SPLICE 翼人の村の翼の無い青年 <後編>
「夢遊病にように消えてしまうの。本人はそこへ行った記憶は無いと言ってたけど、勝手に体が動いたような感じとも言っていたカナ。初めてのときは数日も見つからなかったのよ」
たった一人の家族で肉親で、ヴィラローカの心配はいかばかりだっただろうか。
その感覚は…残念ながら僕には微妙に理解できない。
もともと神官というのは肉親の情が薄いのもあるのだけれども、僕自身物心付く前の肉親と別れて…いや、それ以外の人とも別れてしまっている。
「まぁ、村の禁域だから見つかりづらかったと思うんだけど、以後も消えたときはだいたいその禁域内のどこかにいたわ」
そうか。
それで今その『禁域』に向かっているのか・・・
って、『禁域』なんてそんな話きいてないよ?
「村の外にあるし、スプライスの目的を考えれば言う必要を感じなかったんじゃない?ってのもあるし、禁域には不思議と足を踏み入れてはならないという意志を感じるような、そんなもんらしいよ。神官様も同じ効果あるかは知らないけど」
傍によっても入ろうと意思が働かないってことか。
ヴィラローカの言うとおり、確かに今そこへ向かっているはずなのに「帰ろうかな」「帰りたいな」という気持ちが大きくなってくる。
ヴィラローカは平気なのだろうか?
「アタシは平気なのよね」
顔を覗き込むと笑う。
何が引っかからない要因なのかが分からない。
地の神に仕えるという父親の血のせいなのだろうか?
「好奇心の塊だったうちの父もここはダメだったって言ってたわ」
先に言われた。
歩みが緩みがちの僕に気付いて、槍を持っていないほうの手で僕の手を引く。
その暖かい手でなんだか少し気持ちが和らいだ。
これがヴィラローカの力なのだろうか?
「アタシが離婚経験あるのって知ってるでしょ?」
「…あ、うん…」
段々暗くなる周囲の景色。
村よりも低い木々が立ち込めてこれでは翼を広げて飛ぶことは出来ないだろう。
「私ね、こういう類の『禁域』って奴を感じない体質らしいのよ。それどころか、場合によっては惹かれてしまう。ソレも離婚原因の一つね」
「禁域が?」
『禁域』といったところでその辺りにゴロゴロあるものでも無いだろう。
「人の心の禁域とかってのもあるでしょ?それに『暗黙の了解』っていう禁域」
ちょっと奥が深い話かな。
確かにそれはどこにでも有る『禁域』。
「人間の世界で暮らしてみると沢山の『禁域』があって…我慢できずにいくつか触れちゃったのよね。ソレも関連して相手の母親起怒らせちゃって」
嫁姑問題?!縁なさそうなのに…
「まぁ…物理的な『禁域』をめちゃくちゃにしてしまったのもあるし。私のダンナだった人がそういうの全く気にしない人で私もソレで良いと思ったんだけど、被害をこうむるのは私じゃなくてダンナだったのよ。気にしないなんて言ってくれたけど、気になっちゃうし」
本当に色々ありそうだな…
「スプライスもあるでしょ、他人に触れられたくない部分って」
そういわれて浮かんだのは…金色の髪のヴィラローカだった。
今でこそ通常の人では考えられないほどの時間を生きている僕だけれども、初めからこうだったわけではないし、定められた運命だったわけでもない。
全ては金髪のヴィラローカの願いを見届けたい気持ちからだった。
いや、僕自身が少しでもあの人の傍にいたいと思っていただけなのだろう。
まさか、本当に不老長寿なんて得られるものだとは考えていなかったけど。
あの人といた時間は、ゆえに長い。
でも全て「過去」と一括りに出来てしまうことが…僕は怖いのだ。
そして「未来」の再会は本当に起こるのだろうか?
約束されたものではない。
当てにできるものなど…無いと言ってしまえば、それこそ最後の砦を守り抜くことを懸命にするしか僕には出来ない。
その最後の砦が僕の『禁域』にあたるのだろうか。
黒い翼のヴィラローカに手を引かれ歩いていたが、気が付くとその歩みが少しずつゆっくりになっているのに気付いた。
大丈夫なんじゃなかったのか?
かといって僕一人では既に脱落していただろうから大きいこともいえない。
でも、気を紛らわすために声をかけたほうがいいのだろうか?
なんとかければいい?
実のところソレさえも考えるのが億劫になりつつあった。
それよりも早くこの場から立ち去りたい、戻りたいという気持ちが段々大きくなってきて…
故に無意識にひかれる手の力が強くなってもいた。
このままではヴィラローカは僕を引っ張って…文字通り、足の動かない僕を引きずって行かなければならなくなりそうだ。
…とそんな時、耳に入ったモノでフと気持ちが楽になった。
一瞬何事かと思ったのだけど…
ぼそぼそと聞こえるソレは…
どうやら歌らしかった。
ヴィラローカが小さく口ずさむ。
それは噂どおりの代物。
小さくて、微かにしか聞こえないけれど…ひどい音痴だ。
「そうか」
白い翼のヴィラローカが言っていたことを思い出す。
音痴な人の歌には、間々魔法を遮断する力があるという。
というか、白いヴィラローカ自身が自らの音痴の理由をそう言っていた。『自ら』というが本人の意思ではなく、先天的に魔法を行使できる能力を封じる形がそれだったということらしい。
場合によっては内的影響だけでなく外的にも影響を及ぼすというが黒い翼のヴィラローカもその能力があるのかもしれない。
「何?」
思わず出してしまった僕の声に口ずさむ歌をやめて振り向く。
僕はその白いヴィラローカから聞いた話しをそのまま話した。
きっと黒い翼のヴィラローカは笑ってくれるはずだ。
「へぇ!そんなのあるんだ」
やはり笑ってくれた。
「…げぇ……」
いつの間にやら『禁域』と呼ばれる地域に既に足を踏み入れていることは、ヴィラローカのきょろきょろとする動きでなんとなく分かった。
それでもはじめはまだマシだったのだけど、歩いてゆくうちに段々と周囲の景色が暗くなっている感じがして…目の前に黒い壁が立ちはだかっているかのように見える地点まで来てしまいさすがに気分も悪くなってくる。
「ヴィラ、ヴィラ」
手を引くと、やっと足を止めて振り向いてくれた。
僕を見て表情がぱっと驚きに変わる。
「大丈夫?!」
やっと気付いたか…
このままだと、というか現状既にそうだけど、僕は大分足手まといだろう。
しかしここで置いていかれると一歩も動けない。
まだヴィラローカが傍にいるから何とか動けるだけで…
「…大丈夫…だけど、お願いがあるんだ…」
多分それが一番効果的なはずだ。
「何?」
「歌…大きな声で歌ってくれないかな」
ヴィラローカがさっきから歌っている声はぶつぶつと小声だから、声が大きくなれば効果も上がると思う。
音痴なのはこの際関係ない。
音痴だから不快になるということは無いはずだ…多分。
アノ人は殆ど歌を歌うことも無かったから慣れているとはいえないけれど。
「いいの?」
「お願いします」
さっきの僕の話を覚えていたのだろう。
ヴィラローカはうなづくと、思い切り音痴な声を張り上げだした。
…原曲がどんな曲なのだかちょっと興味があるかも。
壁だと見えて入ったところは、ずっとソレが続いていて殆ど視界がなかった。視界も体調も辛うじてヴィラローカのおかげで保っている。
作品名:SPLICE 翼人の村の翼の無い青年 <後編> 作家名:吉 朋