天井裏戦記
一 天井裏の大運動会
関西のとある地方のとある大学周辺には十分にノスタルジックな気持ちにさせてくれる家が立ち並んでいる。昭和の香り漂うたたずまい。学生紛争乗り越えて、地震もなんとか生き延びた。四畳半一間、風呂とトイレは共同。家賃は月々一万円。
大学そのものは我々学生から多額の学費を巻き上げて美しい姿を保っているが、学生たちの多くはこんな調子だ。学食のうどんにはライスを付けず、夜になったらスーパーで半額になった惣菜をマダムと奪い合う。親の仕送りだけをあてにしていたら学生生活を謳歌するなんて遠い夢物語だ。結局はバイトに勤しみ授業は……。それでも金はなくとも時間と夢はある。しかも腹一杯に。
東田亮太郎(ひがしだ りょうたろう)は四年と決められた社会に出るまでのモラトリアムを存分に謳歌していた。学生の本分は勉強?いやいや、バイトするのも、連れと語るのも、そして時間を忘れてハメ外すのさえも、それは、勉強だ。
要は学生であることが勉強なのだ。勝手な解釈ではあるが亮太郎を取り巻く者は皆同意する。小心者なのでかじる脛が骨だけになった親にはもちろん言えるはずがない。
* * *
ガサッ ガサッ
「おい、聞こえるか」
ガサッ ガサッ
「ああ――」
亮太郎は高校を出て親元を離れてこの地方にやってきた大学生。同じ学科の大迫慎平(おおさこ しんぺい)を下宿に呼んでいつものようにウダウダとグダ話をしていた。
「隣の部屋がうるせーんじゃ」
「確かに……」
隣の部屋を分けるのは古いモルタルの壁一枚しかない。それに亮太郎が生まれるもっと前からあるような部屋なので、長年かけて壁が薄くなっているのは不用意に壁にもたれると引っ付く土に証明される。しかしこれだけ隣の物音がすると気になって仕方がない。
ガサッ ガサッ
「おいおい、これって」
二人の頭の上に共通する映像が浮かび上がり、二人とも口を開けて目だけを上に上げた――。
「そーなんじゃ、隣でそんなことされたらこっちは堪らねーよ」
さっき部屋に入る時隣の部屋の、自分的には絶対に負けていないと思っていた先輩が絶対に不釣り合いな彼女を連れて部屋に入っていったのだ。大学生の男女が二人で部屋に入るとすることなんてそれ以外ないではないか。
「ああ、確かに悶々とするわなぁ」
「せめて音楽とかかけとけよな」
土が付くのも気にせず耳を壁に当てる二人、男同士で隣を想像するだけで悲しくなってきた。
ガサッ ガサッ
もう一度生々しい物音がした。お互いに乏しい想像力で壁の向こうを透視する二人、しかしそれが何の音かがピンと来ないのは経験が教えるものでは、ない。
ドタドタドタドタ…………
「何や何や?」
亮太郎たちは突然聞こえたビートの速い音にビックリして壁から耳を話して畳の上に座り込んだ。
これはアレの音なんかではない。どう考えたってそんな音がしない。いくらなんでもそれくらいは、わかる。
「これって、隣から聞こえる音とちゃうんちゃうか?」
慎平は天井を見上げた。すると間違いない、この音は隣からではなく上から聞こえてくる。
「上の階でもお盛んなんか」
「アホ言え、ここ二階じゃ。上ありゃせんぞ」
そういえばここは二階建ての二階だ。いるのは忍者くらいだが、我々は一地方のしがない大学生。忍者に狙われるような大物では当然ない。
「ってことは、何がおるねん?」
何かが動いているのは間違いないようだが、二人にはそれが何であるかは想像がつかない。
「天井裏、見てみようか?」
「えーっ、マジで?」
面白いと思ったことには後先のことなど一切考えずに何でも実行し満足と後悔を繰り返してる進歩のない二人であるが、得体の知れない何かに手を出すとなると二の足がすこぶる重い。だがしかしここは自分の下宿、毎日この音の正体がわからず過ごす事を考えれば今確認した方がいい。亮太郎はやらずの負とやっての負を較べ、とにかく実行に移そうと考えた。
「で、俺がするんかよ」
と言いつつ亮太郎は慎平にサークルの夏合宿でキャンプした時に買ったヘッドライトを装着させて、慎平を肩車して恐る恐る天井の板を外し天井裏に光を当てた。
「何か見えるか?」
「うわっ」
「お、おいっ!ふらつくなって」
慎平が光を当てたその瞬間、拳大の生物が高速で光から逃げるように走り去る。その姿はサーチライトに照らされて見つかった泥棒か脱獄者か、そんな構図だ。
それと同時に脱体育会系の亮太郎は体力の限界に達して崩れると、慎平がその上に重なってドサッと音を立てて倒れた。
「アイタタタ……」
「で、何がおったんじゃ?」
「おう、アレよ……アレ」
やつらは光が差さない暗い屋根裏で大運動会をしているのだ。
これが奴らとの最初の出会いだった――。