天井裏戦記
六 アイデア
天井裏の運動会は休むことなく毎日続く、亮太郎はキリがないのはわかっていながらも一日に1回は天井裏を覗いていた。大概一匹はかかっている。最近では要領を得てチーズおかきのおかきの部分だけを釣りにしたりと、日常のくだらなさをさらにくだらなくしていた。
今日も捕まえたネズミを遠くに棄てて、珍しく授業に出ることにした。事前の情報では試験の内容を漏らすらしく、四年で大学を卒業するのが至上命題である亮太郎はこの日だけは外せなかった。
亮太郎が授業に出ると、慎平を始めとした仲間たちが困る。というのもいつものところにいつものことをしていないから予想がつかないからだ。
結局亮太郎は授業に出たが誰とも会うチャンスを逃し、キャンパスをホロホロと流れて中庭にたどり着いた。そこでは吹奏楽部の部員がそれぞれ散り散りになって練習をしている。一コマ開いて次も普段出ない授業がある。
亮太郎は食堂のすぐ横、扉の前で優しく流れるフルートの音に吸い寄せられ、音のする方向へひとりでに足が動いていた。
「あら、亮さん」
「結しゃん――」
「顔が少し疲れてるよ、どうしたの?」
亮太郎は笑ってごまかした。真面目なお嬢様に「今日は授業に出た」と学生なら当たり前の事を言ったところでウケるどころかドン引きされてしまう。
「大したことないよ。単なる寝不足、寝不足。次の授業の予習をしたから疲れたんかも」
そう答えると結菜はクスッと微笑んだ。次の授業はそもそも予習なんて、ない。ということは寝不足の原因が天井裏の運動会であることは言うまでもない。
「ところで、アレは退治できてへんの?」
「そーなんじゃ。捕獲より繁殖の方が多てのう。寄せることは出来ても追っ払うことが、でけん」
「そっか、捕まえても解決しないってことね」
「じゃ――」
亮太郎がため息をつくと数メートル向こうで同じくフルートの練習をしている他の部員の音色が優しく聞こえてきた。
「で、亮さん。今日はどうしてココに来たん?」
普段会うのは必修の授業か食堂なのだが、今日はちょっと離れの大学の中庭。珍しく授業に出たとは亮太郎もプライドがあって言えるはずがない。
「そうじゃのう」亮太郎は腕組みをしたあと指をパチンと鳴らした「結しゃんの音で吸い寄せよられて来たんじゃ」
「またまた……」
結菜は口に手を当てて笑った。その仕草にお育ちの良さが見え隠れする。
「結しゃんは音で人を操りよる。音楽ちゅうのは素晴らしい芸術の一つじゃ」
お世辞でもない亮太郎らしい本音が出たあと一瞬の間が出来た。そして結菜は何か思い付いた様子で「ああ」と声を出した。
「亮さんが音で吸い寄せられるんなら、ネズミには逆に吸い寄せられへん音を出せばええんとちゃうのん?」
「どういうこと?」突拍子もない亮太郎は目を丸くした「それに、そんなんしたら隣に迷惑やがな」
亮太郎が真っ先に思い付いたのは鍋をお玉で叩く動作だった。それは山で熊を追い払う方法ということはどちらもしらなかった、そしてそれが正しい方法かということと、本当に熊と出くわすことも今までないのだが。
「そうでもないかも」結菜は笑みを浮かべて頷いた「人には聞こえない音を使うのは、どう?」
「どういうことよ、聞こえない音じゃとか何とか」
理解の幅が違うのは育ちの違いではなさそうだ。ネズミなんぞ家で見ることがまずなさそうな身分のお嬢様がネズミの特性について言おうとしていることだけは亮太郎にも理解できた。
「そもそも音ってのはどういうもんなのさ?」
結菜は手にしたフルートを一旦ケースの上に置いた。
「そうやね、音ってのは周波数なんだって。個人差あるけど人は一定の範囲内の音が聞こえるらしく、違う生き物は違う周波数の音が聞こえるらしいんよ」
譜面の余白に棒グラフとその幅を結菜は書いて示した。亮太郎も一応は大学生、18年とプラス1年煩悩を封印して人より勉強した自負はある、一応。なのでその示す内容は理解ができる。
「へえ、じゃあ範囲外の音ってのは?」
「だから、それを超音波って言うじゃない」
「なるほど!」亮太郎は右の拳で左の掌を叩いた「音を超える波、すなわち『超音波』ってことか!」
赤外線や紫外線の類いと同じかと聞くと結菜も頷いた。
「ネズミが嫌う超音波を出せばいいのよ。それでいて人に聞けない周波数で。どういう音かはわからないけど……亮さん?」
結菜が言い終わる前に亮太郎は何かを見切ったようなドヤ顔で頷いている。
「結しゃん、あざーす」
「何が?」
「何がってよ。既に、あるねん。そんなキットは」
「そうなん?」
「さっそく作戦実行じゃて!」
亮太郎は結菜に別れを告げて笑いながら元気よく駐輪場のほうへ走り去って行くと、結菜は半分あきれ顔で亮太郎の後ろ姿を見ていた。
「『次こそは授業出る』って言ってなかった……?」