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かきつばた

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 大ちゃんが転校生として夏乃の通う小学校へやって来たのは去年の春のこと、始業式の全体朝礼も終わり、ざわついた雰囲気のなか、担任の先生に連れられ熊みたいにのっそりと教室へ入ってきた。まゆ毛の濃い、目がくりんとした大柄な男の子だ。ガキ大将のあっちゃんが思わず顔を引き締めた。
「ねえ、夏ちゃん……」
 うしろの席にすわる子が、夏乃の耳に口を寄せてひそひそと囁く。
「なんや、恐そうな子ぉやね」
 そやなあと、夏乃は目だけでうなずいた。教室の空気がぴんと張りつめている。四月だというのにとても寒い朝で、校舎の前庭にひろがる紅梅の枝に忘れ霜が降りていた。
「神戸の学校から転校してきました、浜口大助いいます」
 みなが注目するなか、そうていねいに挨拶してから大ちゃんは背中を丸め、くしゅん、くしゅん、と立て続けにくしゃみをした。教室じゅうがどっとわいた。すると彼は恥ずかしそうに顔を赤らめ、先生から手渡されたティッシュでちーんと鼻をかんだ。体が大きいぶん、その仕草がなんとも可愛らしく見える。赤い鼻をぐずぐず鳴らして、彼はもう一度ぺこりと頭を下げた。
「ほな、よろしゅうお願いします」
 やがて、コーヒーに落としたシュガーキューブがふんわりと溶けてゆくみたいに、彼はごく自然にクラスのなかへとけ込んでいった……。
「夏ちゃん知ってる? 浜口君てめちゃめちゃおもろいねんで、桂三枝のものまねとかしやはんねん。こんな感じでな、いらっしゃーい、やて……うふふ、ほんまよう似たはるわ」
 先に大ちゃんと仲良しになったのは、親友の美也だった。席が近いということもあって、よく休み時間には楽しそうにお喋りをしていた。
「今度うちらに新ネタ披露してくれやはんねんて、楽しみやわぁ」
「そういうのうち興味ないねん。美也ちゃんひとりで見してもろたらええやん」
「えーっ、でも浜口君、夏ちゃんのことごっつぅ気になるみたいやで。あの子どこ住んでるん? とかお笑い芸人はだれが好きなんやろ? とか、しょっちゅううちに訊いてきやはんねん。あれ、ぜったい夏ちゃんに気ぃあるでー」
 そう言って美也は華やいだ笑顔を見せた。夏乃はびっくりして顔を赤らめる。
「あ、あほらしー。うちあんな熊みたいな子ぉよう好かんわ」
「夏ちゃんはええなぁ、べっぴんさんやさかい、いっつも男子にモテて、うち羨ましいわ」
「美也ちゃんかて……」
 その日から大ちゃんは夏乃にとって、熊みたいな転校生からちょっと気になる男の子へと変化した。そして三人でよく遊ぶようにもなった。
 小学校の西を流れる桂川沿いの緑地が彼女たちの遊び場だ。大ちゃんはいつもそこで、朽ちかけたベンチをステージがわりにお得意のものまねを披露した。芸人や映画俳優、人気タレント、はては陰険なことで知られる教頭先生のものまねまでして、二人を笑わせた。
「ひー、おかし。浜口君ってほんまおもろいわぁ、将来はぜったい吉本興業入ったらええ思うよ」
「うちもそう思うしぃ。デビューしたら美也ちゃんと二人で応援行くわぁ。あ、そうや、なんやったら三人でお笑いトリオでも結成しよか」
 二人でそうはやし立てると大ちゃんは照れたように頭をぽりぽり掻いて、そしてぼそっとつぶやいた。
「いや、実はぼくなあ……、植物学者になりたいねん」
「植物学者ぁ?」
 夏乃と美也は、思わず顔を見合わせた。
 大ちゃんはたしかに頭が良い。転校してきてすぐに算数のテストで満点をとった。かなり難しいテストで、いつもは算数の得意な学級委員の深沢くんでさえ八十二点だったのに、大ちゃんはややこしい分数の割り算まで全て正解していた。以来、神戸の子ぉて頭ええんやなあ、とみなから尊敬のまなざしを浴びるようになったのだ。
 そやけどなあ……、と夏乃は思う。いきなり植物学者やなんて……。
「あんたまた、えらい難儀なもんになりたがんなあ」
「そうやで、学者なんか頭でっかちのインテリがなるもんや。浜口君みたいにごっつイカれた子ぉにはよう似合わへんわ」
 すると大ちゃんは、ふっと笑みを消し、足下に生えるクローバーを一本引き抜いてそれを太陽にかざした。まぶしそうに目を細める。しばらくして彼はこんな話をはじめた。
「……むかしお母ちゃんがな、ようきれいな花摘んできてはそれを押し花にしとったんや。すみれ、なずな、おみなえし、一輪草に、夕化粧……。ばりきれいやったで。葉っぱなんか、こう薄ら透けとってなあ、まるで透かし彫りの工芸品みたいに見えるんや」
 そう言って夢見るような目つきで微笑んだ。指先でつまんだクローバーが風にゆらゆらと葉を揺する。
「ぼく、植物ってええなあて、しみじみ思うねん。花はきれいやし、嗅いだらええ匂いもする。葉っぱかて、いろんな色とか形とかあっておもろいんやで、ハーブやったら薬にもなるしな。ぼく、植物図鑑三冊持っとうけど、そこに載ってる花の名前、ぜーんぶ覚えてもうたわ」
「すごい……」
 大ちゃんは得意そうに、へへへと笑ってしゃがみ込み、そこに生える草花の説明をはじめた。
「……これはヨメナや、若い葉っぱはおひたしにして食べれんねん。こっちはイタドリ、戦争中にはタバコの代用にしたんやで。おっ、珍しいな、これムラサキソウやん。根っ子が薬にもなるし、むかしはこれ煮詰めて紫色の染料にしたんや」
「ほんま、大ちゃん詳しいわぁ」
「植物のことやったらまかしときぃ、誰にも負けへんで。――あ、夏乃ちゃんこの花なんっちゅうか知っとう?」
「いやぁ、かいらし花やわぁ、うすーい瑠璃色で……、なんちゅう名前なん?」
「イヌフグリや」
「いぬ……ふぐりぃ?」
「そうや、犬のきんたまや」
「いややー、もう大ちゃんの、えっち」
 夏乃が肩を押すと、大ちゃんは尻もちをついて笑った。
「なあ、自分ら今から僕んち来ぉへん? お母ちゃんが造った押し花見したるで」
作品名:かきつばた 作家名:Joe le 卓司