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ひこうき雲

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 話が逸れたが、ターボはスピードの出せない山道では威力を出せない。ということだ。なるべく速度を下げ過ぎないように、そして、エンジンの回転を下げ過ぎないようにギアチェンジをしながら走らなければならない。でも峠はコーナーがキツイ。充分に減速しなければ背の高いジムニーは横転してしまう。だから速度を下げる。そしてエンジンの回転が下がりきる前にギアを下げて回転を上げながらコーナーを抜ける。ギア付きの自転車に乗った事があるなら、ギアを下げた方が足漕ぎが軽く、回転が早くなるだろう?あれと一緒だ。ギアを下げた方がスピードは出ないがエンジンの回転は高くなる。それでターボが効いて力が出る。ギアチェンジを間違えればオフロード四駆としては軽量でも軽自動車としては重量級なジムニーはいとも簡単に失速する。だからエアコンも入れたり切ったり忙しい。「オートエアコン?」そんなのは無い時代の車だ。しかも、エアコンとはいいながらもこの車のそれは、クーラーだ。冬はHOT側に空調レバーを動かすだけ。まかり間違えてエアコンのボタンを押したら冷風が吹き出す。
 これだけオンロードに不利な車で、俺は妻を酔わせないために乗り心地重視で運転をしていく。これが醍醐味だ。昔は、そう、入社して初めて買ったこの車でいろんな所へ行ったっけ。震災後は行かなくなったが、林道も沢山走った。この愛する女と一緒に、照れながら呼んでいた名前にチャンづけから始まり、結婚して照れ隠しに奥さん。と呼び、子供ができてからはお母さん。呼び名が変わるたびに人生のステージは激変していった。それもこの車は知っている。そして、妻と出会う前に付き合っていたあの婦人自衛官の事も。ただの車じゃない、俺の喜怒哀楽を共にしてきた何でも知っている相棒。
 峠を登りきって尾根沿いのなだらかな道を走る。視界には、さらに空へと伸びる男体山と女体山が映る。関東平野の真ん中にそびえ立つ筑波山は標高こそ877mと決して高い山ではないが、男体山と女体山の2つの峰を持ち、古くから信仰の山として栄えたという。中腹には筑波山神社があり、筑波男大神(いざなぎのみこと)、筑波女大神(いざなみのみこと)の夫婦二神を主神として夫婦和合、縁結びの神として崇められてきた。今日は立寄る時間が無かったが、次は妻と行ってみよう。今までの俺の誤解を何かに詫びたいから。そしてこれからも仲良く過ごせるように祈りたいから。
 分岐から湯袋峠に入り、筑波山と連なる加波山や吾国山に囲まれた八郷盆地へと下る。関東平野に陸の孤島のように浮かぶこの旧八郷町が俺の故郷だ。今は隣の石岡市に吸収合併されてしまったが、未だに石岡と呼ぶことに違和感がある。峠に入って右側の視界が開け、眼下に山々に縁取られた田園地帯が広がり、中央に低い山がひとつ、丘のように見える。富士山だ。富士山とは言っても標高はたったの152mだし、富士山には全く似ていない。その向こうで採石により削られた山肌を見せて真っ二つにされている山が標高196mの竜神山だ。神と名前の付く山をこんな姿にしてしまうとは、人間はどれだけ強欲で自惚れた生き物なのだろうか。この山には大昔から竜神の夫婦が住んでいるといわれ、竜神様のおかげでふもとの井戸も枯れることがない。言い伝えられていた。日照りが続くと、人々は竜神に雨乞いの祈りを捧げたという。それに比べて今を生きる俺達は何てバチあたりなんだろう。
なんてことを話しながらドライブは続く。
「昔の人達は、もっと謙虚でいろいろな事に感謝しながら生きてきたんだろうね。」
 妻の言葉に最大限の同意を示しながら、俺はギアを下げてエンジンブレーキを利かせながら速度を押さえてカーブに入る。ギアが下がる事でタイヤからエンジンに伝わる回転数が上がりエンジン音が高くなるが、アクセルは踏んでいないのでエンジン自体は回転が低いままでいようとする。それによってタイヤの回転を上げないように抑え込む。それでもアイドリングよりもエンジン音が上がってしまうのは、タイヤからの回転力を押さえきれないぶんエンジンの回転が上げられてしまうからだ。それがエンジンブレーキだ。このお陰で上りに比べて下りは楽だ。ギアチェンジをしながら好きな強さでエンジンブレーキを自在に操りながら下ることができる。これもマニュアル車の醍醐味だ。
 
 峠もなだらかになり森のトンネルを抜けると坂道に農家や果樹畑が点在しはじめるとまもなく「やさと温泉ゆりの里」が見える。露天風呂の景色も地元の食材をメインにしたレストランも直売所も今日はお預けだ。
-明日が仕事じゃなければな-
 分かりきったことを呟いてしまう。
 緩くなった下り坂にエンジンブレーキの音も低くなってくる。音が低くなって違和感に気付く。何かに包まれているかのようにエンジンの音が曇っている。エンジンブレーキの効きも強いような気がする。久々に乗ったから勘違いなのか、車齢20年を超える老体に鞭打って山道を攻めたからなのかは分からないが、急勾配の時にはエンジン音が大きすぎて気付かなかった。
-気のせいか-
 そのままフルーツラインに出る。盆地の中のいくつかの丘を抜けるたびに緩く大きなアップダウンをしながらも筑波山と吾国山の間の平地を一直線に結ぶ道路だ。交通量が少なく信号もほとんどないこの道路は地元の軽トラから他県ナンバーのワンボックス、趣味なスポーツカーまであらゆる種類の車が高速道路さながらにスピードを出す。免許を取り立てで初めてこの道路を走った時、「早く60キロまで上げろ、ゆっくり走れば安全というのは、この道じゃ通じない。みんな飛ばすから流れに乗らなきゃ危ないんだ。」助手席の親父の慌てっぷりを思い出し、俺の頬がほころぶ。
 その頬が一挙に強張る。
-なにっ?-
 フルーツラインに入って加速し始めて間もなく渡った小さな川。そこから坂を登るために更にアクセルを踏み込んだが急にエンジンの吹けが悪くなった。音も変だ。何かが擦れるような不規則な音。そして油脂系の鼻を突く臭い。坂の中ほどでオイルの警告灯が点灯した時には、嫌な汗が全身から噴き出した。
 -オイルの警告灯が点いた時にはもう遅い。オイルが無いから点くんだから。-
 昔、車好きの友人から聞いた言葉は嘘であってほしい。と祈る。
「大丈夫だよ。」
 前を見たまま妻の視線に応える、そしてその言葉は愛車に向けた俺の想いでもある。
-そう、大丈夫だ。今楽にしてやる。-
 俺はクラッチを踏んでエンジンの回転とタイヤの回転を切り離し、アクセルを戻した。惰性でこの坂を越えるぞ。
-頑張れ。-
 アイドリングに戻ったはずのエンジン音はひどく不規則でしかも低い。回転計をに目を遣ると回転数は500回転と300回転の間を行ったり来たりしている。普段の半分以下だ。しかも不安定な回転数。
 惰性の推進力は、上り坂の位置エネルギーに食い尽くされ見る間に速度が下がる。幸い後ろに迫る車はいない。
-頑張れ。相棒-
「頑張れ」「頑張って」
 2人の声にも力が入る。
作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹