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ひこうき雲

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怒りのような、嘆きのような感情が胃を鷲掴みにしているように感じ、荒れそうになる呼吸を深呼吸で押さえたいところだが、溜め息だと思われたら最悪だ。気付かれぬように小さく息をして呼吸を整える。
面接官の目はもはや笑っていなかった。
「最初から親会社の日滝さんに入れば良かったじゃないですか?」
面接官は、袖を捲り上げた太い肘をテーブルについて顎の前で両手を組む。
日滝に入れなかったから子会社に入った。という答えを期待しているなら大間違いだ。
俺は日滝へのカードを自ら捨てた男だ。
「学生の時にはそんなことは分かりませんでした。だからここにいるんですっ。」
俺は顔を伏せて言った。今の表情を見られたら即不採用だろう。
なんであんたにそこまで言われなきゃならないんだ。
という言葉は何とか飲み込んだ。
だが、俺の中の何かは決壊したのは隠しようがなかった。俺は、こともあろうに面接官に向かって声を荒げてしまったのだ。
終わったな。。。
静かに顔を上げた俺は驚いた。面接官が穏やかな笑顔を浮かべている。それは同情するわけでも、蔑(さげす)むわけでもない。<大丈夫>と、まるで親が子を励ます時のような顔、そこには自分の父親の顔が重なる。何度その笑顔に救われてきたか、そして、自分も息子に何度その笑顔を向けたことか。。。息子は俺の笑顔に救われてきただろうか。。。
「私からは以上になりますが、他に何かありますか?」
面接官の声音まで変わっているように感じるから不思議だ。
「いえ、お忙しいところありがとうございました。」
立ち上がって深々と頭を下げた俺にワンテンポ遅れて立ち上がった面接官は軽く頭を下げると手のひらで出口を示した。
「頑張って」
一瞬何を言われたのか理解できなかった俺は、我が耳を疑った。だが、目はその口の動きを読み取っていた。久々に心の底から暖かくなった気がした。転職活動をしていて、励まされたのは初めてだった。いや、普通こんな言葉は掛けてこないだろう。
俺は返す言葉も見つからず、もう一度頭を深く下げた。なぜか目頭が熱くなった。

しかし、何を「頑張って」というなのだろう。。。<転職活動か>それとも<一緒に自動車メーカーで>ということなのか、、、それとも、、、
<今の会社で>頑張れ
ということなのだろうか。。。
帰りの新幹線の中で俺の思考は堂々巡りを繰り返した。
<今の会社で>か、、、何度目かの堂々巡りする思考を止めたのは、そんな風に聞こえてしまった自分への苦笑だった。
転職したくて来た人間に面接官が言う筈のない台詞を思い付く俺はどうかしている。なぜだろう。。。転職活動がリアルになるにつれて脳裏に浮かぶ同僚の面々のせいか。。。
 上司や部下に親会社である日滝製作所の人間がいて、仕事の内容も責任も立場も同じ、名刺も名札も同じ、そして何よりも自分が子会社の人間であることを感じさせない同じ雰囲気。仕事も職場の仲間も好きだった。。。
だが、どうしても同じではないことを実感するときが必ずあった。それは、ボーナスの時や、昇進の時だった。それでも<子会社だから仕方がない>と、立場をわきまえてはいた。しかし、開発1課が請け負い扱いではなく派遣扱いになってから、みなとエンジニアリング内でも露骨に請け負い部署との間に昇進の格差が現れた。折しも「成果主義」が評価方法として導入されたばかりのことだった。期の終わりにA3サイズの評価シートに業務の計画、コスト目標、そしてそれらに対する達成度を記入してAからEの5段階で自己評価をして上司と面談を行いながら最終評価をしていく評価方法だ。業務を記入する欄は3つあった。
<3つじゃ欄が足りない。>
当時の俺は、製品の開発から製品化までの工程を検討し、その管理を行いながら設計、試作手配と設計手直し、試験計画と設計手直し、量産化設計、コスト管理とそれに付帯する各種文書の作成も行う。そんな開発を数件抱えているのが普通だ。さらに現行品のコストダウン設計が並行する。これもただ安い部品を探して採用すればいいというものではない。各種試験を行い、信頼性や性能が低下しないことを証明しなければならない。実際に試験し、判定をするのは品質保証を行う品証グループだが、どのような試験をどういう風に行うか、判定はどうするかといったことは全て開発設計が行う。必然的に会議や、現場打ち合わせ、試験立ち会いが昼間に集中するから、メインな筈の設計や文書作成は残業時間にやるしかない。そんな忙しい日々だったことが<成果なら請け負い職場には負けない>という自負を強くした。みなとエンジニアリングからの派遣社員はみんなそう思っていた。他の請負部署は不利になり、モチベーションが下がることを心配した者も少なくなかった。
だが、結果は違っていた。俺と同じく日滝の開発に派遣されていた開発1課の課長は、面談中にいちいち納得しながら俺の自己評価よりも高い評価を付けてくれていたが、設計部長にはことごとく評価を下げられた。と課長は嘆いていた。それでも1年は我慢した。
<最初のうちは混乱もあるだろう。。。>
 誰もが堪えた。来年こそは大丈夫だろう
 だが、2年目も変化はなかった。昇進する者が誰もいなかったことが我慢から不満へ、そして疑問へ変わった。
 その頃まことしやかに広まった噂が設計部長の「開発は穀潰(ごくつぶ)し」発言だった。無為徒食の者をののしっていう言葉でひとくくりにされた俺たちの会社に対する思いは、疑問から怒りへと変わった。
 怒りは、真剣に転職を考え始めていた俺達の背中を強く押した。それでも俺は慎重なほうだった。あの頃、俺には妻と幼稚園に通う息子と娘がいた。噂からほどなくして先輩たちは派手に転職活動を始めていた。

 評価制度が変わってから3年目、上期の評価を受け取った後に俺は部長に聞いた。
「評価方式が成果主義に変わってから、開発から評価が上がった人間がいません。私たちは、開発計画もコスト目標も十分に達成しているのですが。何がいけないんでしょうか?」
 たまたま空いている会議室の前で擦れ違ったのを好機と捉えた俺は、会議室に「ちょっといいですか?」部長を連れ込んだ。照明もつけない薄暗い会議室で、部長の冨川の表情が不満から薄笑いに変わった。
「だって、お前らはウチの会社に何も貢献してないだろう。お前は、みなとエンジニアリングの社員だろ。」
 これ以上どうしろというんだ。
 2人きりの会議室、怒りをぶつけることは簡単だったが、それは出来なかった。妻と子供達の顔が脳裏を埋め尽くす。
 <開発は穀潰し>その噂を裏付けるような言葉に冨川の薄笑いは、あまりにも薄情で冷酷に見えた。

 でも、その言葉で踏ん切りがついた。。。

 もう子会社には入らない!
 
 そう誓った俺は、転職活動を開始した。
 それは、みなとエンジニアリングに対する当て付けのような気持ちも入っていたのかもしれない。この仕事への未練や開発の同僚への申し訳なさを感じた時は、あの時の冨川の言葉を思い出して迷いを振り払ってきた。
 人間必要であればどんなことにもすぐに慣れる。
 転職しなければ将来が無い。
作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹