小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

Libera me

INDEX|6ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

「さぁ、おやつにしましょ。」そういうとユニットリーダーに包丁とまな板を持ってこさせた。
「施設長、大丈夫なんですか?」怪訝な顔をするユニットリーダーに対して施設長は自信ありげに云った。
「認知症の人でもね、残存機能というのがあるの。長く主婦をやってきたひとたちだから。
リンゴをむくことなんて簡単なことよ。」と言ってのけた。
なるほど。経験値という点では確かに長い。
残存機能を活かすためには使うのがいちばんだ。

「さぁ奥様方、リンゴを剥くのを手伝ってくださいな。」

するとキヨコが手をあげた。
「へへへ。」と不快な笑い声をあげて、まな板の前に座り、包丁を手に取るとすらすらとリンゴの皮を剥きはじめた。

「へぇ・・キヨコさん、上手なんだー!」
ユニットリーダーは珍しく感情の篭もった驚きの声をあげた。
手を器用に動かしてリンゴを回しながら皮を断ち切ることなく剥いてゆく。
間もなく皮を剥き終えると次のリンゴを剥きにかかった。
「へへへ。」

「ありがとう」施設長が声を掛けると不気味な笑い声をあげてキヨコが立ち上がると・・
なんてことだ、包丁を持ったままこちらに向かってくるじゃないか!
なんと悍ましい状況なのか。
なにをするかわからないような認知症の老人たちに刃物を持たせて。
なにが残存機能だ!
私はなんとも知れない恐怖を感じた。
「へへへ、あんたも食べないかぃ・・へへへ。」
包丁を握った認知症の老人が笑いながら近づいてくる!
しかも私は身動きひとつできない!
もうすぐそこに来ているというのに!

「あんたも食べないかぃ、りんご、なぁ」
ユニットリーダーが間に入ってくれた。
「ごめんね、キヨコさん、包丁返して。」
「へへへ。」
キヨコは包丁を返したようだ。
だが私の傍らに立っていた。
「あんたもリンゴ食べたかろ?まだ若いんだから、な。へへへ。」

もし私に残存機能というものがあるならば。
私にはなにも残されていない。
このまま脳内で記憶を整理することぐらいしか私に残された機能は残っていないのか。
であるならばせめて。
この場所にはいたくない。
ひとりにしておいてはくれまいか。

「あんたもリンゴ食べたかろ?まだ若いんだから、な。へへへ。」
キヨコは暫くの間私の傍らに立っていた。
同じ言葉を繰り返しながら。

「あんたもリンゴ食べたかろ?まだ若いんだから、な。へへへ。」

私の意識は徐々に消えかかっていった。
あぁ早く消えてくれ。

「へへへ。」

眼をぎょろぎょろさせながらキヨコは私の視界から消えていった。

× ×

私の名前は松居誠司。
研究所ではいい仲間に恵まれていた。
上司にも先輩にも・・後輩にも恵まれていたと思う。
解決すべき課題に果敢にチャレンジし、クリアしてきた。
純国産のクリーンエネルギーの実用化に向けて今一歩だった。
だが・・事故で私だけが生き残った。
そして生き残った私がこの体たらくだ・・。

介護ヘルパーの田口さんは大柄な中年男だが他の女性たちには虐げられているように見えていた。
だが彼は私の移乗などを丁寧にこなし、なによりも私をモノ扱いしない点では、最高の介護者だった。
私の動かなくなった体をがっしりとした腕で抱えながらスムーズに移動させながら話を始めた。
「誠司さん、ほらナースの宇佐美さんとか・・あなたにはきっと意識があって・・って。
お話しするじゃないですか。暇つぶしに私なんかの身の上話でも聴いてもらえますか?
こういう職場なんでね女性上位というか、こういう仕事をしているとやはりストレスが溜まるんですよ
だから私のようなものに当たる・・それはそれで。
うちの女房なんかもそうですけど、オンナのそういうのって男が受け止めてやらないと・・
うまく回らないんですよ。
あの施設長も旦那と親権を争って係争中だし、介護主任もこの仕事が長いんで婚期を逃してる。
あの若いユニットリーダーさんも高校生の時子どもおろしたって娘ですからね。
なかなかそういう人間しか集まらないんですよ、こういう仕事はね。
だから私は受け手に徹してます。細々したことなんか気にしてません。
そういう私は・・勤めてた会社でリストラされましてね。
これでも女房も子供もいるんでなんとか喰わせていかなきゃなりませんからね。
だからわたしには耐えられる・・。
ええ耐えてみせますよ。
だから誠司さんも頑張ってくださいね・・」

そういうと私の身体の上に布団を掛けてくれたようだ。
なかなか大変だね、田口さん。
でもね、私は・・もう頑張りようがないんだ.。

「おやすみなさい、誠司さん。」

田口さんは部屋の照明を落とした。
だが暗闇の中であのおぞましい介護主任の歌声が甦ってしまうのだった_。

”春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく、
咲けよ咲けよと、ささやきながら。

春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、こぶなのむれに、
今日も一日、ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら。”


地獄だ・・・。


× ×
× ×


後部より強い衝撃を受け、シートベルトをしていなかったことを後悔したがもう手遅れだった。


助手席に乗っていた私は後方から追突され、スピンしながら分離帯に衝突を繰り返し
横転した車内から必死に這い出た。背後で爆音がして。
ただひとり生き残った・・・ってことは、彼らは。
なんてことだ。

私ひとりだけ生き残った。
事故に巻き込まれて、皆亡くなってしまったというのか_。
仕事や理論ではぶつかったりもしたが、いい仲間だった。
あのひとたちが皆、死んでしまったというのか_。

なんともいえない、深い哀しみにとらわれた。


× ×
× ×

作品名:Libera me 作家名:平岩隆