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かきつばた

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「――あ、ママ」
 大ちゃんの葬儀が終わったころ、ぞろぞろと引き揚げてゆく弔問客をかき分け夏乃のママが現れた。右手にスーパーのレジ袋、左手には水色のポリバケツを提げている。
「ほれ、あんたの欲しがっとった杜若や」
「……おおきに」
 夏乃はママが差し出すポリバケツから、きれいな花の束をそっと抜き取った。水に濡れ艶やかに光る群青色の花弁が散ってしまわないよう細心の注意をはらう。
「その花、手に入れんのほんま苦労したんやで」
 ママがふんと鼻息をはいた。
「思てたとおり花屋さん、置いたはらへんかったさかいな、そやからほれ、西小路のご隠居はん、あのひと池坊のお師匠はんやったはるやろ。あっこ行って、お花分けてくださいっち言うて丁重に頭下げてなあ……」
「おおきにな、ママ。そのうちしっかり親孝行させてもらいます」
「そうそう、分かっとったらええねん。さあ、早うそのお花、大ちゃんにたむけたりぃ」
「うん」
 夏乃は花束を抱えたまま、担任の木下先生のところへ行った。彼は葬儀に参列した生徒たちが全員ぶじ家に帰るのを見とどけるため、まだ斎場に残っていた。夏乃が近づいてゆくと、先生は眼鏡のふちを持ち上げおやっという顔をした。
「あの先生、このお花……、大ちゃ、いえ浜口君の棺に入れてあげたい思うんですけど」
 そう言って手のなかの花を見せると、先生は柔和な顔にくしゃっとしわを寄せて微笑んだ。
「やあ、きれいな花だねえ。これはハナショウブというんだよ。むかし先生の家の近くにも花菖蒲園があってね、夏の初めころにはきれいな花を咲かせたものさ」
「ええっ」
「ちょっと待っていなさい、いまお父さんにお願いしてあげるから」
 そう言って木下先生は、弔問客に挨拶をしている大ちゃんのお父さんのところへ行った。入れ替わるように美也が泣きはらした顔でやってくる。
「夏ちゃん……その花、もしかして」
「うん…………、一応」
「うちも浜口君のこと考えたら、この青い花思い出すねん」
「ああ、やっぱり美也ちゃんも……」
 先生が夏乃の名前を呼んで手招きをした。大ちゃんの棺のところだ。その横には、彼のお父さんが立っている。さっきあいさつしたときは気づかなかったけど、夏乃が想像していたよりもずっと若い人だった。
「やあ、大助のお友達やね。今日はうっとこの息子んためにわざわざありがとう」
 そう言って棺の蓋にある小窓をあけ、なかにいる大ちゃんに語りかけた。
「ほら大助、お友達が来てくれとってや」
 夏乃と美也も、そっと棺のなかをのぞき込む。大ちゃんは、色とりどりの花に埋もれていた。
 きみどり、みず色、もも色、よもぎ色、うすむらさき……。
 その甘い香りを放つ花の合間には、副葬品としてお母さんが造った押し花が収められていた。そんな大好きな草花にかこまれて、彼はまるで楽しい夢でも見ているようにかすかに微笑んでいた。
「浜口君――」
 美也は、早くも両手で顔を覆い泣きはじめた。でも夏乃は泣かない。込み上げてくる涙をぐっとこらえ、嗚咽をのみこみ、大ちゃんの顔をじっと見つめた。そして手にした花を、顔の横にそっと置いた……。
 この花は、べつに大ちゃんのために手向けるんとちゃうで。うちのためや。うちが大ちゃんの顔忘れへんためや。楽しかった思い出をいつまでも忘れへんよう、この群青色の花といっしょにうちの心に焼きつけとくんや。そやからうち泣かへん。泣いたら大ちゃんの顔見られへんもん。そしたら大ちゃんの顔、大ちゃんの声、うちが好きやった大ちゃんのなんもかんも忘れてまいそうな気がするもん。だからうちは……うちは…………。
 大ちゃんの白いほっぺたを夏乃の温い涙が打った。先生がそっと肩に手を置く。お別れは、そのまますぐに終わってしまった。
 葬儀場の玄関にはママが待ってくれていた。夏乃のことを見つけ小さく手を振っている。その姿を目にしたとたん、夏乃のなかから今までこらえていたものが一気にあふれ出した。
「わあーん」
「あれあれ、どないしたんや、急に泣き出したりして」
 ママの黒いカーディガンに顔を押し付け、夏乃はしばらく泣きじゃくった。鼻をすすりあげると、ほのかな香水と石鹸と、そして母親の匂いがした。ママは、黒毛和牛を持っていない方の手でずっと夏乃の頭を撫でてくれた。そんな二人の姿を、帰り支度を終えた弔問客が見るともなしに見ては次々通りすぎていった。
「ママ、あんな、あんな……」
 しばらくして夏乃が、えっえっとしゃくり上げながら顔を上げた。ママは、ひざを折ってしゃがみ込み、夏乃と視線を合わせる。
「どないしたんや? 聞いたげるさかい、言うてごらん」
 そう優しく微笑むママに向かって、夏乃は鼻水をずずーっとすすり上げながら言った。
「あのお花な……、カキツバタやのうて、ハナショウブやった」
作品名:かきつばた 作家名:Joe le 卓司