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di;vine+sin;fonia デヴァイン・シンフォニア

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「ごめんなさい。元はといえば、料理長にそれを言うために来たんだったわ……」
 藤の花は、食堂に行くついでに用意したものであり、これでは本末転倒である。
 らしくもない失態に、ミンウェイがうなだれた。自慢の波打つ黒髪が、精彩を欠いたように、力なく背から流れ落ちる。
「エルファン様のお声に、気が動転されたのでしょう?」
 料理長の優しげな声に、ミンウェイは、はっと顔を上げた。
 一体この人は、どこまで知っているのだろう。彼女は、疑問に思わずにはいられなかったが、相変わらずの人の良さそうな笑顔が、それを口に出すのを阻んだ。
「さて、私はこれで厨房に戻りますが、ミンウェイ様はごゆっくり。ああ、ピスタチオのマカロンは、是非、食べていってくださいね。自慢の出来ですから」
 そう言いながら、彼は腕まくりを始めた。心持ち、うきうきとしているように見えるのは、帰国したふたりに、久し振りに腕を振るえるからだろう。倭国の料理は美味しいと聞いているので、対抗意識があるのかもしれない。もっとも、彼の持論からすれば、自国の料理が一番であるのだが。
 料理長が一礼をして、軽やかに厨房に戻っていく。その揺れる背中を見ながら、ミンウェイは緑色のマカロンをつまんだ。ナッツの独特な甘い味わいが口いっぱいに広がり、ミンウェイはうっとりと目を細めた。
 ほぅ、と幸せな溜め息をついたとき、ミンウェイの携帯端末が鋭く鳴り響き、イーレオからの呼び出しを告げた。

 翼が刀と化した鷹――家紋の彫刻に虹彩を読み込ませる作業ももどかしく、ミンウェイはイーレオの執務室に入った。相変わらずの滑るような足の運びは無音であるが、隠し切れない荒々しさが滲み出ていた。
「お祖父様! 『斑目が動き出した』とは、具体的に何があったのでしょうか」
 繁華街の情報屋、トンツァイのところに出掛けたルイフォンから、イーレオに緊急連絡が入ったという。
 ルイフォンは重要な案件については、基本的に口頭でのみ報告をする。自身が情報機器のスペシャリストであるため、電子化した情報は誰かに奪われて当然だという思想の持ち主なのだ。その彼が、わざわざ連絡してきたということは、ただならぬ事態といってよかった。
「斑目が、メイシアの異母弟を解放したらしい」
 執務机で頬杖をつきながら、イーレオは答えた。何かを思案しているのか、秀でた額にわずかに皺が寄っている。
「え?」
 人質の殺害という最悪の事態が頭を横切っていただけに、ミンウェイは拍子抜けした。
「メイシアの実家、藤咲家が斑目と手を組んだ可能性が高いそうだ。お嬢ちゃんを鷹刀に差し出すことによってな」
「な……っ!? 一体、どういうことでしょうか?」
「さぁてな? 俺が知るわけないだろう」
 イーレオは軽い声で肩をすくめた。てっきり策を練っているのだと信じていたミンウェイは、思わず声を荒らげる。
「お祖父様! そんな、他人事みたいに……!」
「そうは言ってもな、ミンウェイ。情報不足の状態で、推測だけで物を言っても仕方ないだろう?」
「それは……、そうですが……」
「だから、お前を呼んだんだろう?」
 椅子に背を預け、イーレオはじっとミンウェイを見上げる。細身の眼鏡の奥から、静かな瞳が彼女を捕らえる。
 彼は自分の携帯端末をミンウェイに指し示した。ルイフォンからの報告文を読むように、ということだ。
 一読して、ミンウェイの目もまた、すっと落ち着いた色を載せた。
「斑目の監視を増員、藤咲家へも偵察を手配します。それからトンツァイとの連絡係が必要です。――人を動かす許可を」
「許可する」
「それと、これは別件ですが――ルイフォンの依頼で、メイシアがずっと身に着けていたペンダントを解析させました。盗聴器の可能性があったためです。結果、ただのペンダントだと判明しました」
「ふむ。じゃあ、斑目がお嬢ちゃんを偵察に使おうとした、という線はないのか」
「ペンダント以外の手段もありうるので、なんともいえません」
 けれど、一番疑わしかったものがシロだった、ともいえる。
「ご苦労だったな。それじゃ、あとは人手を集めて、屋敷の周りの警戒を強化しておいてくれ」
「えっ……?」
 ミンウェイの背をぞくっと、冷たいものが走る。
「――来るぞ」
 一段、低く魅惑的な声でイーレオはそう言い、口の端を上げた。
 しかし、次の瞬間には、妙にご機嫌な様子で回転椅子を揺らしていた。
「でもまぁ、実家公認というのなら、俺は遠慮なく、お嬢ちゃんを貰っていいわけだな」
 そのとき、イーレオの携帯端末の通知音が鳴った。ルイフォンからのメッセージだった。
『メイシアの異母弟の顔を見に行ってくる』
 それを見たイーレオは、にたりと顔を歪ませながら呟いた。
「あいつ、俺の愛人を奪うつもりか?」
「……お祖父様がおっしゃると、冗談に聞こえないのが困ります」
 諦観を含んだ微妙な色合いの感想を、ミンウェイは漏らした。

 ルイフォンからの音声通話が来たのは、その直後のことだった。
 偽者のタクシー運転手に拉致されそうになったという、衝撃の報告――その会話の途中で、不自然にルイフォンの言葉が切れた。
 ミンウェイとイーレオが視線を交わし、頷き合う。
 ――敵の襲撃。
 彼らの見解を裏付けるかのように、動揺を隠し切れないようなルイフォンの声が聞こえてくる。
『――斑目タオロン……』
 ルイフォンが携帯端末を口元から離し、おそらくは尻ポケットにでも突っ込んだのであろう。その後の遣り取りはくぐもった音声になる。
 携帯端末の集音能力の限界から、得られる情報は途切れ途切れ。だが、ミンウェイは、野太い男の声をはっきりと聞いた。
『そこをどけ、鷹刀ルイフォン。……俺は、藤咲メイシアの死体が欲しいんだ』