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ひこうき雲

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 親父の手術の経過は良好で、2年後、再発の全く心配ない。と分かった頃、俺は36歳になっていた。そして程なくして鳥井に異動が掛った。顧客の特殊仕様に応じて既存の製品に改造設計を行うみなとエンジニアリングのオーダー設計への異動だった。それも技師昇格のオマケつき、「もしも」を考えて鍛え抜いた鳥井が認められた。と、俺は素直に喜ぶ半面、一昨年前、そう、俺も転職活動をしていたあの年、開発に派遣されていたみなとエンジニアリングの社員が4名も転職してしまった反動であることも俺は知っていた。それは少数精鋭といえば聞こえはいいが、直接は金を稼がない「開発」という部署に人を掛けない日滝の開発部門にとっては大きな損害だった。いや、損害どころではない、日滝製作所が自社の社員同様に育ててきた開発設計者が流出してしまったのだ。4名も、、、代わりがすぐに育つ世界ではないことは、彼ら自身が誰よりも知っている。しかし、派遣されている子会社の社員の心境も「職場の仲間」として理解していた。転職してしまうのは仕方ない。
 ならば、、、もう子会社の人間を開発に置くべきではない。
 と結論付けられた。
 その結果が鳥井の開発からの転出でもあった。その年に鳥井の下に入ってきた新人も一緒に転出となった。
 開発の中でも特にハード屋は、みなとエンジニアリングからの派遣社員がメインで製作所の人間は、俺の上の管理職と、鳥井と同レベルが1人。俺たちに出て行かれたらガタガタだ。決して奢(おご)って言うわけではないが、はっきり言って俺たちが居なくなったら成り立たない。
 俺は、辞めないことに念を押されて開発に残された。というより、転職できる状況にない。ということがバレバレだった。もう35歳というラインを越えた俺は、「旬」を若干過ぎていた。
 だから、いままでの立ち位置のまま残った。上は製作所の管理職、下は製作所の部下。職場にはもう、みなとエンジニアリングの人間は俺以外いない。それだけが今までとの違いだった。
 それ以来、俺は、ずっと同じ立ち位置のまま十数年を過ごした。下についていた製作所の部下は、数年経つと他の部署へ異動し、その後管理職になって戻ってくる。そう、俺は抜かれっぱなし。。。
 そもそもが、弱体化したハード屋を立て直すための捨て駒だったのだ。
 部下を育てる。のではなく、後輩を育てる。将来抜かれるために。。。
 子会社の人間だから仕方がない。。。
 そう言って俺は自分を宥(なだ)めてきた。
 そもそも転職を諦めた時点でこうなることは分かっていた筈だった。
 だが、現実は辛い。。。
 馬鹿になるしかない。と言い聞かせて馬鹿になれるほど人間は利口ではない。ましてや自分の専門分野だ。これで飯を食って来た。誰にも負けない。だが、その畑でどんどん置いていかれる。かといって、自分の畑で手を抜くほど薄情にもなれなかった。
 好きな分野だったから、俺の畑だったから妥協はできなかった。後輩は精一杯育てた。。。
 それはあくまで技術者として当然の良心だ。
 だが、良心に従えば従うほどに、自分をこんな境遇に置いて我関せずを決め込んでいる「みなとエンジニアリング」への怒りは募る。
「だって、お前らは「みなとエンジニアリング」に対して何もしていないだろう?」
というある日の部長の言葉とともに。。。

 クソッ挙句の果てに要らなくなったら営業へポイかよっ。

「で、いつなんですか?」
 その声に引き戻されて茫然とする俺を鳥井が覗き込むように見つめていた。その眼から笑みは消えていた。
「んー、それが来月からなんだ。」
 最初の部下だった鳥井とは長い付き合いだから顔を見ればバレてしまう。そもそも俺はポーカーフェイスというのが苦手だ。普通に感情のある人間が出来る技ではない。俺はそう思う。
「でも、栄転なんですよね。」
 明るい声に切り替わった鳥井の声が俺を励ますように響く。
「んなことあるか、ポイ捨てだよ。本体だけでハード屋が揃った今、俺はいる意味がない。栄転とか、ありえんよ。当てずっぽ言ってまで無理に励ますな。」
 俺は、ゆっくりと自分をなだめるように言葉を紡ぎながら、まだ半分以上残っているタバコの先を灰皿に軽く擦りながら火を消した。不思議と気分が落ち着く。
「いや、当てずっぽって訳じゃないですよ。ハムちゃんが言ってたんですから。」
 鳥井が珍しく食い下がってくる。その程度でムキになることもないだろうに。。。
「ハムちゃん如きがそんな情報知ってるわけないだろ。」
 俺は畳み込むように早口で言った。ちょっと言い過ぎたか。。。だが、今の俺は本当はイライラしている。相手が鳥井でなければ話をする気にもなれない。
「いやいや、「如き」じゃないですよ。今度、営業技術課の副課長に昇進するそうですよ。」
 灰皿の上で弄(もてあそ)んでいた先の消えたタバコが途中で折れる。
「何っ、あいつが副課長だって。マジかっ、」
「マジですよ。」
 声が裏返りそうになる俺を鳥井が笑う。

 営業技術課といえば、市場開拓の検討、新製品の事前売り込み、オーダー製品の営業、新技術の展開検討、技術的な顧客対応など、とにかく沢山売ることが至上命題の、という営業一課や二課とは一線を画する技術畑に近い部門だ。確か公子のメールの署名にはパワー装置営業課 主任とあったな。というと、俺と同じ時期に営業技術に異動か?
 ところで、俺はどの課に異動になるのだろうか。。。まさかハムちゃんの後釜か。。。それじゃ主任のままで栄転じゃないだろ。
 ま、でも人生そんなもんだ。。。
 そんなもんだよ人生は。。。

 俺は、、、いつからこんな後ろ向きな男になってしまったんだろう。。。男、、、ま、妻に相手にされない俺は男としてはとっくに終わってるがな、、、今度は技術者としても終わりになるとは、、、

 鳥井と組んで仕事をしていた頃の俺とは別人のようだ。あの頃が懐かしい。
 あの頃は自信に満ちていた。そして何よりこの仕事と仲間が好きだった。。。
 将来への不安と現状への不満があったが、どうしようもなければ転職という道があった。
 あの時、転職していたら。。。こんな惨めな想いはせずにすんだのかもしれない。

 あんなことがなければ。。。あんなことがなければ今頃はどうなっていただろう。。。
 後ろ向きな俺が心の中で大きく呟く。。。

「どんなことでも自分で選んでやった結果だ。人のせいにはするな。例え他人に勧められたとしても、どうするか選べるのは自分だけなんだからな」
 と子供達にも厳しく言い聞かせてきたのに、何たるザマだ。
 別な俺が叫ぶ。

「今度、飲みに行くぞ。お互いカミさんに怒られないように、前もって日にち決めようぜ。」
 俺は、明るく声を張り上げる。

 栄転じゃ無かろうが構わん。要は、「そこでどうするか」だ。

 よかった。まだ少しだけ前向きな俺が残っていたようだ。。。

作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹