あなたが残した愛の音。
「どういうことですか? 手短に説明してください」
「はい、私の母が、木田さんと知り合いなんだそうですが、今は入院していまして、お見舞いに来ていただきたくて、お願いしようと思いまして」
「お母さん? お名前はなんとおっしゃいますか?」
「川島ひとみです」
博之はその名前に聞き覚えがあった。
「カワシマ ヒトミさん? 年齢はおいくつですか?」
「52になります」
「川島先生のことですね」
「はい。覚えていてくださいましたか。ありがとうございます」
電話の女性は声が小さくなり、どうやら泣いているようだ。
「先生が入院って、どうされたんですか?」
「実は癌が見つかりまして、あと・・・っ、3か月なん・・・です」
「・・・そうなんですか。残念です。・・・でも、中学の時以来、一度もお会いしたことがないのに、会いたいだなんて。どういうことなんでしょうか」
「そうではなく・・・、母が会いたいと申しているのではなく、私が母に会っていただきたいと思っているのです」
「事情がよく判らないんだけど」
「無理を言っているのは分かっています。でもどうしても、母に会っていただきたいんです」
「ええ。・・・分かりました。まず、あなたにお会いして、事情を説明していただかないと・・・」
博之は、その日の午後、電話の女性と会う約束をした。
博之の自宅から車で10分ほどのところにある駅で、午後1時に待ち合わせた。彼女のほうは、自宅近くの駅からここまで45分ほどかかるらしいが、わざわざ出向いて来ると言った。
約束時間の10分ほど前にホームへ列車が入って来るのを、博之は駅前のロータリーに停めた車の窓から見ていた。突然降って湧いたような状況に、ひどく胸騒ぎがしている。それでも事情を確かめる必要があると感じたから、直接会うことを承諾したのだ。
(しかし、どんな女性が来るんだろうか? 本当に先生の娘なら心配はないが)
博之はふと、少年時代を回想した。
(川島先生か。とても思い出深い先生だった。先生が余命幾ばくもないと言うのなら、俺も会っておきたい)
作品名:あなたが残した愛の音。 作家名:亨利(ヘンリー)