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ひこうき雲

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20.幕開け


「諸岩君、ちょっと一服しないか。」
 朝礼が終わるのももどかしい俺は、座ろうとする諸岩に声を掛け、胸ポケットから取り出した赤ラークを左手に持ち換え、空いた右手がズボンのポケットからジッポを取り出す。いつもの癖でフードを手持無沙汰に開閉したくなるのを抑える。あの金属音は好きだが、オフィスの中でやるもんじゃないし、これから話す事を考えれば、なおさらだ。
「今始まったばっかっすよ。休み明けでメールも溜まってるし。」
 予想通りの諸岩の答えだが、
−いつもお前がやってることだろう。−
 という正論は置いておく、今は時間がない。
「じゃあ言い方を変えよう。話がある。」
 少し語気を強めたことで、急に沸点に達しそうになった俺の苛立ちがガス抜きされる。諸岩の返事も聞かずに喫煙所へ歩き始め、質問の余地など与えないことを態度で示した。
 諸岩の気配を背中で感じながら喫煙所のドアを乱暴に開ける。勿論そこに誰もいない事は確認済みだ。本当に頭に来てはいる。が、どこかで怒っている-振り-をしている自分がいる。
「エレスリムに200Aって、あったっけか?」
 諸岩が入って来る気配を背中で感じ、ドアが閉まる音を耳にした俺は、間髪いれずに言葉を浴びせる。振り返らずに、あくまで静かに問う。嵐の前の静けさがなければ、ただのギャンギャンうるさいオッサンに成り下がってしまう。
「エレスリムなら、出来ない訳じゃないでしょ。」
 敬語のカケラもない不機嫌な諸岩の声が、ふてぶてしさの塊に変換されて俺の脳に響く。が、俺は受けた苛立ちを諸岩に対する正論の強度として積み上げる。
「200Aがあるか?って聞いてんだ。お前の意見を聞いてるんじゃない。」
 部下を『お前』呼ばわりしたのは久しぶりだ。
「200Aは、ありません。」
 諸岩が言葉を正して呟くように言った。無理もない、この職場に来て以来、こんな言い方をする人間を見た事は無いし、俺もそうする必要がなかった。コイツ等の間では営業を知らない『名ばかり副課長』で通っていたのだろう。
 だがな、
 これだけは譲れない。分からせなければならない。
「そうだな。200Aなんて無いんだ。」
 俺は声を落として語り掛けるように言った。
「はい。でも。」
 まだ言うのか、コイツは。きっと睨みつけてしまったに違いない。そこから先の言葉が諸岩の喉の奥でつかえているようだ。
「でも、何だ。」
 事の善悪は別として、コイツが何で『存在しない製品』を受注してきたのか?それを突き留めなければ根本的な解決はできない。正直な気持ちを聞き出す。本当は腸が煮えくりかえっているというのに、怒りをコントロールしている自分もいる。
-畜生、俺は、いつからこんなに『大人』になったのだろうか-
「石の、IPMのサイズはみんな同じじゃないですか。」
 なるほど、そういうことか。インバータ装置の心臓であり、俺も開発の頃『石』と呼んでいたIPM。その御先祖様にあたるトランジスタが鉱石から出来ていたことから俺たち技術者はスイッチング素子を『石』と呼んでいる。営業といえどオーダー物を担当する営業技術としてのプライドから『石』という言葉を使ったのだろう。だが、今のお前にIPMを『石』と呼ぶ資格はない。サイズで物が決まるのは積木やブロックの世界だけだ。
「なるほどな、確かにサイズは同じだ。そのIPMは何に取り付けてる?」
 これでピンと来てくれれば辛うじて合格にしてやる。
「インバータでしょ、」
 いつもの俺に対する態度に戻りつつある諸岩の声には溜息が混じっている。しかも答えは不合格。技術屋の答えじゃない。
-思いっきり雷を落とせ。コイツの天狗の鼻をへし折ってやるんだ。-
 まずは、今発生している事を自覚させる。言い訳はその後だ。
「俺を馬鹿にしてるのか?それとも仕事を馬鹿にしてるのか?営業技術はその程度の知識で務まると思ってるのか?」
 諸岩の顔が引きつり、遂には赤みが射す。見開いた両目は俺を睨んでいるように鋭い。ただ、それがプライドを傷つけられた怒りに任せたものでないことを眼光を滲ませるものが雄弁する。
「あ、あんたに何が分かるっていうんだ。」
 そう搾り出すように言った諸岩の次の言葉をじっと待つ。
-今度は俺が聴く番だ。-
 鼓膜を揺らし、信号となって脳に届いた暴言は、言葉に変換される時『大人』の俺に一瞬で無力化される。
 『聞く、じゃなくて聴く。』そう言い聞かせてきた。相手の気持ち・立場になって傾聴する。漢字は自分の意識改革に便利なツールだ。今、俺の瞳に怒りの色は微塵もないだろう。あるのは父親が息子に向ける瞳色だ。だが、ゆっくり聞いている時間もない。間もなく部長に呼び出されるだろう。だから諸岩を煽った。感情のままに話してもらった方が無駄な繕いもない。そこに原因がある。上司の叱責は事の本質を理解せずに使うものではない。
-さあ、早く言え。聴いてやる。そして俺が責任を被ってやる。-
「すみません。俺が、いや、私が向こうの設計の人に相談されてたんです。主流になっている機械室レスエレベーターで大手に対抗したいが、どうしてもラインナップで追いつけない。大手は標準形の上限の毎分105mで13人乗り、15人乗りまで出しているけどウチは11人乗りまでしか作れないから病院や大規模商業施設のように大小何種類ものエレベーターを使う案件には入り込めない。ずっと言われてたんです。」
 俺が頷きながら聞いていることに安心したのか諸岩のトーンが落ち着いてきた。ここで一旦言葉を区切った諸岩は俺の反応を確かめるようにまっすぐ俺を見る。
-俺が理解を示す番だ。理解してから理解される。なかなか難しいことだが、-
「そうだな、大手のラインナップは手広い。特に屋上なんかの機械室に入れていたモーターや制御盤を昇降路に設置した機械室レスじゃ、乗りかごが行ったり来たりする昇降路の隙間に制御盤を設置するから制御盤に入れるインバータも薄型にしなきゃならない。インバータを含めて全部自前で作ってる大手には出来ても、買い物の部品を組み込んでる一般メーカーじゃキツイだろうな。」
-何で知ってるんだ?-
 諸岩の驚きの目に、笑顔を向ける。
 当たり前だ。『どのような物が必要か?』といったユーザーニーズに関する知識は営業には敵わないが、ユーザーが『どのように使うか』は開発の人間にとって重要なことだ。
 なんでも自前で開発・設計・製造している大手は強い。なぜなら大手エレベーターメーカーは大手総合電機メーカーだから、電気・電子装置が心臓部となるエレベーターに関しても技術力と開発力は当然トップクラスだ。コストはともかく簡単に言えば自由自在にモノづくりができる。
 今は怒りの色が失せた諸岩の目が熱を帯びる。こいつはこんな純粋な目を持った男だったんだな。いつもの反抗的で無関心な雰囲気はない。
「そうなんです。そのためには9kW、11kWクラスのモーターを回せるインバーターが必要だったんです。だからエレスリムに200AのIPMを搭載すれば。と思ったんです。」
-『思った』じゃなくて『考えた』だろ!-新人の頃、上司に怒鳴られた言葉がよぎり、苦い思いが広がる。ま、ここは畑が違うから、突っ込まずにいよう。
だが、
作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹