かきつばた
大ちゃんの家は、近くにできた総合運動施設のすぐそばにあった。お洒落なタイル貼りの十二階建てマンションだ。エントランスホールの床がぴかぴかの黒大理石でできていて、夏乃はスニーカーの底に付いた泥が足下を汚さないかと、そればかりを気にしながら歩いた。
「大ちゃん、ええとこ住んでんねんなあ。ここアクアリーナがすぐ目の前やんか」
「ほんまや。来月はいよいよプール開きやし、こっからやったら毎日通てもええもんな」
「……そんなええとこちゃうって、ぼくかなづちやし」
「あれま、そりゃ残念やったなぁ」
やがて三人を乗せたエレベータがゆっくりと動き出した。
大ちゃんの家族が暮らす部屋は、十階の、南西の角にあった。リビングにある大きな窓からは、桂離宮の御苑がまるで手の込んだジオラマみたいに見える。そして部屋の中には鉢植えの観葉植物がところ狭しと並べられ、芳香剤とはちがうやさしい香りが満ちていた。
「いやぁ、きれいやわぁ。押し花って、こないにきれいなもんなんや」
部屋の壁にびっしりと飾られた押し花を見て、夏乃がほうと感嘆の息をもらす。大ちゃんが、ふふんと得意げに鼻をうごめかせた。
「どや、すごいやろ? これみんな、お母ちゃんの手作りやで」
「大ちゃんのお母はんて器用なひとなんやねえ。これやったら市役所前でやってるフリーマーケットに出品しても絶対売れるわ」
「ははは、これ売りもんちゃうで。お母ちゃんとの大事な思い出や」
「――え?」
大ちゃんのくりんとした目を見つめて、夏乃が首をかしげた。
「思い出て……大ちゃん、お母はんとは一緒に暮らしてへんの?」
「うん、ぼくがちっちゃいころ死んでもうてん」
夏乃は、はっと息を飲んだ。大ちゃんには母親がいなかったのだ。そう思ってあらためて眺めると、壁に飾られた押し花の数々が、まるで母親との思い出を詰めこんだ写真集みたいに見えてくる。
「まあ、ぼくにとったらこれがお母ちゃんの形見みたいなもんやな」
静かに目を伏せて夏乃がつぶやいた。
「かんにんな……うち、いらんこと言うて」
「べ、別に謝らんかてええねんで。見に来い言うたのぼくの方やし……」
そのとき突然、美也が弾んだ声を出した。
「あ、そうや、なあなあ二人とも日曜日ってひまぁ?」
びっくりして夏乃と大ちゃんが顔を見合わせる。
「うん、ひまやけど……」
二人がそう答えると、美也は、ふふんと笑いながら人さし指を振ってみせた。
「ほんなら、お花見行けへん? うちとこの町会の恒例行事なんやけど毎年そろって円山公園行くねん」
「え、うちらも一緒に行ってええの?」
「うん、友だちも連れてきなさいて町会長さん言うたはったし」
「やったー、花見できる」
「うち、なに着てこ」
二人はもう一度顔を見合わせ、そしてガッツポーズを決めた。