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坂本 ゆかり
坂本 ゆかり
novelistID. 61632
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生きる意味・・ 実父親からの性虐待の心の傷

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の姿が母親のドレッサーに移りました。鏡の中の女の子は冷ややかな眼差しで私を見ていました。私は見ないで欲しいのに女の子は私から目を反らせてくれませんでした。もう一度、鏡全体を見返しました。そこにはこの世のものとはおもえないような汚らわしい醜い光景が写っていました。身体の内側から込み上げてくる憎悪に胸が苦しくなりました。鏡の中の女の子が自分なのだと理解するのにしばらく時間がかかりました。

親友のお父さんが病気で亡くなりました。私は委員長だったのでクラスの代表で告別式に参列させてもらいました。親友が凄く落ち込んでいるのに私は優しい慰めの言葉をかけてあげることがで出来ませんでした。告別式に参列させてもらった私に「来てくれてたよね、ありがとう。」と言ってくれた彼女に「学級委員長だから仕方なく行った」とか、私の家族を羨ましがる言葉には「父親なんか必要ないじゃん。」と酷いことを言って口喧嘩になりました。そんな酷いことを言ってしまった私に今も友達でいてくれている彼女に感謝しています。最近ようやく過去の性虐待のことを話し当時のことを謝ることが出来ました。
小学生だった彼女には親友の思いやりのない言葉は人生を狂わせる様なショックな言葉だったと思います。
6年生の時、性器が真っ赤にただれました。オロナインをしばらく塗りましたが酷くなる一方で皮膚科で診て貰いました。母親からあせもだったと聞かされましたが今思えば性病だったと思います。生理がきていない女のコの性器はバイ菌から守る力が弱く性病にかかりやすいそうです。治るまでに1ヶ月かかりました。




中学生

この頃になると私なりに自立心が芽生え初めてきました。この行為は間違っているのでは無いのかと父親に勇気を出して聞いてみました。父親は間違っていないこともないけど、他の家庭でも珍しくないことで、自分も叔母さんと関係を持ったと言っていました。それはどこまでなのか触るくらいなのか入れるところまでなのか聞いてみたが、その返事はハッキリとは返っては来ませんでした。でも血縁者同士のセックスは身体の相性が良いから忘れられない思い出だと言っていました。そんな話を繰り返しながらやはり父親の言うことは可笑しいんじゃないかと言う気持ちが日増しに大きくなっていきました。
初めての男性が父親ということは珍しくもないんだと思うように努めました。ある日、友達にそれとなく聞いてみました。
友達は凄く驚いた顔をして「今!なんて言った?!」と聞き返され私も慌てて「なんでもない!じょーだん!」と言ってしまいました。でもその友達の反応でこれはとんでも無いことかもしれないとやっと気がつくことが出来ました。
気がつきながらもすぐには嫌だと言うことが出来ませんでした。父親に嫌だと言うことで自分の居場所が無くなると思いました。きっと母親も知っている。私のことを憎んでいるに違いない私は一人ぼっちになってしまうという恐怖になかなか勝つことが出来ませんでした。
私が中学2年の夏、家の増築をするからと六畳のプレハブ小屋で2ヶ月程生活をすることになりました。親子3人で川の字になって寝ました。そんな状況でも父親は我慢できないらしく行為をしてきました。母親が気がつかない訳がない。なのに何も言わない母親は大人なのにどうしてそこまで自分の気持ちを我慢するのだろう惨めな人。こんな風にはなりたくない。と言う思いとこんな状況下でも行為を求める父親にさげすんだ感情が初めて湧いてきました。私は大人を見下すようになっていきました。
学校の先生も両親もあなたのために言ってあげていると恩着せがましく言いながら結局は自分の都合でしか物事を考えられない自分に不利益なことはごまかしてでしか生きられない生き物なのだ私は絶対そんな大人にはなりたくたい!私の気持ちなど誰にも分かるはずがない。分かる努力もしようとしない。中学を卒業したら仕事して自立しようと決心しました。




反抗期(中2の冬から中3)

やっと父親に「ヤメて」と言えるようになりました。私は両親がいなくても生きていけると思うようになり父親を拒絶することが出来るようになりました。父親はなかなか諦めてはくれませんでした。私が寝ていると部屋に忍び込んできてはさわってきましたが、私が怒ると何もしてないととぼけるようになりそんなことを繰り返しながら父親と私の間違った関係は終わりました。
同時に今までしてきたことがどれだけいけないことで取り返しのつかないことなのかもわかるようになっていきました。私はもう処女ではない。大切なものを醜い父親に渡してしまった。後悔と絶望と羞恥心、自分への嫌悪感、負になる全てのものが一気に私の上にのしかかってきました。毎日、私のような腐った人間は死ななければいけないと思いながら怖くて死ねない自分を責めました。こんなに死にたいのにご飯を食べる自分を軽蔑しました。
全てのことが長い悪夢であってほしいと毎晩泣き疲れて眠り気がつくと朝が来て現実に連れ戻され、起きてしまったことは現実なんだと再認識させられに逃げ場のない現実に心はズタズタに切り裂かれていきました。
どうして私は嫌だと言わなかったんだろう。どうして父親は私にそんなことをしたのだろう。どうして?どうして?どうして?とどうしてが何千回も何万回を頭の中をグルグルと回って頭が痛く吐き気がしました。
学校生活も一変しました。それまでは弱いながらもテニス部で頑張っていましたが部活も休みがちになりました。勉強も全く手がつかず成績はどんどん落ちて行きました。元々、親に喜んでもらいたくて頑張っていたので頑張る目的がなくなりました。
言葉遣いから付き合う友達からなにもかも変わっていったと思いますが周りの大人は誰1人私の変化に怒るばかりで理由を尋ねることはありませんでした。
父親に私の生活態度を注意されると自分のしてきたことを棚に上げ私にとやかくどうして言えるのかと腹が立ちました。
父親が手をあげると私も父親に掴みかかるようになり母親がどうしてそんな態度をとるのかと叱ってきました。
母親には早くから相談したかったけど、母親がもし知らなかったのなら私が言ったことで母親を傷つけてしまう。という思いがありなかなか言い出すことができませんでした。
そんな父親と母親と私の言い争いで家庭も崩壊寸前でした。
崩壊するのなら母親ときちんと話をして分かってもらわなくてはいけないわかってくれるはずだと思い言う覚悟をしました。全てを話すと当然私の見方をしてもらえると思っていましたがこれは私の甘い考えでした。母親はあっさりと父親を許してしまいました。