天井裏戦記
七 最後の聖戦
超音波駆除機を設置して半月、天井裏を騒がす大運動会は確実に減った。
いつものように慎平は亮太郎の下宿に転がり込んで来たが、確かに静かになっている。耳を澄ませば隣から先輩と不釣り合いな彼女との会話が聞こえてきそうだ。
「何や。最初っから超音波駆除機で良かったんとちゃうの?」
「ま、そう言うなよ。これで完璧ではないねん」
「完璧でないとな?なんで?」
大学の授業はそもそも60点で合格なんだから、それ以上取るのは無駄な労力と日頃明言する男の台詞ではない。
「ボスネズミがおるんじゃ」
「ボスネズミぃ?」
「おうよ、超音波をものとせず天井裏に君臨するグレーのラスボス」
亮太郎はそう言って携帯電話で撮った画像を慎平に突きつけた。確かに今まで見たネズミの中では大きなヤツだ。
「んでよ」
亮太郎の説明ではこうだ。
二人で初めてこの天井裏で見た光景。懐中電灯に照らされ映ったその姿は、脱走兵がサーチライトに見つかった如く逃走した。ところが――
「じゃな。こいつ、写真に正面から写っとる」
「じゃろ?写真撮られても『先住民ですが、何か?』みたいな」
言われてみればそのようにも見える。このボスネズミ、本人はどうかわからないが、こちらから見れば悪びれた様子が微塵もない。
「たまにアイツは動きよるんじゃ、忘れたころに……」
しばらく耳を澄ましていると、その忘れたころがやって来た――。
ドタドタドタドタ……
「ほら、おるじゃろ?」
「確かに、おるのう」
天井裏から足音が聞こえてきた。二人で初めて聞いたあの時の音より数が絶対的に少ない、というより確認はしていないがおそらく単数だ。
「ほいでさ、亮さん。ボスをどうやって?」
「よくぞ聞いてくれた!」
亮太郎は学生なのに使われない机の上にかけられたタオルをサッと取り払った。部屋に入った時から誰でもわかる、机の上にこれ見よがしに隠されたそれ。つっこんだら絶対にいじけるのを知って敢えて触れないようにしていた幕が下ろされた。
「これって……」
お披露目したのはネズミの天敵。本来は四本足であるあの動物、見た目は適当に紙で作られたぶちの体だがよく見りゃ四つの車輪が付いている。
「そうよ、俺が開発した『ニャン太郎1号』よ!」
「てか、ただのラジコンやんか。それも取って付けたようなグダグダのボデー……」
「違う。これはニャン太郎1号なんじゃ」
「――そやね。ニャン太郎ね」
力説する亮太郎に慎平は素直に従った。揚げ足取ると長くなるし、くどくなるから。
「要は、『面白き 事も無き世を 面白く』じゃ」
「『住みなしけるは 心なりけり』ってやつか?」
二人は一瞬顔を見合わすと冷たい笑いがこぼれた。たかだかネズミ退治と国を変えようとした高杉晋作とをくらべたら罰が当たるくらいくだらない。
「まあまあ、そういうことよ」要は、ただ面白いものを求めて若気のいたりという勢いのみで選んだ選択と言うことだ。
そして亮太郎はプロポを握りしめ、脚立に乗った。併せて慎平もキレイな机の上にいるニャン太郎1号を手に取り机に乗って奴らのいる戦場に頭を突っ込んだ。
亮太郎は先ずヘッドライトを当てて天井裏のぐるりを見回した。ここから見える一番奥の隅っこにグレーの陰が見えた。
「ほらっ、来たで」
「ああ――」
照らされたのは最後に残ったボスネズミ。亮太郎の説明通り、ライトに照らされようが全然怖がりもせずじっとこっちを見ている。
亮太郎は握ったプロポのレバーを倒すと、慎平の手にしたニャン太郎1号の足が反応して一瞬キュルルと音がした。慎平もそれに応えてそのニャン太郎1号を天井裏の床面に置き、青春時代の城を守る最後の聖戦が始まるのだと認識し、二人は顔を見合わせて一度頷いた。
「さあ、行け!ニャン太郎1号」
「ミナゴロシダー!」
亮太郎の命令に続いてオウムの慎平が唸る。ニャン太郎1号は命令を受けてボスネズミにまっすぐ体当たりを試みた。ギュルギュルというモーターの回転音が天井裏にハウリングする。だが、ボスネズミの瞬発力よく、決死の体当たりは空振りに終わり壁に激突し、周囲のホコリがライトに照らされキラキラ舞った。
「ムムム、ちょこざいな」
といいながらも真剣な目をして亮太郎はプロポを握り直した。ニャン太郎1号は1度や2度の衝突ではへこたれない。授業でおそらくみせた事がないその表情に慎平は冷ややかな笑みを浮かべた。
「亮さん、えらい本気やなぁ……」
「アホやるんやったら徹底的にやらんとオモロないじゃろ」
慎平は黙って頷いた。そうだ、『おもしろき 事も無き世を おもしろく』だったと再確認して亮太郎の必死な顔を見た。
ニャン太郎1号とボスネズミの追い駆けあいが続く。ボスは疲れる様子はないがニャン太郎1号の持続時間には限界がある。
「おう、亮さん。あれよ、あれ」
そこで慎平は自分達の近くにあるものを指差した。これまで何匹も生け捕りにしたネズミ捕りが口を開けたままになっている。効果はあったが数が多すぎてほったらかしにしていたそれだ。
「つかまえんでも追い込んだらエエんちゃうの?」
「そうか、その手があったか!」
ここまでくればただのノリ。亮太郎はレバーを握り直しニャン太郎1号にフルスロットルの命令を飛ばす。
「さあ、行け!」
追われて全速で逃げるボスネズミ。残った電池を振り絞って走るニャン太郎1号。その先に待ち構えるはゴールを示す金網のカゴが。
「いけるか?」
「いける!」
亮太郎は信じてレバーを倒した。カゴに向かって進むボスネズミ。その距離100センチ、90、70、50、30……!
ガシャン!
天井裏に乾いた音がこだました。それは、ここでの戦争に終わりを告げる号砲。長きにわたり亮太郎たちを悩ませたボスは今、ニャン太郎1号に追われて小さな金物の籠に収められた――。そして相棒のニャン太郎1号はカゴに正面衝突し顔面を強く打ち付けひっくり返り、だらしなくタイヤを回していた――。