尖閣~防人の末裔たち
31.突進
「Titda-03、こちら「いそゆき」艦長。中国軍機と思われる戦闘機がそちらに接近中だ。至急現在の任務を中止し、待避せよ。」
護衛艦「いそゆき」艦長倉田の声が心なしかうわずっているようにイヤホンから聞こえてきた。
「まじですか?」
前方を注意深く見ながら低空飛行を続けていた機長の大谷が、叫ぶように言うと目を丸くして皆川を見た。
皆川がレーダーのレンジを操作して確認するが、それらしき点は見あたらない。機首の丸まった鼻のようなドームに収められたレーダーは、前方しかスキャンすることができない。多分今の機首の方向に戦闘機はいないのだろう。しかし、旋回を続けていたんだから、どこかのタイミングでレーダーには映っていたはずだ。下の船の監視に気を取られて対空レーダーはノーマークだった。俺も焼きが回ったな。しかし、空自は何やってんだ。皆川は出そうになる悪態を口の中だけにして飲み込むと、マイクのスイッチを押した。
「「いそゆき」、こちらTida-03、了解。中国の戦闘機はあとどれくらいで接触しますか?空自の戦闘機はどこにいるんですか?」
皆川のダミ声がコックピット内に響く。
「Tida-03、こちら「いそゆき」。あと10分以内に接触する。空母から発進したらしい。こちらもレーダーでキャッチしたばかりだ。空自はスクランブル発進したが那覇からじゃ間に合わない。至急待避してくれ。」
倉田の声からは、いつもの陽気さが消えている。俺達を心配してのことだろうが、クラさん、艦長なんだから落ち着こうぜ。皆川は心の中で倉田の昔の呼び名を呟く。あの頃は、俺が空から、あんたが海の上から潜水艦を追い回してたっけな。なんだか冷戦とはいえ、あの頃の方が平和だったような気がするよ。中国の空母はハリボテだと思ってたんだが。。。今回はヤバイ予感がするぜ。だが、あんたの忠告通り逃げるわけには行かないんだよ。ここは我が国だ。
「Tida-03了解。中国海警のみなさんにサヨナラの挨拶をカマしてから離脱します。以上」
皆川は、手のひらに汗が滲んでいるのに気づくとズボンの太股の生地でそそくさと拭うと、機長の大谷に笑顔を見せて親指を立てて見せた。
「機長、腕を上げましたね。いい低空飛行でしたよ。ここからは、俺が頂きます。アイハブコントロール。」
そう言うと同時に皆川は操縦桿を握った。
「了解。ありがとうございます。ユーハブ。」
と言いながら、ゆっくり操縦桿から手を離した大谷が、笑顔を向ける。まるで自信がなかった通信簿を意外にも親が誉めてくれたときのような顔に見えた。ひと回り以上若い機長の大谷が、さらに無邪気に見えた。
「では、行きます。我々が日本の領空から逃げたら、我々の行くところはなくなる。」
皆川の言葉に大谷は深く頷くと機内通話に切り替えた。
「大谷だ。当機に、中国軍戦闘機のが接近しているという情報を得た。空自のスクランブルは間に合わない。ここは日本の領空だ。こちらが退去するわけにはいかない。当機は毅然とした行動をとる。不時着水に備えて全員救命胴衣着用。対空見張りを厳となせ。以上だ。」
機内各部署から了解の返事が届いた。それぞれの言葉に迷いの色は無かった。
全員の返事が終わったのを見届けると、丁度中国海警船が正面に見えてきたところだった。皆川は旋回をやめると、側面を晒している中国海警船に機首を向けた。
「この野郎、見てろよ。」
皆川はスロットルを最大にして、さらに機体を降下させた。まっすぐに中国海警船に向かっていく。「ぶつかるっ。」と心の中で大谷が叫び、目を強く閉じた瞬間、少し体が座席に押しつけられる感じがした。皆川が機体を水平に戻したのだった。「っ!」目を開けた大谷は、再び心の中で言葉にならない叫びを挙げてしまった。見る間に迫る白い中国海警船の側面の方が高く見える。こんな低空飛行は今までに経験したことがない。甲板の中国人がその場で倒れ込むように伏せているのが手に取るように分かった。
古川は、ポケットに仕舞っていた衛星携帯電話のバイブレータで着信があることに気づいた。上空のP-3Cの爆音で着信音など聞こえていなかった。
「はい。古川です。」
電話に出た古川に河田が注目する。
「えっ、そうなんですか?すぐに送ります。メアド?はい。分かります。私の手持ちでは無理です。送る手段あがるかどうかですね。とにかく送ったらすぐに電話します。よろしくお願いします。」
電話を切り、ポケットに仕舞った古川が、河田の方を向く
「河田さん、メール。電子メールを送る手段はありませんか?」
早口になった言葉から古川の焦りが手に取るように分かる。
「メールですか?送れますよ。漁に出ると長いですから、家族との連絡用につけてます。どうしたんですか?」
河田は、古川とは対照的にゆっくりと落ちついいた口調で答えた。
「よかった。」
古川が安堵の声を漏らす。カメラからメモリーカードを取り出しながら、言葉を続ける。
「権田さんからなんですが、産業テレビが、私からの電話だけで安直にテロップを流すことなどできないって行って来たそうです。要は証拠が欲しいらしいのです。そこで、メールで写真を送れれば納得してもらえるんじゃないか。と言うことになりまして。貸していただけますか?」
古川が懇願の目を向ける。先ほど毅然と自分の考えを述べた時の刃向かうような目が嘘のようだ。全くマスコミって奴は、ヒマワリみたいな連中ばかりだ。と、河田は思った。傍受しているのはバレているし、まあいい。ここは恩を売っておこう。河田は即座に判断すると。
「勿論ですとも。パソコンは、船橋の下の休憩室にあるので、御案内します。」
と笑顔を向けた。
それが作り笑顔なのは、古川も感じ取っていたが、背に腹は代えられない。
「ありがとうございます。助かります。」
と同じような笑顔で答えた。
「行きましょう。ついてきてください。」
と言って河田が颯爽と歩き出し、梯子を降りていく。P-3Cの爆音をかなり近くに感じ、上空を仰ぐが、全く見えない。何度も低空で飛ばれて俺の耳はどうかしてしまったのかもしれないな。と、苦笑を浮かべて梯子を降り始まった時だった。隣を航行する中国海警船から飛び出したように目の前にP-3Cが現れ、一瞬で後方に過ぎていった。驚いた古川は梯子から片足を踏み外しバランスを崩した。動悸が激しくなるのを感じる。
「畜生、海に落ちるとこだったぞ。俺は高所恐怖症なんだ。馬鹿野郎っ」
自分をなだめ、呼吸を整えるために独り悪態を突くと、古川は再び梯子を降りた。
中国の戦闘機が目視できる距離まで接近してきたのをレーダーで確認した大谷に向かって
「そろそろ高度を上げましょう。」
と言って皆川が笑顔を見せる。
「、、、はい。」
操縦を変わってから船団の上を掠めたのはこれで何度目だろう。とても数えている余裕なんて無かった。大谷には数十分にも及んだように感じていた。機体が上昇に移ると背中の汗が冷えているのを感じた。まるで体中の機能が息を吹き返したかのようだった。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹