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坂本 ゆかり
坂本 ゆかり
novelistID. 61632
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生きる意味・・ 実父親からの性虐待の心の傷

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父親が、黒いものを白といえば白となりますし家族間の許されること許されないとも父親の気分で日替わりです。毎日、父親の顔色を伺うようになっていきました。
そんな父親でも楽しく遊んでくれたこともあります。母親が留守の時のじゃんけんゲームをよくしていました。私が勝つとおやつを食べさせて貰えて父親が勝つと私の股間を舐めます。私はくすぐったくて嫌でした。でもお菓子かもらえたのでくすぐったいのは我慢しました。その行為が何なのかはわかりませんでした。母親には言ってはいけないと言われました。母親が留守のときはいつもしていました。
でもやはり母親に隠し事をしているのも嫌でなにか悪いことをしている後ろめたさがあってこのことを母親に言いました。母親がどう返事したのかは覚えていませんが対して気にしたような様子も感じ無かったのでそんなにおかしいことではないのだ気にした私がおかしいのだと思いました。
その頃、私は寝る前に父親にキスをすることを義務付けられていました。それは凄く嫌でした。父親のベタベタした顔に近づくことに凄く抵抗がありました。何度も泣いて嫌だと訴えました。母親にも助けを求めました。せめて頬で許してほしいと言いましたが聞き入れては貰えませんでした。父親は私が産まれる頃に2年ほど出張でアメリカに行っていました。そこでホームスティ先のお嬢さんが父親に寝るとき挨拶のキスをしていたそうです。その風景が印象的で家族の絆の深さを感じたので真似をしたいという事でした。ここは日本です。叱られ泣きじゃくりながらキスをしても親子の良いコミュニケーションになっていないと言うことは誰でもわかりそうですけど父親は私がキスをすると満足そうでした。
母親は父親に懐かない私に少しでもコミニケーションをとらせようとしていました。父親が早く帰ってきたときはお風呂も当然のことながら一緒に入るように決まっていました。父親に性器を強く洗われて痛いと母親に訴えました。




学童期小学1年〜4年

その頃、父親は私の裸の写真を撮りたがりました。この年齢になると裸になるのが恥ずかしい事だとわかっていたので凄く抵抗しました。声を震わせながは「お願いだから許して下さい」と何度もお願いしました。海の中の岩の上や山の草むらの中でポーズを取らされました。子供の頃の身体は汚れなく綺麗だから写真に残しておきたいと言っていました。なぜか家に外人の女の子達の裸の写真集が何冊かありました。その写真集の中の女の子のポーズを真似するように指示されました。その写真の中の少女達は爽やかなイメージはなくきついメークをして子供らしいとは言えない異様な雰囲気でした。後から母親に聞いたのですが写真集は書店から父親が買ってきたものだと言っでいました。その頃は子供のヌード写真集は合法だったのでしょうか?だとしたら驚くべきことです。1980年前後の日本は児童性愛を容認していたということです。
この頃も理不尽なしつけという名の暴力や罵声は続いていました。私は橋の下で拾われた子供だとよく冗談混じりに父親からからかわれていました。私は本当に拾われて来たんじゃないかと思うようになりました。私には優しいお父さんとお母さんが別にいて必ず迎えに来てくれる。そうあって欲しいと願うようになっていきました。何度も母親に確認しましたが、その度にあなたは私が産んだ子だと言われました。
父親が仕事から早く帰った日はやはりお風呂は父親と入るように決まっていました。いつまで一緒に入らなければいけないのだろうと思うと悲しくなりました。
勉強もスポーツも周りの子に負けては両親をがっかりさせてしまうと思い自分なりに一生懸命頑張りました。毎年、学級委員長にも選ばれそれを両親に報告すると両親が誇らしげでまた喜ばせることをしなくてはと頑張りました。頑張ってお利口にすることで、この家庭での私の居場所を確保できると考えていました。



小学5、6年

夜、寝ているとなぜか人に触られている感じがして目を覚ますと手の温もりが身体に残っていてる。横では父親が眠っている。そんなことを繰り返しながら行為は少しづつエスカレートしていきました。
初めは私の勘違いかな、と思っていました。でも確実に胸や下腹部を触られた感じがあり、ある時寝たふりをしているとやっぱり父親の手が私の胸や下腹部を撫でていました。私が目を開けるとその手はさっとひっこめられました。そんなことが頻繁にありました。その時は何か気持ち悪くは思いましたが寝返りを打ってみたりしながら嫌な気持ちを誤魔化していました。嫌とは言葉にすることは出来ませんでした。私にとっては特別なことではありませんでした。これまでの経験で自然なことだったのかもしれません。ビックリすることではありませんでした。逆にいつも好き放題に振る舞う父親がこそこそしていることに腹が立ちました。私は心は完全に父親に支配されていました。父親は独裁者でした。教祖のように慕う母親。私は心は地下に住む奴隷でした。地下は寒く薄暗くジメジメしておりたくさんのネズミ達が這いずり回っています。その隅っこで私は膝をかかえて小さくうずくまっていました。私の発言権などはまったくなく父親の気分で地下から時々地上に出してもらえそんな日は眩しい世界に心弾ませていました。父親の機嫌を損なう出来事ことがあれば途端にまた地下に戻される。母親はよく地下に暖かい出来立てのおやつを持ってきてくれました。でも決して地下から出してくれる事はありませんでした。言うことを聞いておけば優しくしてもらえる安全な眩しい世界に連れて行ってもらえると思ってしまったことが間違いでした。無理矢理ではありませんでした。父親は優しく本当に良いのかと確認しました。
私が身を差し出すかたちでこの時は生涯自分が苦しむことになることとは気がつかず最後の一線もいつの日からか超えることになってしまっていました。
当時、平屋で台所の隣の私のベットに父親は仕事が早く終わると入ってきては私の体を舐め回し満足そうに優しく声をかけてくれました。今までの暴力的で言葉汚くののしる父親とは別人でした。私はこれで良かったのだと思うようになってしまいました。
オーガニズムも感じられるようになっていきました。
いつものように父親が私の布団に入って私の性器を舐めているとき母親が部屋に入って来たことがあります。
母親はカッとなった悲鳴にも似た声で「何をしてるの!!」と言い部屋を飛び出して行きました。父親は慌てて身なりを整え母親を追いかけて私の部屋を出て行きました。私は心の中で何度も母親に謝りました。
しばらくすると父親が戻ってきました。私が「お母さんは何て言ったの?」と問いました。私がお腹が痛いと言うので見てあげてたと言ったら信じてくれたと。そんな子供じみた言い訳が通じたのかと信じられませんでした。母親はこの時から知っていたのでしょうか。
母親が留守のときはいろいろな部屋で行為をしました。ある日、私は四つん這いになって後ろから挿入されている自分