尖閣~防人の末裔たち
レーダーで確認した中国戦闘機が飛行している高度2000フィート(約600m)までぐいぐい上昇していく。がそれにしても、この鈍重なP-3Cがこんなに機敏に飛べるなんて知らなかった。皆川の操縦に大谷は恐怖だけでなく感動すら覚えていた。
高度計が1500フィートを示した時、機内通話から叫び声が聞こえた。
「来たっ、5時の方向。ぴったり張り付いている。中国のSu-33だ。」
(飛行機では、方向が分かりやすく伝わるように時計の文字盤を例えて方向を連絡する真上から文字盤を見立てて12時が真ん前である。5時の方向とは右斜め後ろ。正確には真後ろを示す6時よりも30度右寄り、ということになる。)
「こっちにもいるぞ、7時の方向。」
背後には、他のクルーのどよめきのような声が混ざっている。
「了解。落ち着けよ。ここは日本の領海なんだ。佐久間、ちゃんと撮影しといてくれよ。」
大谷が答えるのを傍らで聞いた皆川が、微笑する。さっきまで青い顔してたくせに、元気じゃんか。それでいいんだ。
「我々も拝んでみたいですね。オーバーシュートさせちゃいます。」
皆川は悪戯っぽく言うと、スロットルを絞って、フラップを25度に下げた。傍らの大谷は固唾をのんだ。上昇中に出力を下げるなんて聞いたことがない。俺がやったら間違いなく失速する。前につんのめるような減速を体感すると同時に、左右前面にSu-33が1機ずつ飛び出す。皆川の急激な減速に対処できず、前方に飛び出してしまったのだった。Su-33が背中のエアブレーキを開き始めた。
「反応鈍いっ!あれじゃあ宝の持ち腐れだ。スホーイが泣いてるゼ。」
皆川が呆れている。大谷も同じ気持ちだった。
皆川が水平飛行に移ると、2機のSu-33は、ゆっくりとTida-03の左右に陣取った。大きな風防ガラス(キャノピー)と鎌首をもたげるように下がった太い機首が印象的だった。
左側の1機が翼を左右に何回も傾けている。航空の世界ではバンクを振る。と呼ぶ行為で、主に合図として用いられる。右側のSu-33がさらに近付く。パイロットが左の指でヘルメットの耳があるであろう位置を頻りにつついているように見える。無線を聞け。と言っているらしい。
「生意気に、警告しているつもりかっ」
皆川が毒気付く。
全く動じない人だな。と、皆川の態度に大谷は苦笑すると無線を国際共通周波数に切り替えた。
「ウォメンチャンイー。。。」
大谷の耳に中国語らしき言葉が入ってきた。勿論意味は分からない。隣で皆川が顔をしかめているのを見て、吹き出しそうになる。戦闘機に警告まで受けているのに不思議と緊張していないのは、皆川のその態度のお陰だということに今になって気付いた。
「何言ってるんだかさっぱり分からんな。日本では日本語を使え!百歩譲ってパイロットなら英語を使えってんだ。大谷さん、奴らにキングスイングリッシュを聞かせてやってくださいよ。」
皆川が戯(おど)けた口調で言う。
「全くですね。了解。」
大谷は口元を緩めて言うと、マイクのスイッチを押す。
「Warning!Warning!Waining!Chinese Aircraft,Chinese Aircraft,
We are JAPAN SELF DEFENCE FORCE.
You have violated Japanese air domain!
You have violated Japanese air domain!
Take reverse cource immediately!
Take reverse cource immediately!
(中国の航空機へ警告する。こちらは日本国自衛隊。貴機は、日本国の領空を侵犯している。ただちに引き返しなさい。)」
大谷が英語で警告を行った。
「上手いもんですね。」
皆川が白い歯を見せる。大谷は、はにかんで見せた。
2人は固唾を飲んで様子を見る。コックピットに数十秒の沈黙が流れたが、中国軍機の行動に変化はない。
「やつら警告に従ってくれないですね。シカトしてんですかね。」
大谷が溜息混じりに言う。
「いや、案外英語が分からんだけかもしれないですよ。なんてったって全世界の人口からすると、5人に1人は中国語が母国語ですからね。ああ恐ろしい。」
皆川がおどけた直後、右手にいたSu-33がエアブレーキを開くと急激に後方に去った。
「ん?」
2人が顔を見合わせる。皆川が茶化すように口を開きかけた瞬間、後方を監視するレーダー警報装置がけたたましい警報音を鳴らした。
皆川の表情が緩んだまま凍り付いた。
その警報は、ぴったり真後ろに付かれていることを示していた。つまり、撃たれれば間違いなく10人以上の人間が一瞬にして海の藻屑と散ることを意味していた。
こちらが領空侵犯を警告した直後に背後に付くということは明確な敵対行為だということは一目瞭然だった。しかし、ここは日本の領空だ、逃げ出すわけにはいかない。皆川は、乾ききった唇を舌でひと舐めすると、
「逃げる訳にはいかんのだよ。」
ダミ声にさらにドスを利かせた声を絞り出すように呟き、同時に左のペダルを踏んで機体を左にスライドするように横滑りさせる。左側を飛行しているもう一機のSu-33の機体が急速に近付く。「ぶつかる!」と大谷が身をすくめると大谷の心の叫びが通じたかのようにSu-33が慌てて左へ大きく機体を傾けて急旋回していく。
「「いそゆき」、こちらTida-03、魚釣島で領空侵犯中の国籍不明機は、中国国籍。機種はSu-33戦闘機。中国軍機から何らかの警告らしき無線連絡を受けたが、中国語のため意味不明。続けて当機が英語で領空侵犯を警告するも中国軍機は従わず。
現在、当機は当該中国軍戦闘機の追尾を受けつつあり。」
大谷が報告する緊迫した声に、コックピット内がひんやりとするような錯覚を覚える。ベテランの皆川にももはや余裕は見られない。
「Tidaー03、こちら「いそゆき」艦長。中国軍機に構わず離脱せよ。乗員の保全を優先せよ。離脱するんだ。」
時には皆川とお茶目な通信を行う護衛艦「いそゆき」艦長の声が、いつもより低くそして力強く響く。
「「いそゆき」艦長。Tida-03皆川です。お言葉感謝します。しかし、ここは日本領空です。たとえ相手が戦闘機であっても、引き下がることは出来ません。我々が引き下がれば、中国にとって既成事実を与えることになります。骨は拾ってください。以上」
皆川が通信に割り込むと、決別するかのように告げた。
「了解。確かに皆川さんの言うとおりだ。何とか持ちこたえてください。空自もこちらに向かっています。」
「いそゆき」艦長の言葉が先ほどより柔らかく訴えるように響く。
「Tida-03了解しました。ところでUS-2は到着したんですか?」
皆川が「いそゆき」艦長に尋ねた。そもそも、US-2が負傷者を拾わない限り、この作戦は失敗だ。
「こちら「いそゆき」まだUS-2は到着していない。もう少しだ。今、ファイナル(最終進入中)です。」
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹