ることなくラジオは常に流れ続けた。その結果、不思議なもので仕事に行き詰ったときには応援として、喜ばしいときには讃辞を与えてくれるような存在と感じるようになり、代々ひとり仕事を選んだ我が家の家系もあって生活の一部となった。歳を重ねるに母屋でテレビを見るのが辛くなって。それは老眼が進んだこともあるだろうし、垂れ流される番組の低俗さに辟易としたこともあって。夕食後のひとときもこの掘っ建て小屋で過ごすことが多くなった。野球の試合などはテレビよりもラジオで聴いた方が面白いことも再確認した。窓の外の闇に浮かぶ星々を見上げて、ラジオを聴いていた。
 その日もいつものようにラジオを点けっぱなしで、仕事をしていた。昼食の後、掘っ建て小屋に戻った。いつものように机に座りパソコンとドラフターに目をやる。

 だがいつもとなにかがちがう。

 なにがちがうのか_。
 わからない。
 だが、いつもとなにかがちがう。
 
 なんともしれぬ不穏な雰囲気が漂っている。
漠然とした違和感が一分一秒、刻一刻と募ってゆく。
三時過ぎには仕事が手につかなくなり夕刻には椅子から立ち上がるのも辛くなった。
やがて徐々に心の奥底から如何ともしがたい胸くその悪さがこみあがり、ついには眩暈のため仕事机の上に突っ伏した。
 机の上で突っ伏したまま、気がつくと耳馴染みのアナウンサーの声が聴こえた。あぁもう六時近いのか、と思った・・そして六時の時報・・野球中継が始まった。
気分はすぐれなかったが先程よりはだいぶ楽になった。
だが異変に気がついた。
作品名:囁き 作家名:平岩隆