あなたが残した愛の音。
第2章 先生の娘
駅舎から乗客たちが出てきた。皆、足早に歩き去り、また、迎えに来ている他の車に乗り込んで行った。それらしい女性は出て来ない。
(担がれたんじゃないだろうな)
博之は人の流れが途絶えたのを確認して、車を降りた。そして駅の入口付近まで歩いて行き、周囲にそれらしい女性がいないか探したが、そもそも背格好も何も知らないので、見付けようがない。
先ほどの電話で聞いた、彼女の携帯電話にかけてみることにした。3回コールして彼女が出た。
「はい、川島です。すみません。もうお待ちいただいてるんですよね」
「ええ。出てくる乗客の中に、あなたらしい人を見付けられなくて」
「今、改札を出るところです」
「じゃロータリー側の出口に立っていますので」
博之は、きっと彼女はトイレに寄って、初対面の相手に対しての身支度をしていたのだろうと思った。
その後すぐに、改札のある2階から階段を下りてくる女性と目が合った。彼女は困惑したような表情をしていたので、それが、電話の女性だとすぐに分かった。
「木田さんですか?」
「はい、木田博之です。初めまして」
「こちらこそ。お呼び立てして申し訳ありません。川島ひとみの娘で、愛音(あいの)と言います」
「あいの? さん。意外に背が高いんですね。先生は小柄な方だったので、予想外でした」
「よく言われるんですが、父の背が高かったもので・・・」
「ここじゃ、なんですので、どこかお店に入りましょう。と言ってもこんな郊外の駅前には、うどん屋ぐらいしかないので、私の車で移動しますね」
「はい、お願いします」
博之は1,000万近くするメルセデスに乗っている。この車に女性を乗せると、お愛想でも「素敵ですね」とか「こんなの光栄です」とか言われることが多いのだが、彼女は気付いていないのか、何も言わずに、博之が開けたドアから助手席に乗り込んだ。それにより、これから本当に深刻な話になるんだろうと予想できた。
駅を出て、信号を6基通過するとお城がある。その周囲のお堀に面して、1軒だけ『Fryderyk(フレデリック)』という気取ったカフェがあった。博之は、その店のガレージの黄色く色付いた大きな欅の木の下に、車を停めた。
作品名:あなたが残した愛の音。 作家名:亨利(ヘンリー)