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京都七景【第十四章】

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 ここがあやしいと俺は直感した。しかもトンネルの前に立つと、トンネル自体がそれ以上に怪しいことに気がついた。まずトンネルのすぐ上についている文字版である。漢字なのだろうが意味がよくわからない。しかもその隷書風なところが妙に異国情緒を掻き立てる。トンネルに顔を入れると壁に蜘蛛の巣が張っている。いったいどれほどの人通りがあるのか疑わしくなってくる。
 壁はレンガでできている。まあ、それは特に問題はない。ところがよく見れば、レンガの並び方が少しおかしい。ふつうレンガは道と水平に横に並べて積まれるものだと思う。ところが、レンガは並んでいるにはいるのだが、何だかねじれている。入り口の俺の頭の上あたりの一列は、一定の傾きで下っていって、出口のあたりで左の側面の足もとのあたりに行っている。どの列もそれに合わせてねじれている。つまりトンネル全体が出口まで大きくゆるやかなレンガのカーブを描いている。まるで巨人が円筒形のトンネルの入り口と出口を手でつまんで雑巾でも絞るみたいに一ひねりしたような気がしてくる。それをくぐり抜ける俺はレンガの渦に引き込まれ、ぽんっと異世界に放り出されるような、そんな錯覚さえ覚えた。
 あやしい。あやしすぎる。もしかすると、ここを通り抜けたら、時間が逆戻りするか、別の空間に放り出されるのではないか。俺は軽いめまいに襲われた。だが、あの二人の姿が消えたのはこのトンネルを通ったからに違いない。ならば、俺に通れないはずはない。みぞおちにやや吐き気を覚えつつも、急ぎ足で通り抜けた。
 何ともない。俺は、ほっとして胸をなで下ろした。そして足を止め、一度大きく深呼吸してから前の通りを眺めた。両側に生け垣の続く、中央がやや不自然に盛り上がった細い道が続いている。だが別に問題は無い。俺は歩き出した。
 二十歩も行くと、右斜め奥に立派な和風の由緒正しそうな門が見えて来た。その門の表札を見て今度も俺はピンと来た」
「何と書いてあったんだい」と神岡が強い興味をしめす。

「『何有荘』と出ている。おれは運命を感じた。これは〈なにかありそう〉と読むに違いない。これまでの異変続きの状況を考えれば、それ以外に読みようがないではないか。それが俺の直覚だった。後はそれを説明する証拠をあげればいい。そう思いながら他に入り口は無いかと探りつつ、道なりに歩いてゆくと、ついに人通りの多い大きな通りとの丁字路に出てしまった。
 いったいどこの通りだろうと左右を伺うと、右の先に『南禅寺入り口』と看板が出ている。つまり俺たちがよく知っている道に来たというわけだ。これでだいたい一通りの地理は飲み込めたから、後はその〈なにかありそう〉への別の入り口は無いか探そうと、また同じ道を引き返したが、どうやらそういうものはないらしい。だが、どうしても気になるのでトンネルの前でもう一度引き返した。やはりない。仕方が無いのでその日はあきらめて帰ることにした」
「そうか、堀井の〈なにかありそう〉の話も、尻すぼみにここで一巻の終わりか。残念だな」解明を期待していたわたしは、珍しく本心から残念そうに言った(おそらく肩も落としていたものと思われる)。

「ところが、そうじゃないんだな。この後、一波乱あって、終了だ」
「期待される一波乱かい」と、これまた神岡が興味を示す。

「どうだろう。あまり期待されても困るから、まあここは聞いて後でそれぞれに判断してもらうしかないな。では続けるよ。
 解明をあきらめて、南禅寺の境内に沿った、湯豆腐屋が軒を連ねる通りを、散歩がてら歩いていると、学校が近くにあるのか折々高校生らしき集団とすれ違った。そうか今日は土曜日だから授業が終わったところだな、と考えて歩くうちに、向こうから来る三人の女学生の集団が俺の方を見て急に立ち止まって頭を突き合わせたかと思うとまたこちらを伺っているようすである。これは何かあやしい、そう感じた俺はできるだけ目を合わさないで、うつむき加減に通りすぎようとした。と、そのときである。真ん中にいた一人が俺に声を駆けた。
『いややわあ、先生、こんとこで何してはりますの』俺は肩をびくっとさせた。だが、聞き覚えのある声ではある。おそるおそる顔を上げた。そこには春から家庭教師をしている女の子が立っていた。この偶然に俺は二度びっくりした。
 南禅寺を見学した後で、散歩しているだけだと俺は答えた。わが教え子は笑顔をみせながらも、どうも納得が行かないと言いたげに、『あやしい…ナンパやな』と後ろの二人に意味深長な言葉を投げかける。後ろの二人も笑いをこらえながら『せやな』『せや、せや』と同調する。俺は仕方なく、今日は疎水から見える〈何有荘〉について調べに来たことを話した。もちろん不倫と思しき二人連れの件は割愛したぜ。また誤解が誤解を生んで自ら失職の危機を招くには及ばんからな。
 最初はまだ、疑わしそうにしていた三人も話を聞いて納得したようで、思いがけなく新情報を教えてくれた。やはり三人よれば文殊の知恵とは本当だった。それによると、〈何有荘〉は〈かいうそう〉と読むそうだ。はじめは南禅寺の所有地だったらしい。明治の末頃、京都の大実業家、稲畑勝太郎が所有して庭園を整え、名庭園と呼ばれたが、現在は所有者が変わって一般公開はしていないという。ここで終われば、この日の収穫も上々だったんだが、三人に礼を言った瞬間、間髪入れずに『せんせい、お礼は、ことばより形にあらわさなあきまへんえ。せやな、みんな』『せや、せや』などと言われて、結局、近くの店でアンミツをおごらされることになってしもた。あーあ」と堀井がため息をつく。
「何だか、うれしそうだな」と大山がにやにやする。

「何のうれしいもんか。だいたい通りすがりにナンパと間違われたんだぜ。不運この上なしだよ、まったく」
「この前は出歯亀で、今度はナンパか。どうして誤解を受けるかね。やはり風貌のなせるわざか」と今度は神岡がまじめな顔をする。

「そういう意見は受けつけられません。でも、弁解はさせてもらうよ。実は、アンミツ屋でおしゃべりしているとき、俺が誤解を受けた事情が判明した。それはこういうわけだった。三人は、その日の帰りのホームルームで担任の先生から、今週は、下校時に校門周辺で大学生らしきあやしい男に女子生徒が声をかけられるという事件が三件連続している。だから、女子生徒は複数で帰るようにとの注意を受け、周辺に気を配りながら校門を出てきたところ、最初に出会った大学生が俺だったので、これは怪しい、と是非も無く信じ込んでしまったらしい。すぐに、自分の家庭教師だと分かって安心したが、何だかこそこそ知らんフリで通り過ぎようとしているから、またますます怪しくなった、ということだそうだ。それについては、俺も一言弁解させてもらった。私服のときに教えていて制服姿は見たことがないから、本人だとはまるで気がつかなかったんだってね。誤解はすっかり解けたよ。だから、俺は風貌が悪いんじゃない、間が悪かっただけなんだ。それにあの近くに高校があるなんて知らなかったしね。まあ、そういうことだ」堀井が話の結末をつけた。

「で、一波乱て、何だったんだい」と露野が尋ねた。
作品名:京都七景【第十四章】 作家名:折口学